第七十三回 関防は鉅河に許戌を擒う
かくして
「
許戌はそう言うと、副将の
「ここから常山に向かう要路があり、その地の名を
曹英は指示を受けて飛ぶように軍営を発したものの、倒馬坂に到ってみれば、すでに漢軍が占拠している。倒馬坂を押さえた王如、楊興寶、李瓚、黄臣の四将は、曹英の軍勢を狭隘な谷間に取り込んで前後を囲み、曹英は進退窮まって如何とも仕様がない。
※
許戌はそれを知らず、典升に人を遣わして情勢を告げ、みずからは曹英が倒馬坂に到着する頃を見計って軍勢を背後から寄せ、漢軍を挟撃すべく後を追う。天が白々と明ける頃、五十里(約28km)も進んだところで漢軍が平野に軍営を敷いているのに出遭った。
許戌はそれを見て考える。
「曹英が倒馬坂に埋伏している。この漢賊どもを前後より挟撃できよう」
含み笑いつつ馬を進めて陣頭に立ち、声高に叫んで言う。
「鉅鹿から逃げてどこに行こうというのか。この許戍がお前たちを
漢軍の内より劉聰が
「昨日は劉喬に看破されてお前を取り逃がした。今日はどうして吾らの策に陥ったのだ。早く下馬して降伏せねば、誰もお前を救ってはくれぬぞ」
許戌はそれを聞き、怒って言う。
「賊めがかつては天朝にあって
言い終えると、鎗を引っ提げ馬を馳せ、漢の軍営に斬りこんで行く。劉聰の後ろから右先鋒の劉霊が矛を捻って迎え撃つべく馬を出すと、劉聰が叫んで言う。
「この賊は
言うや、劉聰は大刀を抜いて攻め寄せる許戌に斬りかかる。劉聰の猛烈な勢いを許戌は真っ向より支え、二十合にもならないうちに劉霊が横合いから加勢に入る。許戌は二将を向こうに回して怯む様子もない。
「漢賊に謀られた。常山を攻めると見せておびき寄せられたのだ。吾らが常山に向かえば鉅鹿が危うい。急ぎ引き返して河橋に拠り、常山と鉅鹿がともに奪われぬよう防げ」
許戌率いる軍勢は一斉に南を目指して切り抜けようと図る。張賓は形勢を観ると軍旗を掲げて叫ぶ。
「吾らの包囲より逃れられるものか。許戌を逃がした者は軍法により処断する。擒にした者は侯に封じて重賞は言うに及ばぬ」
南に向かうこと五里(約2.8km)にならぬうちに、砲声が響くや趙染、趙概の二将が伏兵を発して襲いかかる。許戌はそれに目もくれず、ただ鉅鹿を指して駆け抜けんとした。しかし、行く手を趙染に阻まれて包囲を脱し切れない。さらに、背後より劉霊が馬を飛ばして迫り来る。
許戌は劉霊を顧みずただ包囲を破って南を目指す。漢軍は背後より襲いかかって斬り散らし、晋兵の過半はこの一戦に命を落とすこととなった。
※
逃げ延びた許戌が後ろを顧みれば、追手の兵はない。一安心していると、前方には黒煙が上がってその合間に燃え盛る火焔がちらつく。これは、支雄たちが許戌の軍営を襲って焼き払った火であった。許戌はそれを見ると慌て、馬を飛ばして救いに向かう。
河が近づいた時、その前に漢の一将軍が立ちはだかった。白い瞼に長い髯、
これは河辺で許戌が軍営に戻れぬように防ぐ関河と王伏都である。
許戌は戦いに時間を費やすことを望まず、戦を捨てて逃げ奔る。一里(約560m)も奔ったところ漢将の廖全と関山が一軍を率いて橋を守り、城壁の如き堅陣を布いているのを目にした。
「これは突き破れぬ」
そう見切ると下流を目指し、渡し場を捜して筏で造られた橋を見つけた。すぐさま奪って河を渡ろうとしたところ、一人の漢将、豹のように小さい頭、丸い眼、大きな口に
愕いて切り結び、三、四合にもならぬうち、さらに一人の漢将が駆けつける。
「賊徒許戌、逃げてどこに行こうというのか。
許戌は二人の様子から強敵と見るや、戦を棄てて上流に馬を返した。しかし、その先は関河と王伏都が軍勢を止めており、抜けて先には進めない。
※
許戌が進退に窮して河辺を徘徊するところ、全身に血を浴びた曹英が数十の敗兵を率いて戻ってきた。
「小将はご命令を奉じて倒馬坂に向かいましたが、すでに隘口を占めた漢賊に前後を挟まれ、命を棄てて斬り抜けましたものの、軍勢は覆敗いたしました。観るところ、大道は漢賊により厳しく固められております。急いで河を渡って鉅鹿の城に入り、善後策を講じて下さい」
「橋はすでに奪われ、下流の渡しにも大軍があって筏を守っておる。上流の浅瀬より渡るよりない。お前も一緒に来い」
曹英とともに馬を馳せて崖のように切り立った河辺から渡ろうとすると、紅の
「射よ。河を渡らせるな」
そう言うや、自らも馬を駆って斬りこんでくる。曹英は騎乗のまま河に飛び込んで渡ろうと試みるも、雨のように降り注ぐ矢を受けて中途に落命した。
※
許戌が背後の崖に逃れようとしたところ、蚕のような太い眉、
「匹夫めが。包囲から逃れられるものか。この関継雄(関防)がお前の到来を待ち詫びておったぞ。さっさと馬より下りて軍礼により降伏するがよい。さすれば擒とすることは免じてやろう。誤って身命を亡ぼし、一代の威名が無に帰さぬようにするがいい」
「敢えて吾を軽んじるか。戦いつづけて久しいが、それでもお前を斬るなど容易いことよ」
怒って罵ると、馬頭を向けて突きかける。関防も刀を振るって立ち向かい、鎗刀を打ち交わす音も甲高く、三十余合を過ぎていまだ勝負を決さない。許戌は河を渡って鉅鹿城に帰らんと図り、戦に恋々とせず河辺に向けて馬を馳せる。
「この卑怯者め、留まって勝敗を決せよ」
関防は叫ぶと許戌の跟を追って逃がさない。それを見た関謹も後につづいて兵士に叫ぶ。
「許戌を擒にせよ。ここが戦の
二里(約1.1km)もいかないうちに、関山と関河も橋道がある河辺より許戍に攻めかかる。王伏都の一軍も攻め寄せて許戌を川下に行かせない。
「漢賊の詭計に嵌ってしまったか」
進退窮まった許戌はそう呟くと、河を棄てて常山路を駆けて落ち延びていく。
※
数里も進んだ頃、前方より元帥劉聰が劉霊、趙染、王如、楊興寶、趙概、李瓚を率いて姿を現した。鬨の声は天を震わせていよいよ許戌に近づく。馬を返してさらに上流を指して逃げ奔ると、関防が軍勢を並べて行く手を塞ぎ、許戌に呼びかける。
「
許戌は答えもせずに走り去ろうとした。しかし、下流から迫る軍勢の塵埃が日を覆い、常山道からは劉聰が掲げる旌旗が迫り来る。
逃げ場がないと悟るや、真っ向に進んで関防の陣を切り抜けんと図った。
関防は許戍を迎え撃って逃がさず、二十余合も戦ったところ、許戌は刀を交わして逃げ延びようとする。手を返して一刀をその肩骨に斬りつければ、許戍は仰け反って馬から落ちそうになる。斬りつけた格好からさらに躬を捻り、関防は
馬から引き抜くように引き付けるも許戌の体は大きく、地に着いた両足を踏みしめて抵抗する。関防は許戌の頭を抱えて仰向けに担ぎ上げ、ついに生け捕りにした。
晋兵たちが取り返そうと周りを囲めば、関謹が大刀を振るって斬り散らす。漢兵は許戌を寄って集って取り押さえ、縛り上げると鬨の声を挙げつつ漢の中軍を指して退いたことであった。
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