Double Game 8
夕闇が濃くなってきた街角は、帰宅を急ぐサラリーマンやOLで賑わっていた。
人ごみに逆らい、向こうからくる人と、時折り激しく肩をぶつけながら、わたしは明かりの
どうしてこんなときに、いろんなことが、いっぺんに起こるんだろ。
小説コンクールで川島祐二に抜かれたことだけでも、じゅうぶんショックだったのに、森田美湖が『フェスティバ』に乗って、カメラマンのような男の人と、長崎に行っていたなんて。
その『カメラマンのような男の人』ってのは、もしかして、川島祐二とは違う人かもしれない。
『フェスティバ』だって、そこら辺をたくさん走ってる、ありきたりなクルマ。
彼女たちにひと言、『写真見せて』って言えば、はっきりわかること。
だけど、そんなこと、できるわけない。
真実を知るのが、わたしは怖い。
ほんとのことを、目の前に突きつけられるのが、怖い。
たとえ、99.9%、写真に写っていたのが、森田美湖と川島祐二だったとしても、残りの0.1%にすがっていたい。
なんだかみじめ。
どうしてわたしばかり、こんな辛い想いをしなきゃいけないんだろ。
『さつきちゃんのこと、好きだよ』
って言ってくれた、川島君の言葉は、嘘なの?
『ずっと友だちでいようね』
って言ってたみっこの言葉も、嘘だったの?
そんな口当たりのいい言葉の裏で、ふたりはわたしにないしょで、会っていたっていうの?
わたしの不安な気持ちを思いやってもくれず、どうしてふたりで会ったりできるの?
ふたりでいったい、なにをしているの?
ううん。
脇役はもう、わたしの方なのかも。
ふたつの気持ち。
ふたつの心。
ふたつのできごと。
それらは互いに重なりあい、反発しあって、わたしの心をグルグルまわる。
ダブル・ゲーム。
わたし…
川島祐二や森田美湖に、もう会えない。
会いたくない。
ふたりに対して、こんなにも気持ちが
ふたりの顔を見ると、わたし、なにを言い出すかわからない。
わたしはなんとかして、自分の気持ちを切り替えたかった。
だけどそんな理性とはうらはらに、わたしの感情は暴走して、次から次に、よくないこと、悲観的なことばかり考えていく。
『なんとかしてよ!』
わたしは心の中で叫んだ。
いったいどうすれば、この心は安らぐんだろう?
今までだったら、川島君の側にいれば、わたしはほんとうに幸せな気持ちになれた。
みっこの側にいれば、気持ちがはずんで、自分の夢はみんな叶うような気がしていた。
だけど…
今だけは、そのふたりに頼ること、できない。
『川島祐二』と『森田美湖』というふたりの人間が、いつの間にか、わたしの心のなかの大きな部分を占めていたことに、わたしは今さらながら気がついた。
今のわたし…
このふたりを抜きにしては、ふつうの自分でいられないようになってる。
そして、それに気がついたときは、そのふたりのこと、失おうとしているときなの?
運命はどうして、そんなに残酷なの?
地下街を行くあてもなく歩いていたわたしは、思いついたように立ち止まり、近くのブティックに飛び込む。
試着もせずに、ワンピースを買った。
続いて本屋に入ると、目についた本をあれこれ、衝動のままに買っていく。
ふらりと寄った喫茶店では、たいして食べたいとも思わないケーキセットを注文して、一気に食べてしまった。
だけど、どんなことをしても、もう気持ちを切り替えることなんて、できない。
「川島君に、みっこに、いてほしいのに…」
人ごみを避けた地下街の、薄暗い階段の陰で、買ったばかりのワンピースの紙袋を抱きしめて、わたしはつぶやき、うつむいた。
涙がぼろぼろとこぼれて、紙の包みにしみをつくった。
“カーン カーン カーン”
いったいどのくらい、そうしていたんだろう。
わたしは時計の鐘の音で、ハッと我に返った。
ふと目を上げると、向こうに見えるインフォメーションの仕掛け時計の針が、8時を差していて、可愛らしい人形たちが、『皇帝円舞曲』を踊っている。
涙で人形のダンスは歪んでぼやけて見える。
まるで夢のなかで
人形の踊りに釣られるように、フラフラと、わたしは仕掛け時計の方に歩いていった。
『ここは…』
そう。
それは去年の秋、みっこといっしょに眺めた、仕掛け時計だった。
あのときわたしは、川島君との別れを覚悟して、みっこにここまで来てもらったんだっけ。
ふと、隣にみっこがいるような錯覚がよぎる。
『さつき。海を見に行こうか?』
真っ赤なカーネーションを差し出して、わたしを元気づけてくれた、森田美湖が…
わたしは無意識のうちに、近くの電話ボックスの扉を開ける。
この電話ボックスも…
去年、川島君にお別れの電話をかけた場所だ。
わたしは、過去の幻影に背中を押されるかのように、公衆電話の受話器を上げて、テレフォンカードを差し込み、プッシュホンのダイヤルを押していた。
もうすっかり、指が覚えてしまった、川島祐二の家のナンバー。
RRRRR… RRRRR… RRRRR… RRRRR… RRR…
5回目のコールで、受話器を上げる音がして、電話がつながった。
「はい、川島です」
少し低い、すっかり耳に馴染んだ愛しい声が、受話器のスピーカーを通して、くぐもった音で響いてくる。
少しの沈黙のあと、わたしはため息を漏らすように言う。
「…川島君?」
「さつきちゃん?」
「ごめんね。こんな夜に電話して」
「こんなって。まだ8時だよ」
「…そっか。なんだか一日が、とても長かったから…」
「どうしたんだい? 元気ないけど、なにかあったのか?」
「ん… ちょっと…」
「言ってみてよ」
「なんでもない」
「そんなこと、ないだろ?」
「大丈夫」
「ぼくに言えないこと?」
「…」
「もしもし?」
「…」
「さつきちゃん?」
「…」
「どうしたんだ?」
「…」
「さつきちゃん?! なにか言ってくれよ」
「…川島君」
「なに?」
「長崎に… 行った? …みっこと」
「…」
少しの沈黙のあと、川島祐二はひとこと、答えた。
「行ったよ」
END
25th Jul.2011
19th Jan,2018改稿
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