少年とネコ

奏 舞音

少年とネコ

 真っ白な空間で、少年は一人立ち尽くしていた。右も左も、上も下もすべてが真っ白で、どこにも終わりがない。ただただ広く、どこまでも白い。何もない空間。自分がどうしてここにいるのかもわからない。自分が何者なのかも、分からない。


「僕は、どうしてこんなところにいるんだろう」


 この不思議な空間で、少年は心細さに泣きそうだった。いつからここにいるのかも、分からないのだ。それでも、どうにか手がかりを探そうと自分の体を確かめる。半袖の青いTシャツを着て、膝丈までの黒いズボンをはいている。白い靴下に、少し汚れて茶色っぽくなったシューズ。頭に触れると、髪は柔らかく、視界に入る髪は黒かった。何も分からない。どうしたものかと、少年は座り込む。すると、シューズの側面に汚れではない何かを見つけた。

「た、か、し……?」

 それが、少年の名前だった。あぁそうだ、自分は“たかし”という名前だった。自分の名前を思い出し、たかしは少しほっとした。そして、ひとつを思い出せば少しずつだが自分のことを思い出してきた。

 仕事に忙しいお父さんがいて、家には優しいお母さんがいる。たかしは、家族が大好きだった。

「そういえば、今日は僕の十二歳の誕生日……だったような」

 久しぶりに、お父さんも仕事を休んで、誕生日を祝ってくれると言っていた。その日を、たかしは楽しみにしていたのだ。しかし、そこからが思い出せない。なにも。

 たかしは頭を抱えた。ここはどこだろう。最初の疑問に戻ってきた。ここでじっとしていても、何もわからない。たかしは立ち上がり、この白い空間を歩くことにした。

「お~い! だれかいますか~!」

 返事はない。どこまで歩いても、壁もなければ景色に変化もない。すべてが白に包まれた空間で、たかしは頭がおかしくなりそうだった。

「そうか、きっとこれは夢なんだ」

 ふと立ち止まり、たかしは自分に言い聞かせるように大きな声で言った。そして、自分の頬をつねる。痛くない。全然痛くない。あぁ、やっぱりこれは夢なんだ。だったら、早く夢から覚めて、誕生日を祝ってもらわないと。たかしはこの夢から覚めることを考え始める。

 そんなとき、急に変化が訪れる。


「こんにちは、たかし君」


 後ろから、たかしは声をかけられた。しかし振り返るも、誰もいない。

「僕を呼んだのは、誰?」

「ここですよ、ここ」

 声は下から聞こえた。たかしは少し目線を下に下げた。すると、そこにはくりっとした丸い目を持つ三毛猫がいた。

「え、ネコがしゃべったの?」

「そうですよ。私がたかし君に話しかけたんです」

 ネコは姿勢よく座って、丁寧にうなずいた。

「そうか。これは僕の夢だから、あり得ないことも起きるのか」

 夢なんて、なんでもありだ。たかしはにっこりと笑って、この夢の空間で初めて出会ったネコに話しかける。

「ネコちゃん、どうしたの?」

「私は、たかし君にお礼を言いたくて来たのです」

「お礼? なんの?」

「その前に、たかし君。また私と一緒に遊んでくれませんか?」

 にゃ~ん、とネコは鳴いて、たかしの足にすり寄ってきた。たかしは、ネコが大好きだ。何をしていても、夢は夢。だったら、一人でこの空間にいるよりも大好きなネコと一緒に遊んでいた方が楽しい。目が覚めたら、お父さんとお母さんにネコと遊んだ夢をみた。と話をしよう。もしかしたら、ずっとだめだと言われていたけれど、誕生日にネコを飼ってくれるかもしれない。

「いいよ。何して遊ぼうか」

「ボール遊びはどうですか?」

「楽しそうだね。でも、ここにはボールなんて……」

 この空間にいて随分経つ気がするが、変化があったのはネコくらいだ。真っ白な空間には何もなくて、ネコと遊ぶためのボールなんてあるはずがない。そうたかしが言おうとした時、いつの間にかネコの隣にピンク色をしたビニール製のボールがあった。それは、たかしがよく遊んでいるもので、汚れ方もたかしのボールに似ていた。

「これは、僕のボール?」

 夢とはなんと便利なのだろうか。必要なものが、ぽんと魔法のように出てくるのだ。

「そうです。それは、たかし君がいつも遊んでいるボールです。さあ、遊びましょう」

 にゃあ、とネコにせかされて、たかしは仕方ないなぁとボールをぽーんと軽く投げる。ネコはぴょんと跳ねてボールに飛びついた。前脚で少しボールとじゃれた後、たかしに向かってもう一回、とボールを転がす。話す口調は丁寧なネコだったが、こうして遊んでいると無邪気でとてもかわいかった。たかしも楽しくて、ずっとネコとボール遊びを続けていた。

 しかしふと、目線を逸らすと、真っ白なだけの空間だったはずが、近くにブランコや滑り台、砂場がある公園が見えた。

 そして、その公園はとても見覚えがある。

「ここ、僕の家の近くのみどり公園だ」

「たかし君、いつもこの公園の砂場でお山をつくっていましたね」

「うん。君、ネコなのに僕のことよく知ってるね」

「はい。私はたかし君のことならなんでも知っていますよ」

 ネコは自信満々に答えた。

「へえ、なんでも?」

「なんでも、です」

 たかしは面白くなって、色々とネコに質問してみようと思った。

「じゃあ、僕の誕生日は?」

「八月二十日です。ちょうど、今日がたかし君の誕生日です」

「すごい、正解だ。じゃあ、僕の好きな色は?」

「青色です」

 ネコはすらすらと答える。自分のことについて、次は何を聞こうかとたかしは頭を悩ませる。

「う~ん、じゃあ僕が今欲しいものは?」

「ネコです。できることなら、私はたかし君のような優しい飼い主に飼われたかったです」

 少しだけ、ネコのしっぽがしおれるように垂れ下がる。

「君は、飼いネコなの?」

「えぇ、昔のことですが。すぐに捨てられてしましました」

「かわいそうに」

 たかしはそっとネコの頭を撫でてやる。すると、ネコは嬉しそうにしっぽを揺らした。

「でも、たかし君がいっぱい遊んでくれたので、私は幸せでしたよ」

「そうだ! じゃあ、僕が君を飼うよ!」

 夢の中でくらい、ネコを飼ってもいいじゃないか。たかしはネコを抱き上げて言った。しかし、喜んでくれると思っていたのに、ネコは悲しそうな目をした。

「たかし君、ありがとうございます。でも、もう無理なんです」

「どうして?」

「たかし君、まだ思い出しませんか?」

 ネコの声は震えていた。急に、たかしの中に恐怖が沸いてくる。たかしのことをなんでも知っているというネコが、たかしが知らない自分の何かを知っている。それが分かって、たかしは思わずネコを抱いていた手を離した。

「なん、のこと……?」

 ネコはじっとたかしを見つめている。その目を見ていて、たかしははっと思い出す。

「……そういえば、僕はみどり公園で君と似たネコと遊んだような気がする」

「それは、私です」

 誕生日の朝、急な仕事が入ったとお父さんが家を出てしまった。でも、夜には戻るからいっぱいお祝いしようと言ってくれた。外で遊びたくて、たかしはみどり公園に遊びに行った。そこで、大好きなネコをみつけて、たかしはボール遊びをした。そう、さっきみたいに。砂場でお山をつくりながら、ネコ相手に自分のことをいろいろと話した。今日は自分の誕生日だとか、好きな色は青色だとか、ネコが好きだから飼ってみたいということも。

「それで……そうだ、君がまたボールで遊び始めて……僕は、少し強めにボールを投げて……」

 思いのほか遠くに飛んでいってしまったボールは、公園の外に出た。慌ててボールを追いかける僕と、ネコ。ガードレールを超えて、ボールは大きな道路へと出て行った。ボールを追いかけるのに夢中になっていた。速度を落としたボールを拾って、ネコも一緒に腕に抱いた。その時。

「僕は。僕は……」

 ギュイーン、という激しいブレーキ音が聞こえて、ハッと顔を上げた時には、大きなトラックが目の前に迫っていた。

「これは、夢。夢だよね」

「いいえ、夢ではありません」

「だって、僕はここにいるし、君だって一緒に……」

 そうだ、ネコも一緒だったのだ。

「たかし君、私と遊んでくれてありがとうございました。私は、たかし君と一緒だったから、何も怖くありませんでしたよ。ここでこうして遊べたこともとてもうれしかったです。そろそろ時間です。たかし君も私と一緒にいきましょう」

「行くって、どこに?」

「さあ。それは私にもわかりません。でも、もうこの世界にお別れをしなければ」

「いやだ、行きたくないっ! これは、これは夢だ!」

 たかしが泣き叫ぶと、真っ白だった世界はいきなりスクリーンのように鮮明な現実世界を映し出す。


 事故の目撃者が悲鳴をあげる。トラックの運転手が慌てて運転席から出てきて、血塗れの小さな体を確かめた。通行人が救急車を呼ぶ。スーパーに買い物に行っていたお母さんが、野次馬に気付いてたかしの変わり果てた姿を見つける。

「……おかあさん」

 お母さんが近所のスーパーで晩御飯の買い物をしている間、たかしは公園で遊んでいた。お母さんは手に持っていた買い物袋を放り投げてたかしのところへと走る。泣きながら、たかしの名を呼ぶ。そして、たかしが抱いていたネコに気付く。ネコでもなんでも飼ってあげるから、戻ってきてと懇願する。たかしの体は動かない。

 そして、こんな場所から現実を見ているたかしの意識はもう届かない。


「おかあさん! 僕はここだよ!」

 死んだのだ。自分は。その事実を見せつけられて、苦しくて、痛くてたまらない。痛みなど、もう感じていないのに。

「さあ、たかし君。もう時間はありません」

「いやだ! いやだ!」

 泣き叫ぶたかしに、ネコは笑う。

「何も、怖くはありません。さあ」

 真っ白な世界は、真っ黒な世界に変わった。嫌だ嫌だと泣き叫ぶが、ネコのにゃあという一言で、たかしの意識は消え去った。


 ネコは笑う。何事もなかったかのように。


「さて、明日はどんな子が来てくれるのでしょう」


 そうしてネコの姿もここから消える。

 また、どこかで、子どもが死へと誘うネコと遊んでいる。

 

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少年とネコ 奏 舞音 @kanade_maine

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