Story tellor

@Corona6274

躁狂にアリオーソを

 わからないなぁ。

 へえ、何がだってぇ。そりゃあ、旅人さんには何のことだかって話ね。旅人さんは自由気ままにいろんなところに行けるんでしょ、その足で。いいなあ、私もいろんなところに行きたいし、あっさりしててヘルシーなのにおいしいもの、食べてみたい。それに、いちいちお小言とか、本とか、文字とか確認してなくてもいいんでしょ。それってなんてすてきなんだろうなぁ。

 あたしにはわからないよ。どうしてお母さんもお父さんも、こんな決まりに従っているのか。あ、言わないでよこんなこと言ってたって。怒られたくないもの。確かにさあ、あの、新しい教祖さまもさあ。すごい人だよ。実際家から出るなって言われた日には外砂嵐だし、店閉めとけって言われると明らかに怖そうなローブ羽織った集団の何かが通ってったりするし。そこは疑ってないよ。きっと周りの文字とかいろいろで予測して、データが出て、とかあるんだと思う。実際あの人頭もいいし術式もできるスーパーエリートだよ絶対。

 私が引っかかってるのはそこじゃなくて、もっと小さなこと。あ、でも私にとってはめちゃくちゃおっきいことなのよ、これ。ええと、もう面倒くさいから私に渡されてる本の数ページ見せちゃうね。多分大丈夫だって。それに、どうせ怒られるなら一緒でしょう。ほら、ここ。見て。書いてあるでしょう。ほら、読めるかな。

 「第37章5項3目 夜月が出てから 歌を歌ってはならない」

 ね。意味わからないでしょう。ここに伝わる歌なんてさ、呪術がついているものとかと別ジャンルの本当に何にもない歌ばかりなんだよ。たとえば、牧に花が咲いたよーとか、海の傍で船で旅に出たよー、とか。そんな歌なのになんで夜に歌っちゃいけないんだろうね。それこそ夜に、月が出ました、きれいです、とかいう歌をさ、別言語でレストランで歌ったら雰囲気いいじゃない。そうでしょう。そこでさ、のんびりしながら、あったかい飲み物飲んで、ゆったり、音楽に耳を傾けたり、したいでしょ。したいよね。私がしたいんだけどさ。

 どうして歌っちゃいけないんだろう。

 あたしね、小さいころから歌うのが大好きで、ずっと、歌の国に移り住むことを夢見て過ごしていた時期があったの。まあ、すぐにおきてでダメになっちゃったんだけどさ。そもそもこの国国民が外に出るのに資格も必要だしそれも一つじゃないの。出す気ないのよ。だからそれこそものすごいエリート、教祖様の右腕ぐらいのね、か、本当に最低最悪すぎて国外追放されるかしかここから信者が出る方法はないの。しかも、私みたいな宿屋の娘となるとなおさらね。はーあ。本当に。歌の国の話は、もう優しくて面白かった常連の旅人さんに聞いていたの。お嬢ちゃんに似合うって言って嬉しそうだったのよ。今でも覚えてる。あれが初恋って言われても納得しちゃうほどにね。目の前に景色が広がるくらい細かいところも教えてくれたの。え、あなたも行ったことあるの。いいな、いいな。なんか持っていないの、それに関するもの。んん、無い嘘だあ探してよ、ねえ。そこのポケットとかさあ。あとその袋。あら。ほんとうにないの。そう。そっかあ。残念。

 まあ、いいや。外に出られないってことが分かってからも私は昼間は禁止されない限り歌って、歌って、この街では一番になったわ。さっき私に話しかける前の人が言ってた通りにね。うるさいって怒鳴られることもあったし、歌の種類が少なすぎて飽きてきたこともあったわ。その都度その都度、旅人さんから曲をもらったり、自分で考えたりして歌っていたの。そりゃあ、禁止されてる言葉を使わないとか、いろいろ制約はあるけれど。今じゃレパートリー100は超えたわ。自慢だけれどね。でも、歌の国にはもっとたくさんの曲があるんでしょうね。なんて素敵なんでしょう。

 あら、もうこんな時間。旅人さん、寝たほうがいいわよ、夜が更けてきた。え、なあに、これは今作っている曲の楽譜と、禁止用語集よ。ああ、でも旅人さんは聞けないわね。明日の夕方にはここを出るんでしょう。え、私が一人で歌ってるところが見たいの。ふふふ。止めはしないわよ。どうなっても知らないけどね。この話は内緒よ。誰にも言ってないんだから。

 それじゃあ、おやすみなさい。



 シナリアの町の乙女の話だった。もう彼女は檻の中にはいない。

 あの日の街の混乱ぶりは相当なものだった。教祖は予言できなかったのだろうか。

 脳裏には一人で月に向かって歌う彼女が焼き付いている。

 喧騒の中でも透き通るような歌声だった。

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