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 するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。


 ――ヨハネによる福音書 11章 36節。


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 駆け出したのはまさに同時だった。銃声が響き、さっきまで俺の頭があった場所に火花が散る。


「お前を殺す」


 伊左の怒号が響く。俺は急いでクレーン用のディーゼル発電機の後ろに隠れると、そっと背後にいる伊左を窺った。


 伊左は銃を構えながら女の死体を抱きかかえている。その目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。


「伊左……」


 俺はそのままクレーン手前の作業台の上に置かれた銃の位置を確認しようとした。


 そのとき、すぐ手前のメーターが音を立てて破裂した。散らばった破片が頬を裂き、血が床に垂れ落ちた。


「伊左、お前は大きな思い違いをしている」


「思い違いなどないさ。お前が揺子を殺した」


「違う。俺じゃない」


「弁解はお前の死体から聞くことにする。早くそこから出てこい」


「くそ……」


 俺は何か投げれるものはないか探した。

 いくら遮蔽物に隠れているといっても伊左が回り込めば、いつかは射線に身を曝すことになる。


 そうなったとき、俺には何も身を守れる手段がない。


 俺は発電機の下に落ちていたスパナを手にすると、飛び出るタイミングを窺った。


 足音がする。伊左が遮蔽物を中心にして時計回りにこちらに回り込もうとしていた。


 5、4、3……。

 頭の中で、伊左の歩調に合わせてカウントダウンをする。


「さぁ、終わりだ。友よ」


「1、0……!」


 俺は発電機から飛び出すと、伊左の影が見えた方向にスパナを投げつけた。同時にパアンと鋭い音がして、何かがものすごい速さで頬を掠めていく。


 ぐお、と呻き声をするのを聞いて俺は作業台の拳銃に飛びついた。


 そのままスライドを引くと、振り返って構えた。だが、銃口の先に予期せぬ光景が広がっている。


 伊左が、銃を持った腕を振りかぶっていた。


 振り下ろされた銃床は右の二の腕に命中。たまらず構えていた銃が腕から離れた。


 すかさず伊左は離れて銃を構えようとした。その懐へ、俺はむしゃらに飛び込んだ。


「うおっ」


 俺たちはもつれあって、床に転がる。天地が反転しあい、どっちが地面なのかはわからなくなった。


 俺は腹筋に力を入れて起き上がる。ちょうど、馬乗りの態勢だ。


 そのまま俺は伊左の顔面を何度か拳で殴った。頭蓋は固く、こっちの腕まで痛くなるようだったが気にせず殴り続ける。


 一際、大きく振りかぶった一撃を伊左の鼻目掛けて振り下ろす。

 伊左の目がギラりと光った気がした。直後、俺の拳は空を切り、そのまま空ぶった上体が入れ替わるようにして逆になる。


 上下が逆転した。

 俺は腕を交差して顔を守ろうとしたが、真上にあった照明に目が眩み憶測を誤った。


 目の前に閃光が炸裂し、鼻柱がツンとする。衝撃は後からやってきた。


「あ……」


 アスファルトの床に後頭部を打ち付けたのだろう。俺は視界がぐわんぐわんと揺れるような感覚に支配されていた。


 右、左、右、左……

 コマ送りで伊左の拳が映った。


 そうやって振りかぶった拳と暗転とを交互に見ていると、俺の中にある光景が浮かんできた。


 お袋だった。


 それは手鍋で俺の頭を殴るお袋であったし、タバコの火を押し付けてくるお袋でもあったし、ホステスを家に連れ込んでいるお袋でもあった。


 だが、その光景の中にただ一つ異質なお袋の姿を俺は見とがめた。


 それは俺の頭を優しく撫でるお袋……。


 「%$#*+?――!!」


 叫び声をあげて俺は伊左の腹を蹴り上げる。


 即座に辺りを見回す。拳銃はちょうど伊左を蹴り上げた向こうに一挺、俺の真後ろにもう一挺。


 俺の方がだいぶ銃から遠かった。


 俺は起き上がり、真後ろの銃へ向かって駆けだした。伊左も自分に近い方の銃へ駆け出していることが足音で分かった。


 俺は銃を手にすると振り返る。だが、向こう側では一足早く伊左がこちらに向けて狙いをつけていた。


 ――くそ……。


 敗北を悟った瞬間、俺はまたしても予期せぬ光景を見る。


 イザヤだった。


 イザヤが俺と伊左の間に立ちはだかるようにして、割り込んでいた。


 そして、銃声と共に赤い霧が吹いてイザヤが倒れ伏す。


 俺は今度こそ銃を構えると、血飛沫の向こう驚愕に目を見張る伊左へと狙いを付けた。


「伊左ぁ!」


 ガレージに乾いた銃声が響き渡った。

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