第16話 一緒に演奏してくれる?
マスターにお昼をご馳走になって一度寮に戻り、夕方再び来たのだが、どういうわけか来客は想像以上に多かった。
それだけ、故人の友人が多かったのか。
「ひゃー、すっごいねえ」
諷杝が声を上げる。
「ああ、全く」
也梛もうなずいた。
しばらくしてざわめいていた場内が、急に静まり返った。
舞台の上に、一人の少女が出て来た。両手にそれぞれ、バイオリンと弓を持っている。
その少女を見て、
「――え?」
也梛と諷杝の声が重なった。
「マスター?」
諷杝が隣のマスターを見ると、彼は唇の前に人差し指を立てて、そっと言った。
「あの子がお孫さん」
也梛は半ば呆然として少女を見つめた。
――まさか。――マジで?
(いや、でも確かにあれは……)
「
いつも飄々としている諷杝までもが、どこか戸惑っているようだった。
そう、あれはどう見ても笠木矢㮈だった。
也梛は彼女がバイオリンを構えるのを見ながら、ようやく一つ納得した。
(あいつ……だから包丁慎重だったのか……)
バイオリンもピアノと同じく指は大切である。今に至って、ようやく先日の矢㮈の様子が理解できた。
そして、マスターの話で彼女が向かっていた対象がバイオリンであったことを知る。忙しかったのは、少しでもブランクを埋めるためだ。
それから、音楽室での打楽器演奏会の後、彼女は言っていた。
また演奏会をしてほしいと。今度は諷杝も一緒に。
そして、『あたしの一番の楽器で』――。
カスタネットでもなく、タンバリンでもなく。
「バイオリンだったのか……」
シンプルなワンピースが上品さを出して、バイオリンと矢㮈は一つのシルエットになる。
客の視線を一身に浴びて、彼女は弓を動かし奏で始めた。
気付いた時には、拍手の音しか聞こえなかった。
そして、矢㮈の目からは涙がぼろぼろとこぼれていた。
一番前の席で、弓響が手をたたいているのが見える。その横には祖母がいて、微笑んでいた。
「――ありがとうございました」
声を出したはずなのに上手く出なくて、頭を下げるだけになった。
もう一度顔を上げて、たくさんの客がいることを確かめるように胸に刻み込む。ほとんどの人が立っていた。イスが足りないくらい人がいたのだ。
カウンターの所で、マスターの笑顔を見つける。今日こうして演奏できたのは、彼のおかげだ。
――そして。
矢㮈はカウンターの隅で手をたたく彼らの姿を見つけた。
涙で視界がぼやけているのかと思い、ごしごし拭ってからもう一度見る。
――間違いない。しかし何で彼らが……?
「……諷杝……高瀬……」
本当は一番聞いてほしかった彼らが、どうして――。
諷杝がいつものように優しく笑って手を振る。その横で、高瀬が仏頂面でない顔で手をたたいていた。
矢㮈の後には別の音楽家たちが演奏し始め、とりあえず控え室でほっと息を吐いた。
丁寧にバイオリンを片付けながら、軽く弦に触れた。
「……大丈夫だったよ、おじいちゃん……。皆、ちゃんと聞いてくれたよ」
祖父も天国で聞いてくれていただろうか。
「姉貴! お疲れ」
弓響がやってくる。
「ばあちゃんも褒めてたよ。もうじいちゃんのバイオリンと帰っちゃったけど」
「そっか、ありがと。あたしも久しぶりに楽しかった」
バイオリンを弾く楽しみを、改めて実感した。
バイオリンのケースの蓋を閉めた時、控え室に二人がやって来た。
「お疲れ様。良い演奏だったね」
諷杝が言って微笑む。高瀬はじっと矢㮈のバイオリンケースを見ていた。
「何で二人がここにいるの!?」
矢㮈が思わず声を上げると、弓響が唇に人差し指を立てた。
「しーっ! 今も演奏中なんだから」
「あ……うん」
諷杝がクスリと笑って、経緯を説明してくれた。つまり、マスターと知り合いだったのだ、二人は。
「でもまさかマスターの話の子が君だったとはね。驚いた」
「こっちもまさか二人がマスターの知り合いだったなんて……」
突然、諷杝と高瀬を見比べていた弓響が、「ああ」と納得したようにうなずいた。
「そっか、分かった。姉貴が一緒に演奏したい人たちって、この人たちのことか」
「ちょっ、弓響っ……」
「楽しい人と、気難しいヤツ、だったっけ?」
諷杝と高瀬がそろってきょとんとする。すぐに諷杝が吹き出した。
「楽しい人は僕だよね? 矢㮈ちゃん。んで――気難しいヤツは君、也梛」
高瀬がいつものように冷たい目で矢㮈を見、
「なるほど。お前にしては的確な表現だ」
全く褒めていない口調でそう言った。
ほら、そういうところが――矢㮈はぷいと横を向いた。
その頭に、優しい手が載る。
「へっ?」
目の前に諷杝の笑顔があった。頭を軽くたたかれながら、
「大丈夫。僕も也梛も、君の音に聴き惚れてたから」
その声に、また涙が出て来た。
諷杝のギターに、高瀬のピアノに、自分も一緒に演奏したいと思ってここまで来た。
二人に、いつか自分のバイオリンを聴いてほしくて――。
矢㮈はなぜだかほっとして、諷杝の腕にしがみついて泣いていた。
***
六限終了後、矢㮈は鍵付き個人ロッカーからバイオリンケースを取り出した。それを手に、屋上に向かう。
一番乗りだと思っていたのに、そこにはもう彼ら二人の姿があった。
一人はにっこり笑って。一人は仏頂面で。
一人はギター袋を手にして。一人はキーボードケースを横に置いて。
矢㮈は手早くケースからバイオリンを出すと、二人の前に少し離れて立った。
「二人に聴いてもらいたい曲があるの」
諷杝も高瀬も何も言わず、黙って矢㮈を見ていた。
礼をし、すっと息を吸い込んで構える。
そして弾き始めた。
「!」
二人がそろって目を見開いたのが分かる。そう、この曲は諷杝にもらった楽譜の曲だ。もう見ないで弾ける。
ずっと、バイオリンで奏でてみたかった。
この曲があったから、二人に出逢えて今がある。
どこからか白い鳩が飛んできた。イツキだ。
さわりの部分を弾き終えた矢㮈に、二人が自然と拍手をする。
「諷杝……一緒に演奏してくれる?」
諷杝を見る。彼は笑ってうなずいた。
「もちろん。楽しそうだね」
矢㮈は高瀬を見た。
「高瀬……タンバリンじゃないけど……演奏してくれる?」
高瀬はふうと一息つくと、横に置いてあったキーボードケースに手を伸ばした。まだ一度も、彼のキーボードは聴いたことがない。
「――今度はピアノじゃなくてコレだけどいいか?」
「! ――いいっ!」
うれしくて、つい高瀬の肩をバシンとたたいてしまった。
「痛い! お前、調子に乗るなよ!」
高瀬が言って、諷杝がクスクスと笑っていた。
こうして、彼女たちの音楽が幕を上げた――。
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