第11話

兄貴の通夜の夜、棺の前で、線香の守番をしていた俺は、


前日、徹夜で企画の仕事をしていて、その疲れから、


つい、うつらうつらと眠りかけた。



通夜の夜は、一晩、線香の火を絶やしちゃいけないとわかっているのに、



(お線香、火…)


と思いながら、沼のような眠りに引きずり込まれていった。




夢うつつの俺の目の前で、線香たての線香が燃え尽きようとしていた。


(ああ、線香、火…)


眠りの中で焦る俺。


だが、体が疲労しきって、


どうしても目が開かない。




そこに音もなく、誰かが入ってくる気配がした。


(ああ、いったい、誰だ…)


俺はその気配の温かさに、


入ってきたのは女性のような気がした。



その人は、今にも燃え尽きそうな線香の横に、


新しい線香を立てた。


そして、音もなく、ろうそくの火がゆっくりと近づいて、


線香に火をともすのが見えた。



新しい線香からほのほのと立ち上る香りに誘われるように、


俺はようやく目を覚ました。




そこには黒い服を着た女性が一人立っていた。



俺は反射的に時計を見た。


午前2時―。


バカな。


俺は何度も時計を見た。


電車もバスも、交通機関はもうなにも機能していない時間だ。


こんな田舎の葬儀場まで、どうやってこの人はやってきたのだろう。



寝起きでまだよくまわらない俺の頭。


けれど、現実に俺の前で、


彼女のつけた線香が、もうもうと細い煙を上げていた。



彼女が黙って頭を下げる姿に


「どうぞ、焼香のあとも遠慮なさらず、


兄とゆっくり過ごしていってください」


と言って、俺は部屋を出た。



30分ほどして、やはり無言で彼女が出てきた。



彼女は俺がどんなにすすめても、


香典帳に名前を書かなかった。


黙って首を振るばかりだ。


もらった香典も、無記名だった。



そして、彼女は頭を下げて、


ひっそりと静かに出ていった。


時刻は2時40分になっていた。

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