CANARY ENSIS 9
食事をすますと、わたしたちは急いで支度を整え、撮影予定の水上コテージのあるビーチへ出た。
途中、川島君は撮影機材を置いた部屋へ入り、大きな銀色のアルミバッグと三脚やスタンドが入ったバッグを、両肩に担いで持って出てくる。
「うわ。すごい、川島君、それひとりで持てるなんて!」
「はは。カメラマンは体力勝負だから。このくらいは担げなきゃな」
そう言いながら機材を運ぶ彼は、なんだか頼もしかった。
「おはよう。川島君にさつきちゃん。ずいぶん早いわね」
「お、川島君。もう機材出してるのか。熱心だな」
星川先生と首藤さんたちが、カメラを抱えてビーチにやって来て、わたしたちに挨拶してくれた。川島君はまるで、ずいぶん前からアシスタントの仕事をしていたかのように、みんなに自然に混じって撮影機材を組み上げていく。途中から藤村さんも姿を見せた。
「やあ、さつきちゃん、おはよう。モルディブの朝はどうだい?」
「おはようございます。とっても気持ちいいです」
「それはよかった」
挨拶のあと、藤村さんは今日の撮影の流れと、変更になった部分などを伝えてくれた。
マネージャー代理のわたしの仕事は、みっこのスケジュール管理と、身の回りの世話。
「じゃあわたし、みっこの様子を見にいってきます」
そう告げてわたしはホテルに戻り、みっこの部屋をノックした。
「はい」
返事があって、みっこが顔を出す。
「よろしくね。マネージャーさん」
みっこはそう言って、ウィンクした。
あらかじめ貰っていたスケジュール表を取り出し、わたしはみっこに今日のスケジュールと、藤村さんから言われた変更点を告げる。
午前中にポスターのメインビジュアルを何パターンか撮影し、お昼の休憩を挟んで、午後からは機関誌のカット撮影。他にも販促物のイメージカットや、雑誌用の写真など、今日だけでもいろんな撮影があるみたいで、大変そう。
「おなかすいたぁ~」
鏡台の前で、仲澤さんからメイクのベースを塗ってもらいながら、みっこは声を上げる。
「みっこ、朝ごはん食べてないの?」
「朝ごはんどころか、昨夜のご馳走にもあまり手をつけてないわよ」
「えっ? どうして?」
「だって今日はいきなり水着撮影でしょ。おなかぽっこりじゃ、仕事にならないもの。あ、さつき悪いけど、冷蔵庫の中にチョコレートとミルクがあるから、取ってちょうだい」
わたしは冷蔵庫から、チョコレートを取り出し、牛乳をコップに注ぐと、みっこに差し出す。
「ありがと。メイクができあがる前に、栄養だけはつけとかないとね。美穂さん、ちょっと待って」
仲澤さんにそう言って手を止めさせると、みっこは大急ぎでチョコレートをかじり、ミルクを数口飲んだ。
仲澤さんはみっこの肌の調子を、念入りにチェックしている。
化粧品のCMだから、その辺は気を遣うんだろうなぁ。
『最近はパソコンで、肌のトラブルを修正できるようになってきた』と、星川先生たちが話していたけど、最初から綺麗な肌の方がいいに決まってるわよね。
「みっこちゃん、うまい具合にほんのりと焼けたわね」
「でしょ。水着の線とか気をつけていたし、ムラにもなってないでしょ。美穂さんが上手に日焼け止め塗ってくれたおかげよ」
「どういたしまして。だけど羨ましいわ~。みっこちゃんってお肌のトラブル、全然ないんだもの」
「ありがと。それって、仕事しないでグータラ大学生してたおかげかも。忙しくなってきたら、いやでも肌が荒れてくるわ」
「あは。またそんなことを」
仲澤さんはそう言って微笑む。昨日はあんなに緊張していた彼女だけど、一晩のうちにもうすっかりみっこと打ち解けて、リラックスしている。
「メイクだいたいできた? そろそろ髪をあたらせてちょうだい」
そう言いながら、ヘアメイキャッパーのYUKOさんが部屋にやってきた。
「みっこちゃんも今年でもう、
「え~。YUKOさん、全然そんなことないわよ。むしろ若返った気がするわ」
「そう? やっぱり愛のチカラかしら?」
「そう言えば、前の彼氏さんとは、あれからどうなったの?」
「それっていつの前カレ? みっこちゃんがお休みしている間に、わたしも愛の遍歴、重ねたわよ」
「それでますます女に磨きがかかったのね。YUKOさんって、男の生気を吸って生きてるみたい」
「まあ。人を吸血鬼みたく言っちゃって。相変わらず口の悪い子ねっ」
そう言いながらYUKOさんは機嫌よく、みっこの髪を巻いていく。
「みっこちゃん。お久し振り~」
しばらくすると今度は、長い巻き髪が綺麗な、背の高い女の人が、みっこに小さく手を振りながら、部屋のドアから顔をのぞかせた。
「お久し振りですー。瀬奈さん!」
みっこも応えるように、笑顔で手を振る。
「みっこちゃんがモデルだって聞いたから、今日は張り切って服選んできたわよ。ほら、これなんか可愛いでしょ。機関誌用のリゾート着にと思って」
『瀬奈さん』と呼ばれた女性は、はしごレースとピンタックが綺麗に並んだ白いワンピースを、自分に当てて見せる。ああ。この人はスタイリストさんなのね。
「わぁ、綺麗なラインですね。背が低いあたしでも、着こなせそう。さすが瀬奈さんチョイス!」
髪を巻かれながら、みっこは瀬奈さんのかざしたドレスを見て、嬉しそうに微笑む。
撮影前だというのに、みっこの部屋はそんな緊張を感じさせない、なごやかな雰囲気だった。
メイクとヘアがだいたい完成して、わたしたちがビーチに出たときには、撮影セットも完成していて、三脚には蛇腹のついた大きなカメラが据えつけられ、砂の上にはたくさんの太いコードが這っていて、それがストロボなどに繋がり、3メートルくらいの高さに組み上げられたパイプの上には、大きな白い半透明のディフューザーが空を覆っていた。
みっこはビーチパラソルの下に置かれたディレクターチェアに腰かけて、仲澤さんとYUKOさんから最後の仕上げをしてもらいながら、藤村さんとデザインのラフ画を見て、動きやポーズの確認をしている。
南の島だというのに、暑苦しそうなスーツを着た男性や、それとは対照的な、個性的でラフなカッコをした男性が数人やって来て、それぞれ藤村さんに挨拶をする。彼の丁寧な対応を見ていると、どうやらクライアントのお偉いさんたちや、広告代理店のプロデューサーさんに営業さんたちみたい。撮影の現場はどんどん人が増えていき、賑やかになってきた。
『知らない人が増えてくると思うけど、さつきちゃんはとりあえず、元気よく挨拶していればいいよ』
と、藤村さんがアドバイスしてくれたので、そういう人を見かけるたびに、わたしは明るく挨拶するのを心がけた。
つづく
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