Summer Vacation 10
東京に戻ってきたのは、その翌日の夜だった。
藤村さんお勧めの新宿のレストランで夕食をとったあと、わたしたちはそれぞれ帰途についた。
「さつきは今夜は、川島君のところに泊まったら?」
藤村さんと駅のコンコースで別れたあと、切符を買いながらみっこは、出し抜けにわたしたちに言った。
「えっ? みっこ?」「みっこ?」
わたしと川島君の返事が、思わずハモる。
みっこのこういう気まぐれには慣れているつもりだけど、あまりに唐突すぎて、わたしと川島君は顔を見合わせた。
「さつきは明日の午後の新幹線で帰るんでしょ? いっしょにいられるのは今夜で最後じゃない。さつきん
「そ… そりゃ、まあ、そうだけど…」
ちょっと口ごもる。あまりに図星だったので、逆に戸惑ってしまう。
みっこはわたしたちにニッコリと微笑んだ。
「心配ないわよさつき。もし家から電話があっても、適当にごまかしといてあげるから」
「う… ん。ありがと」
「うちに置いてある荷物は、お部屋に置いている家へのお土産と、クロゼットにかかってる服と着替えだけでしょ?」
「うん…」
「じゃあ明日、東京駅に見送りに来るときに、全部持ってきてあげる」
「ほんとにいいの?」
「もちろんよ。邪魔者はもう、消えるわね」
そう言いながらわたしに軽くウィンクをし、みっこは川島君を見る。
「川島君も… ずっとさつきを独り占めしてて、ゴメンね」
「いや… そんなことはないけど…」
「今夜はふたりでゆっくりしてね」
「みっこ…」
「じゃ、あたしはここで。あたしはJRだけど、川島君は小田急でしょ。おやすみ」
「ああ… おやすみ」
「おやすみ…」
わたしもだけど、川島君の言葉も、なぜか歯切れが悪い。
ふたりともこの突然のなりゆきに、それぞれなにか、引っかかるものを持っているからかな?
みっこはわたしたちに軽く手を振ると、素早く
「みっこ!」
川島君は思わず、彼女を呼び止めた。
改札を抜けようとしていたみっこの足が、川島君の声でピタリと止まり、一瞬の間があって彼女は振り返り、川島君をじっと見つめた。
「…さよなら。川島君」
「あ… ああ。さよなら」
「…」
なにか言いたげに、みっこは川島君を見つめていたが、ふっと視線をはずし、そのまま早足で改札を抜けて、プラットホームへの階段を駆け上がっていった。わたしと川島君はしばらく、そのうしろ姿を呆然と見送っていた。
「行こうか? さつきちゃん」
「え? ええ」
先に我れに帰った川島君はわたしを促すと、財布のなかから私鉄の回数券を取り出し、わたしに一枚渡してくれた。わたしたちはみっこが消えていった改札と反対の、私鉄の改札を通って、出発待ちの電車が並んでいるプラットホームに出た。
「まったく… みっこって、いつだってひとりで、なんでも決めちゃうんだから」
夜になっても乗客の多い準急のドアに立って、わたしは川島君に話しかけた。
「気を遣ってくれるのは嬉しいけど、『邪魔者』だなんて。なんだか気を回しすぎてるみたいで、みっこに無理させてるみたい。そう思わない? 川島君」
「え? ああ。そうだな」
ぼんやり外の景色を眺めていた川島君は、気のない様子で生返事をした。なにか他のことを考えているみたい。
「なに考えてるの?」
「…別に」
「なんか変」
「そうかな? いつもと同じだけど」
ううん。同じじゃない。
いつもの川島君なら、わたしの話を虚ろに聞いているなんてことは、ない。
川島君はいったい、なにを考えてるのかしら?
さっき、みっこが改札を抜けようとしたとき、川島君はなにか言いたげに、思わず彼女を呼び止めた。いったいみっこに、なんの話があるというの?
あ…
そう言えば…
『あたしはJRだけど、川島君は小田急でしょ』
みっこは川島君が、小田急線沿いに住んでいることを知っていた。今度の旅行では、みっこと川島君の間で、そんな話はしなかったはず。
それに…
どうしてわたしは今まで、このことに気がつかなかったんだろう。
「川島君。『みっこ』って、呼び捨てにするのね」
「え? そうだっけ? さつきちゃんがそう呼ぶのをずっと聞かされてたから、移ったんだろ」
そんなことは気にもとめず、川島君は外のビル街の夜景を見つめたまま、ぶっきらぼうに答えた。
ううん。
今思い返せば、川島君は今度の旅行で、みっこと会ったときから、森田美湖のことを『みっこ』って呼んでいた。東京に行く前までは、確かに『みっこちゃん』って呼んでいたのに…
「川島君。みっこと… なにかあったの?」
「なにかって?」
「だから… なにかよ」
「別に… なにもないよ」
「ほんとに?」
「…ああ」
「でも、仕事のときとかに、会ったんでしょ? みっこと」
「まあ、会ったけど」
「そのときとか、なにもなかった? 正直に言ってよ」
「さつきちゃんは、ぼくを疑ってるのか?」
「…そ、そんなこと」
川島君のちょっと苛ついたような口調に、わたしはびっくりして肩がすくみ、思わず黙ってしまう。
川島君がわたしに、こんな風に苛立ちを見せたことなんて、なかった。
いったいどうしちゃったの?
東京に行ってる間に変わった、川島君の森田美湖への呼び方の裏にある、妄想じゃない事実を、知ってしまうのが怖くて、わたしはそれ以上、みっこのことは追求できなかった。
新宿から30分ほどのところにある、『百合ケ丘』という小さな駅で、わたしたちは電車を降りた。
「都心からは少し離れてるのね。神奈川県になってたわ」
なにか話題を探さなきゃと思い、電柱の標識を見ながら、わたしは川島君に言った。
「都内は家賃が高くてね」
「そう…」
「…」
「東京も、暑いね」
「そうだな」
「…」
「…」
川島君は、自分からはなにもしゃべらない。
わたしももう、なにをしゃべっていいか、わからない。
わたしたちは夜の歩道を、言葉少なに歩いた。
つづく
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