Rainy Resort 3
麓の草原を抜けると、『森の観察コース』は、うっそうとした森へと入っていく。
森のなかはとっても静かで、サクサクと枯葉を踏みしめるわたしたちの足音以外、物音ひとつしない。
名前も知らない鳥の羽音が、ときおり静寂を破って響き渡る。
川島君はカメラを構えて、森の景色や木漏れ日が溜まった葉っぱ、苔に覆われて貫禄のついた、大きな樹の幹なんかを撮っている。
道の横を流れる川は、硫黄を含んでいるらしく、茹でた卵のような匂いが、ツンと鼻をつく。
「綺麗なお水ね~。この匂いって、『温泉に来たんだな~』って感じ」
みっこは道からはずれて小川へ降りていき、川のほとりにしゃがみこみんで、水に手をひたす。
「冷たくていい気持ち」
そう言ってみっこは、水をすくう。川島君はそんなみっこにレンズを向けて、何枚かシャッターを切った。
「やっぱり森田さんは撮りやすいな」
「ふふ、ありがと。川島君も撮られやすいわよ」
レンズを向けられ、条件反射のように軽くポーズをとったみっこは、道に戻りながら川島君に応える。
「プロのモデルさんにそう言ってもらえるのは、嬉しいよ。そのうち、モデルしてくれないかな」
「今してるじゃない?」
「ちゃんとした作品づくりに、ってことだけど… 森田さんはプロだから、無理か」
「あら? 諦め早いわね。オファーがあれば、受けるわよ」
「『オファー』ってのが、なんだかすごそう」
「川島君。みっこのモデル料って、高いのよ」
わたしが口を挟むと、みっこは愉快そうに笑った。
「さつきは友だち料金で、安くするわよ」
「え? ぼくは?」
「川島君は、『友だちの彼氏料金』ってことで、割り増しかな~?」
「え~? なんか理不尽だな~」
「あは、冗談。でも川島君って、どこへ行くにもカメラを離さないのね」
「まあね。写真はぼくの日記代わりだから」
「男の人って、なにかに熱中したら子どもみたいなのね。可愛い」
「男なんて、一生子どもだよ」
みっこの冷やかしに、川島君は頬を赤らめて応えた。
「川島君は、なにを撮るのがいちばん好きなの?」
みっこの問いに、川島君は少し考える。
「景色も好きだけど、やっぱり人物かなぁ。だけど人物はポーズとかライティングが難しくてね」
「バカねぇ」
「え?」
「そういうときは、『さつきちゃんを撮るのがいちばん好き』って答えるものよ」
みっこは笑いながら、川島君をからかう。
「そうかぁ~。あまりにもあたりまえ過ぎて、そう言うの忘れてたよ」
フォローした川島君に、わたしはちょっとむくれて言う。
「む。ちょっとわざとらしいんじゃない? そんな、見え見えの手に乗るわたしじゃないですよ~」
「あ~あ、川島君。さつきを怒らせちゃった。あとで美味しいものでも食べさせて、ご機嫌とってあげなきゃね」
「さつきちゃんは食べ物で釣れるから、いいよな」
「んもぅ。当たってるだけに、悔しいじゃない」
「ペンションに戻ったらすぐに夕食だよ。豊後牛のステーキが出たら、さつきちゃんに少し分けてあげるよ」
「ん~… まあ、許してあげるわよ」
「よかったわね。川島君」
そんな、なんでもないような会話を交わしながら、わたしたちは森の中をつらつらと歩く。
30分くらいで『森の観察コース』は終わり、日も暮れたので、わたしたちはペンションへ引き返した。
部屋で落ち着くひまもなく、わたしたちはすぐに食堂に降りていき、テーブルについた。
今日は平日というのもあって、セッティングしてあるテーブルは、わたしたちの他にふたつしかなかった。
わたしたちと同じ年齢くらいの女の子4人のグループと、恋人同士らしい若いカップルが、それぞれのテーブルにやってきて、食堂は少し賑やかになった。
「コンソメと
口髭を生やしたペンションのオーナー兼シェフらしい人が、涼しげなガラスのスープ皿を持ってきて、ディナーがはじまった。
ヴィシソワーズは、ジャガイモの歯触りがわずかに残っていて、さっぱりして美味しいし、大分名産のカボスで酸味を整えたサラダも、野菜がしゃっきりしていて食欲をそそる。
脂が勢いよくはじける音を立てて運ばれてきた豊後牛のステーキは、ワイルドだったけど、とってもやわらかくってジューシィで、旨味がある。川島君の分を一切れもらって、さらに満足(笑)。
食後のデザートのアイスクリームは、ハーブが入っていて爽やか。チーズケーキもまったりとコクがあって、ディナーの最後を飾るのにふさわしかった。
「とってもおいしかった!」
みっこは満足そうに、エスプレッソのデミタスカップを、口もとに運びながら微笑んだ。
モルディブでは毎日がいろんなできごとの連続で、めまぐるしくて慌ただしかったけど、今度の旅行はなんだかとってものどかで、久し振りにゆっくりできた気がする。
コーヒーを飲みながら室内を見渡していたみっこは、隣のリビングルームを見て、目を輝かせた。
「グランドピアノがあるわ! しかも白。ペンションの名前のとおりね」
リビングルームの方を見ると、確かに部屋の窓際に、白いグランドピアノが置いてあった。
「そう言えばみっこは、『ピアノを弾くのが趣味』って言ってたわね」
「ええ。うちにもあったでしょ。『グラビノーバ』だけどね。でも電子ピアノより、やっぱり本物のグランドピアノの方が、響きがよくって、弾いててご機嫌なのよ」
「わたし、みっこのピアノ聴いてみたいな」
「最近あまり弾いてないからな~… 指がちゃんと動かないかも」
「ぼくもピアノ曲は大好きなんだ。特にショパンとかドビュッシーとか。弾けるんだったら聴かせてよ」
「川島君… そうなんだ」
「どうぞ。弾いていいですよ」
お皿を下げにきたオーナーさんが、親しげにみっこに微笑んで言った。
「え? ありがとうございます。じゃあ…」
みっこは席を立ち、グランドピアノのトップボードを開けると、鍵盤の前の椅子に座って、高さを調節する。わたしたちも食事を終えて、ピアノの回りのソファーに腰をおろした。
つづく
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