講義室の王女たち 4


 火曜日の午後はみっことは選択教科が違うので、別々に講義を受けて、ティータイムどきにカフェテリアになんとなく集まるのが、いつものパターン。


「あの… 弥生さん。今、いい?」

午後一番の講義のあと、筆記用具を片づけているわたしのうしろから、呼びかける女性の声がした。

振り向くと、そこに立っているのは黒髪でストレートボブの、瞳がクリクリと可愛い女の子だった。

「わたし、中原由貴ですけど… 覚えてます?」

「ええ、もちろん」

彼女とは夏休み前に、二、三度話したことがあった。

なにかの講義の時にとなりの席になって、資料を見せてもらったっけ。

恥ずかしがり屋のおとなしい子で、美術部に所属していて、趣味でイラストを描いていると、頬を赤らめながら話してくれたけど、そのとき以来、彼女と口をきく機会はなかった。

「弥生さん、今からカフェテリアに行くんでしょ? わたしもいっしょに行っていいですか?」

「え? いいけど…」

わたしの返事を聞いて彼女は『ほっ』と息をもらし、嬉しそうにうつむく。

いったいどうして、わたしに声をかけてきたんだろ?


 講義室からカフェテリアに続く長い廊下を、中原さんは大きな分厚いバッグを両手で抱えて歩く。しばらくはふたりとも黙っていたが、躊躇ためらいがちに、彼女は話を切り出した。

「弥生さんって… 森田さんと、仲、いいですよね」

「森、みっこ? ええ、まあ…」

「実は… 今日はお願いがあって…」

「お願い?」

「ええ…」

意を決したように、中原さんは真剣なまなざしをわたしに向けた。

「わたしに森田さん、紹介してくれませんか?」

「紹介?」

「あの… 弥生さんを利用するみたいで悪いんですけど。なんか、森田さんって話しかけづらくって。住んでる世界が違うって感じで…

でも、弥生さんはだれにでも気やすく接してて、いつもニコニコしてるから… 勇気を出して… お願いしてみようかなと」

中原さんはそう言いながらうつむき、リンゴのように頬を真っ赤に染めて、話を続けた。

「わたし、新しい絵を描こうと思ってるんだけど、今イメージしている絵のモデルを、森田さんにお願いできればと思って。コミックイラストと違って、絵画って、ちゃんとモデルいないと描けないし…」

「モデルねぇ… わたしはいいんだけど…」

そう答えながら、わたしは戸惑った。

学園祭のときの、被服科の小池さんの一件もあるし、みっこが簡単にモデルを引き受けるとは思えないんだけど。

「森田さんが学園祭のファッションショーのモデルを断った話は、知っています。森田さんって、東京から来たんでしょう? いい所のお嬢さんだって聞いているし、美人だしスタイルいいし、なんだか近寄りづらくって。わたしなんかが話しかけても、相手してもらえるかどうか…」

「そんなことないわよ。みっこって、見かけによらず気さくだし」

「それに森田さんって、モデルやってたじゃないですか。そんなプロの人にお願いしていいものか…」

「『モデルやってた』って…?」


どういうこと?

学園祭のとき、みっこは『モデルにはならない』と言ってたけど、『モデルをやっていた』なんて言わなかった。


「あ!」

そのとき、中原さんが声を漏らして立ち止まったものだから、わたしの思考は途切れた。

カフェテリアの入口に立って、中原さんは窓の方をまぶしげに見つめている。

そこには、ミキちゃんやナオミといっしょに窓際の席に座って、『午後の紅茶』を飲んでいるみっこがいた。

「あ。さつきっ」

わたしを見つけてみっこは手を振ったが、となりの中原さんに気がつき、『おや?』という風に小首をかしげた。

「みっこ、彼女は中原由貴さん。さっきの講義でいっしょになったの」

「中原由貴さんね? よろしくね」

みっこは愛想よく彼女に微笑みかける。それを見て中原さんも安心したのか、『よろしく森田さん』と挨拶してみっこの向かいの席に腰をおろし、いきなり本題を切り出してきた。

「わたし、美術部に入ってて、絵画とか、イラストとか描いてるんです。あ。これなんですけど…」

そう言って彼女は、手に持っていた大きなバッグから、A3サイズのクリアファイルを取り出し、みっこの前に広げた。

「わぁ。素敵なイラストね~! ねえ、見て見てさつき!」

彼女の絵を見ながら、みっこは感心したように言った。

「わぁ~」

「かわいぃ」

ミキちゃんやナオミもみっこの横からのぞき込んで、歓声をあげる。

中原さんの絵は、絵画もコミックイラストも、ふんわりと優しい色使いで、マリーローランサンの描く絵のような、甘いはかなさを漂わせていた。

甘美な官能の中にたゆたう美少女は、どことなく森田美湖に似ている気もする。

絵の技術や画材のことなんてわからないけど、中原さんの描く絵は、魅力的で好感が持てた。みっこも中原さんのイラストに魅せられるように、ページをめくっていった。

「あれ? この絵の女の子…」

みっこはそう言って、ページをめくる手を止めて首をかしげた。

それはバレエの衣装をまとった美少女のイラストだった。彼女の言葉に中原さんはポッと頬を染める。

「それ、実は森田さんをモデルにして描いたイラストなんです」

「え?」

みっこは不思議そうに中原さんを見つめる。彼女はバッグの中からもう一冊、クリアファイルを取り出しながら言った。

「実はわたし、ポーズやイメージの資料に、雑誌の切り抜きとかパンフレットとかたくさん集めてて、その絵はこの写真を参考にして描いたんです」

そう言って、彼女はクリアファイルのページをめくり、チュチュ姿でバレエのポーズをとっている美少女の写真をみっこに見せた。


え?

この美少女って。

もしかして…


「うっそ~おっ。これ、みこちゃん?」


最初に叫んだのはナオミだった。

そう。

まぎれもなく、その印刷物に写っている美少女は、森田美湖だった。

印刷物の中の彼女は、まだ小学生くらいだったけど、今と変わらない魅力的な微笑みを浮かべて、レオタードとチュチュ姿でわたしたちを見つめている。写真のはしには企業のキャッチコピーが入っているから、それがなにかの広告の切り抜きだというのはわかった。

「森田さんの写真、わたし偶然切り抜きしてて。他にもあるんですよ」

そう言いながら、中原さんは付箋ふせんのついたファイルのページをめくる。化粧品会社や銀行、保険会社と、いろんな表情をしたみっこが、次々と現れた。


つづく

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