華憶

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華憶

 今年もまた、忘れずに咲いている赤い花を見つけて足を止める。

 土手に広がる草色の中にところどころに群生するその花は懐かしい想いを引っ張り出させた。



「すっごーい。火が咲いてるみたい」

 無邪気な声がすぐ横で聞こえて視線をさげると十歳くらいの女の子が、すぐ隣で目を輝かせて花を見ていた。

 あの時、あの子もこんな顔をしていた気がする。

「ねぇ、なんていう花か知ってる?」

 女の子が物怖じしない感じでこちらを見上げる。

 懐かしくて笑みがこぼれる。

 やっぱりよく似ている。雰囲気も、言動も。

 子供って、みんなこんな感じなのかもしれないけれど。

「曼珠沙華。幽霊花。彼岸花。死人花。簪花。火炎草。野松明。死魂狩」

 あの時のように、知っている限りの名前を上げると女の子はふくれっ面をする。

「なにそれ。どれが正解かってこと?」

「そうじゃないよ。どれも正解。一般的に良く聞くのは彼岸花とか曼珠沙華かな」

「ふぅん。幽霊花っていうのは、ちょっとイメージ違うよね」

 こちらが挙げた名称をぽつぽつと繰り返して、女の子は一人頷く。

「お墓に咲くことが多いからかもしれないね。あと白い花はちょっと幽霊っぽいかも」

 まるで時間が巻き戻ったかのようだ。

 あの時は同じくらいの背丈で、声がもっと近かったけれど、同じ会話をした。

「ねぇ、なんでこんなに詳しいの?」

 不思議そうな顔。

「昔。子供だった頃ね、好きだった子にね、教えてあげたくて、覚えたんだ」

「良いなぁ」

「なにが?」

 どことなくふくれっ面の女の子は、少し口ごもる。

「……だって、わざわざ覚えてくれたんでしょ。私だったら、すごくうれしいから」

 うらやましい、なんて続ける女の子はすごくかわいくて愛おしい。

 あの子もそんな風に思ってくれただろうか、あの時。

 そうだったら良いのに。



 あの時もこんな風に曼珠沙華が咲いていた。

 その時は名前も知らなかったその花が、唐突に赤く点々と咲く様子が、火が咲いてるみたいに見えた。

 花の名前を教えてくれたのは同級生だった。

 どういう経緯だったのかは覚えていないけれど、この堤防で顔を合わせて、花に見とれている私に呪文を唱えるようにいくつもの名前を挙げてみせた。

 物静かで、穏やかな子で、まともに話をしたのはその時が初めてだった気がする。

「あんまり幽霊っぽくはないような気がする」

「白い曼珠沙華もあるみたいだから、それは幽霊花っぽいのかも」

 思わず口をついて出た否定的な言葉にも、そんな風に応えてくれた。

「見たことないの? なら、今度一緒に探しに行こうよ」

 誘いは断わられはしなかった。

 ただ微笑っていた。

 だからOK何だと思っていた。

 後から考えれば、頷いてはくれていなかった。

 数日後、彼が転校していったことを知った。



「一緒に探しに行こうよ」

 その誘いはうれしくて、でも応えることは出来なかった。

 転校することを伝えることも、一緒には行けないことも伝えられず、ただそのまま別れた。

「ばいばい。私、もう行くね」

 あの子に良く似た女の子の声が、やっぱりあの時と重なって、懐かしい痛みを思い出す。

 話せたことが嬉しくて、でも最後なのが寂しくて、どうしようもない、やるせなさ。

「気を付けてね」

 駆け出した少女の背中に声をかける。

 あの時の自分が何と答えて別れたのかは覚えていない。

 ただ、やっぱりこうして後姿を見送った気がする。

「桂樹ー」

 大きな声に振り返ると走ってくる彼女の姿。

 行ってしまったはずのあの子が、時間を超えて戻って来たかのような錯覚を覚える。

 もちろん、そんなはずはなくて。

「なに、ぼんやりしてたの?」

 息を切らせてやってきた彼女に笑って答える。

「小さな蒼子がいた」


 

 再会は偶然で、お互い職場が近いことから何度か顔を合わせ、旧交をあたためるようになり、付き合うようになった。

 静かな口調は初めて話したあの頃から変わらない。

「小さい私?」

「転校前に会った蒼子そっくりだった。時間が戻ったみたいに」

 土手に座って遠くを見つめる。その時を懐かしむように。

「可愛かったでしょ」

 どこか淋しげな声に気付かないふりをして、隣に座ると桂樹は表情を緩める。

「そうだね」

「曼珠沙華、きれいだね。桂樹に教えてもらってから、毎年、咲くの、楽しみで」

 あまりにあっさりと頷かれ、照れ隠しに傍らの紅い花に触れる。

「そういえば、まだ白い花のは見たことないんだよね。今度、一緒に探しに行かない?」

 あの時、答えの返らなかった約束をもう一度持ち出す。

 今度は間違いなく頷いてくれるだろうと思っていたのに、桂樹はあの時の同じような曖昧な笑みを浮かべた。



 答えに迷った。

 呼び出して、こうして会うまでは別れを告げるつもりだった。

 それなのに、まるであの時をなぞるかのようなやり取りに、また同じことを繰り返すのかと、問い詰められているような気になった。

 今はもう、あの頃のように選択権のない子どもではないのに。

 自分も、蒼子も。

「転勤することになった。ねぇ、蒼子。今すぐじゃなくていいから、ついてきてくれないかな?」

 遠く離れたまま、付き合い続けるのも出来ないわけじゃない。

 頻繁にというわけにはいかなくなるけれど、会いに来ることも出来る。

 それでも、約束しておきたかった。いつかで良いから。

「もちろん。よろこんで」

 短い沈黙の後、地面に置いた手が重ねられて、ようやく目を合わせられた。

 花を映したようにあかくなった蒼子がいた。


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