講義室の王女たち 5

わたし、知らなかった。

みっこは実際に、もうこんなに、たくさんのモデルの仕事をこなしていたなんて。

「森田さんはわたしが好きだったモデルさんなんです。そんな人が同じ大学に通っていて、こうして実際に会えるなんて、あまりの偶然に、わたしほんとにびっくりして、感動しました」

中原さんは赤い頬をさらに染めて、言葉に力を込める。

「…ありがとう」

視線をクリアファイルの自分の写真に落としながら、みっこはひとこと言い、なにかに思いを巡らせるように、瞳を閉じて沈黙した。

「それで… わたし、次に描くイラストに、よかったら森田さんに、モデルしてもらえないかなって思って…」

「ごめんなさい。遠慮しておくわ」

最後まで言い終わらないうちに、みっこは言った。中原さんの顔が、みるみる青ざめていく。

「ごっ、ごめんなさい。森田さんってプロのモデルさんだから、アマチュアのわたしなんかがこんなことお願いするの、失礼ですよね。本当にごめんなさい」

何度も頭を下げながら、後悔を滲ませるように、彼女は唇を噛んでうつむいた。

「そうじゃなくて… あたしもう、モデル… やめちゃったから」

「えっ? そうなんですか? どうして…」

「別に。たいした理由はないけど… もう、モデルはしたくないの」

みっこはそう言って、みんなから視線をそらせてしまった。

あの、入学式の日に、はじめて見かけたときの、思いつめた表情。

夏の海で見せたような、厳しいまなざし。

みっこは、カフェテラスのはるか向こうの、わたしたちには見えない、遠いところに目を向けている。

取りつく島もない。


みっこ…

彼女の心がどんどん閉ざされていくのが、わたしにはよくわかる。

中原さんには、なんの悪気もなかったと思う。

むしろ、純粋にモデルのみっこに憧れていた。

だけど、森田美湖が過去にモデルをやっていたことを見せつけるのは、みっこの心の傷をえぐり、痛みを呼び覚ましてしまうものだったんだろう。

森田美湖はこの西蘭女子大に、過去の自分と訣別するためにやって来た。

だから、わたしにも自分の過去を話したがらなかったし、いろいろ打ち明けてくれた学園祭の夜にも、モデルをやっていたことまでは話してくれなかった。

だけどそれって、すごく寂しい。


『弥生さつき』って、そんなにあなたの力になってあげられない友だちなの?

あなたがそうしてくれたように、わたしだって、あなたの傷をいやす手伝いをしてあげたい。

例えわたしにそんな力はなくても、せめてあなたの迷宮の出口を、いっしょに探してあげたい。

だけどわたしは、それさえできない程度の友だちなの?

『大学生活で自分を変えたかった』って、みっこが本当に思っているのなら、あなたのことを親友だと思っているわたしに、少しくらいは心を開いてほしい。


ミキちゃんやナオミは、そんなみっこの思いつめた様子に気づくこともなく、彼女の切り抜きの入ったクリアファイルを、興奮した様子でめくっている。

そのとなりで、みっことわたしと中原さんの間には、張りつめた時間が流れていた。

緊張に耐えきれないかのように、中原さんは立ち上がり、か細い声で言った。

「本当にごめんなさい、森田さん。わたしこれで失礼します。今日のことは忘れて下さい。ごめんなさい」

そう言いながら中原さんは急いで、クリアファイルをバッグに戻す。

「みっこ… いいの?」

いてもたってもいられない気持ちで、わたしはみっこにささやいたが、彼女はなにも言わず、頬杖ついたまま、窓の外を眺めている。

中原さんはバッグを肩にかけ、席を立って、頬杖ついたまま視線をそらせているみっこにお辞儀をし、立ち去ろうとする。

「みっこぉ!」

あまりにせつなくて、わたしは思わず声を高めてしまった。

「みっこはこの大学で、自分を変えたいんでしょ?

なのにそうやって、いつまでも殻に閉じこもってちゃ、何も変わらないわよ。みっこはそれでもいいの?」

それは、彼女の気持ちに土足で踏み込む行為。

そうだとわかっていたけど、わたしは言わずにはいられなかった。

「みっこぉ!」

「…由貴さん」


おもむろに顔をこちらに向けたみっこは、ため息のようなかすかな声で、中原さんを呼び止めた。彼女は背中を向けたまま、ぴくんと肩を震わせ、その場に立ちすくむ。

「あたし…… なにをすればいい?」

そう言って、みっこは中原さんを見つめ、ぎこちなく微笑んだ。

『信じられない』といった表情で中原さんは振り返り、みっこを見つめている。

わたしだって信じられない。

みっこがそんな風に言うなんて。


「どんなイメージの絵なの?」

「ドレスを着て、講義室で、王女さまみたいに、佇んでいる感じで…」

ぽつぽつと、中原さんが話しはじめる。

自分なりのイメージを膨らませるかのように、みっこはそれを反復する。

「ドレス… 王女さま…」

「長いチュールのトレーンのドレスなの。真っ白で、たっぷりレースやフリルが使ってあって、いろんな白のグラデーションを織りなしてて、ため息が出るくらい綺麗なの」

「白のレースとフリル…」

「場所は、古ぼけた講義室で。夕方のオレンジ色の光が高い窓から差し込んで、古い洋書やアンティークな瓶とかがたくさん散らばってて、深い陰影を刻んでて。ほの暗い講義室のその光の中で、ドレスを着た女の子が、ほんわりと教室に浮かび上がってて、髪にはエンジェルリングが輝いていて…」

「わあ。きれい!」

その光景を想像して、わたしは思わず口をはさむ。

「ほんとに、わたしがモデルでいいの?」

念を押すように、みっこは中原さんに聞く。彼女は満面の笑みを浮かべてうなずく。

「ええ。ええ。森田さんにぜひお願いしたかったの!

ドレスはお古だけど資料用に買ってたものがあるし、北側のつたのからまった煉瓦づくりの旧校舎が、わたしのイメージにぴったりの場所なの!

アンティークな小物もうちにあるし、そこで写真撮らせてもらって、それを元に絵を描かせてほしいの!」

「由貴さんのイメージどおりできるかわからないけど、あたし、やってみる。さつきも手伝ってくれる?」

「え? わたしが?」

「由貴さんいいでしょ? さつきにメイクとか衣装の手伝いしてもらっても。撮影となれば、人手もいるし」

「もちろんよ! 嬉しいです!」

「みっこ…」

それ以上は言えず、わたしは彼女をじっと見つめた。みっこもわたしを見て、かすかに微笑む。ほんのちょっとだけど、わたしはみっこが殻を破る手伝いをできたのかな?

「あの… お礼、どうしたらいいですか? 森田さん、プロのモデルだし…」

おずおずと切り出した由貴さんに、みっこは微笑み返す。

「そんなのいいわ。友だちとして、あたしは由貴さんのお手伝いがしたいのよ。モデルもやめちゃったしね」

「ほんとにですか?」

「それに、あんな綺麗な絵のモデルにしてもらえるんだもの。あたしの方がお礼したいくらいよ」

「いえ… ありがとう、森田さん」

「みっこでいいわよ」

「え~。いいなぁ~、みこちゃん。あたしも描いてほしいぃ~」

「わたしたちにもなにかお手伝いできることがあったら、言って下さい」

穏やかに流れ出した会話に、ナオミやミキちゃんも加わってきた。

結局、ナオミたちも撮影の手伝いをすることになり、みんなでスケジュールを決めたり、衣装や小物の打ち合わせをやって、傾いた西日がサンルームいっぱいに差し込んでくるまで、わたしたちはこのカフェテリアで話し込んでいた。


つづく

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