CANARY ENSIS 10
「はじめまして。あなたがみっこの友だちの弥生さつきさんだね」
そう言って、眼鏡をかけて開襟シャツを着た、40歳くらいの知的な顔立ちの男性が、みっこの隣に立っていたわたしに近づいてきた。
「わたしの事務所の社長兼マネージャー、高野さんよ」
みっこが、わたしに紹介する。
「はじめまして。おはようございます!」
「元気いいね。今回はマネージャー代理のお仕事、ご苦労さま。みっこがどうしても『早い便で現地入りしたい』って言うけど、ぼくの予定がつかなくてね。今回はありがとう」
「い、いえ。わたし、たいしたことできなくて」
「あのみっこが、『君をぜひに』っていうくらいだから、ふたり、仲がいいんだね」
そう言って高野さんは微笑んだ。
『あのみっこ』って…
みっこってモデル業界の中じゃ、すごく存在感あるんだな。
「これからはぼくがみっこのスケジュールとか見るから、弥生さんは彼女の面倒を見てくれるだけでいいよ」
「心配しないでさつき。あたし面倒なんてかけないから」
そう言ってみっこは笑う。わたしのマネージャー代理の仕事は、もう終わったってことか。こんな楽な仕事でここにいて、なんだか申し訳ないな。
「あ、さつきちゃん、ヒマそうね。ちょっとそこに立ってみて」
みっこの側にぼんやり立っていたわたしを見て、星川先生がそう言い、空を覆ったディフューザーの下で日射しが柔らかくなっている、砂浜の真ん中を指差した。
「ここですか?」
わたしは、大きなアンブレラがついたストロボに囲まれた、指示された場所に立つ。
「いいわよ。そのままね~」
そう言って星川先生は黒い幕を被って、カメラのファインダーを覗き込む。首藤さんが露出計を、わたしの顔の前にかざした。
“パシッ”
一瞬真っ白い閃光が光り、思わず目をつぶってしまう。首藤さんは露出計の数値を、星川先生に告げた。
「顔、F16」
「もうちょっと開けるわよ。ハレ切って測ってみて~」
首藤さんが露出計に手をかざして、わたしの前をあちこち動かし、続けざまにストロボが光った。
「いいわね~。これで一度ポラ切ってみましょ。さつきちゃん、ちょっとポーズ作ってみてよ」
「え? ポーズって…」
そんな、いきなり言われても、どうしていいかわからない。
わたしは適当に脚を交差させ、両手を前に組んでみた。
「あら、可愛いわね~。じゃあそのままね」
そう言って星川先生はシャッターを切り、またストロボが光った。
う~ん。なんだかモデルになったみたいで、ちょっと気持ちいいかも。
星川先生は蛇腹のついた大きなカメラから取り出したポラロイドフィルムを、パンパン叩いたり手でこすったりしていたが、しばらくするとそれをみんなで覗き込んで、何ごとか話し合っている。
「さつきちゃん、もう一度ね~。は~い、いくわよ~」
ストロボの位置やカメラの設定をちょこちょこといじったあと、星川先生はそう言ってまたシャッターを切った。そういうのを何回か繰り返して、星川先生は宣言するように言った。
「こちらはいいわよ~。ぼちぼちいきましょうか」
その声で、現場の空気が一瞬、緊張する。
みっこはディレクターチェアから立ち上がり、羽織っていたローブを脱ぎながら、こちらに歩いてくる。
昨日着ていたハイレッグカットのビキニの水着。
「交代よ。さつき、可愛かったわよ」
わたしの肩にポンと手をかけて、みっこは微笑んだ。
「じゃあ、いくわよ~、みっこちゃん」
星川先生の言葉で、みんながいっせいにみっこに注目する。わたしもみっこが座っていた椅子の側から、ビーチに立つ彼女を見つめた。
えっ…
さっきまでの彼女と同じ筈だけど、なにかが違っている。
みっこの表情は厳しい。真剣そのもの。
彼女は鋭い瞳で、カメラを構えた星川先生を見つめる。
ちょうど、ネコ科の動物が獲物を狙うような、相手の動きのすべてを、見切ろうとするかのような視線。
「じゃあ、最初は軽くね。みっこちゃんいいわよ。そう。目線ちょうだい」
先生がそう言うと、みっこは大きく息を吸い、気合いを入れるように、一瞬両手を握りしめると、まるで人が変わったかのようにこやかな表情になって、くいっと胸を張り、腰をきゅっとひねってポーズを作って、カメラを見つめてニッコリ微笑んだ。
「いいわよ~。そのまま目線飛ばして~」
指示を出しながら、星川先生はどんどんシャッターを切る。そのたびにみっこは、ポーズを少しずつ変えていく。
わずかに肩をすぼめ、首をかしげる。
唇のかすかなニュアンスが変化していき、夏らしい明るい笑顔から、ちょっとアンニュイさを込めた微笑みまで、様々な笑顔を見せる。
そうしながら、ゆっくりと砂浜に腰をおろし、女らしさを強調するかのように優美なウエストラインを作り、愛らしくレンズを見つめる。
いつものみっこと違わないようで、どこかいつもとまったく違う…
すべてがよそいきの表情で、それがとっても絵になっているんだ。
そしてすごいのは、どんなポーズをとっても、シャッターを押す瞬間、ピシッとポーズが止まること。
脚を上げるようなポーズでも、みっこはからだの芯が少しもブレることがない。それはダンスでからだを鍛えているからこそ、できることなんだろうな。
『あたしのからだは『アート』なのよ』と言うのも、あながち冗談じゃないのかもしれない。
それは、自分のからだを芸術にまで高める努力をした、みっこのプライド。
「さつきちゃん、そんな所で見てないで、こっちにおいでよ」
星川先生のうしろで、撮影の様子を見守っていた藤村さんが、わたしを手招きした。
藤村さんが座っている椅子の横のテーブルには、今回の撮影の資料やカメラの機材、絵コンテ、試しに撮ったポラロイドフィルム、それに飲みかけの缶コーヒーやスナック菓子、灰皿にてんこ盛りになったタバコの吸い殻なんかが、雑多に置かれている。
「ほら、さつきちゃん。さっきのポラだよ」
そう言って藤村さんは、砂浜に立っているわたしが写った、ポラロイド写真を見せてくれる。
モデルは置いといて、それはとっても鮮やかな、素敵な写真だった。
まるで化粧品のコマーシャルのような… って、あたりまえか。
「すごい! モデルは悪いけど、素敵です!」
「ははは。そんなことないよ、可愛く写っているじゃないか。さつきちゃん。この写真、記念にあげるよ」
藤村さんはわたしの写っている写真を集めて、差し出してくれた。
「いいんですか?! これ、いただいても」
「かまわないよ」
「ありがとうございますっ!」
ふふ… なんか嬉しい。
みっこのポスターとお揃いの写真だなんて。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます