講義室の王女たち 2
「なになに? さつきったら川島君とつきあいはじめたばっかりのくせに、もう西田教授と二股?」
クリアケースに教科書をしまいながら、みっこはわたしをからかう。
「そんなんじゃないって、実は…」
学校の南にあるカフェテリアにいっしょに向かいながら、わたしは事情を説明した。
実はわたし、西田教授から前期の課題として出されていた小説で、とてもいい点をつけてもらっていたんだ。周りの女子大生の日常を描いた近況小説だったけど、教授はたいそう興味を示してくれて、
『わたしの研究の一環として、いつかゆっくり話しを聞かせてくれないか?』
とおっしゃっていた。
わたしもみっこも次の講義は午後からで、ちょっと空いた時間はたいてい、南のカフェテリアで過ごしている。
テラスがサンルームになったこのカフェテリアは、窓から光がたっぷりと差し込んできて、雰囲気も明るくて気持ちがいい。
すごく美味しいってわけじゃないけど、スイーツがけっこう充実していて、なにより安くて、わたしみたいな貧乏学生には嬉しい。
「やっほー。みこちゃんさつきちゃん。やっぱりここにいたんだぁ」
「おふたりいつもツーショットなのね」
そう言いながら、ナオミとミキちゃんがカフェテリアに入ってきた。
「ねえねえ、みこちゃん。あのあと上村君とはどうしたの?」
フルーツパフェを手にしたナオミは、みっこのとなりに腰をおろすよりも早く、訊いてきた。怪訝そうな顔で、みっこは彼女を見る。
「あら? ファミレスの前で、みんな別れたじゃない」
「え~? みこちゃん、ほんとにそのまま帰っちゃったの?」
「そうだけど… ナオミたちはあれから、どこかに行ったの?」
「えへ」
ナオミはちょっと頬を赤らめて肩をすくめると、軽く舌を出す。
「カツくんと、やっちゃった」
ええっ?
『カツくん』って…
確か、上村君といっしょにいた友だちよね。ナオミが勝手にニックネーム付けた、ロングヘアの調子のいい子。みっこは呆れたような顔で、ナオミに言った。
「やっぱり? なんだかそんな予感がしたのよね~、あのときの雰囲気から。相手は高二よ。ナオミはそれでいいの?」
「年下の男の子って、ちょっと興味あったのよぉ。あれからカツくんのバイクで海まで飛ばして、ラブホに入っちゃった。やっぱり若いってすごいよね~。一晩に4回もできちゃうんだから」
「4回?!」
ミキちゃんが驚いて聞き返す。
「寝る前に3回と、朝1回。カツくんったら、あたしのおっぱいに夢中でしゃぶりついてくるのよ。『ナオミさんのロケットおっぱい、カッコよくて好きだ』って。それがなんかすっごくかわいくてね。いろいろしてあげちゃった。おっぱいで」
「あなたのそのムダに大きい胸なら、どんな男だってしゃぶりついてくるって」
「ムダじゃないわよぉ。ちゃんと男を楽しませてるんだから」
そう言いながら、ナオミはみっこの背中をポンとたたき、誇らしげに胸を揺らす。
「…わたしの彼氏にも、その子の元気を分けてほしいです」
ミキちゃんがポソリとつぶやく。
ええっ?!
ナオミはわかるとしても、おとなしそうで奥手っぽいミキちゃんまで…
まったく。みんな午前中からなんの話しをしてるのよ~。
“コツコツ”
研究室の重厚なチークの扉をノックする音が、
「どうぞ」
扉の向こうから、低い威厳のある声が返ってくる。わたしは緊張しながら扉を開けた。
壁一面の本棚。
分厚い本やレポートが雑多に積み上げられた、大きな古い木製の両袖机。
そこはいかにも『文学者の研究室』という感じで、足を踏み入れただけで、気持ちが引き締まってくる。
研究室には先客がいた。
『ちょっとそこに掛けていてくれないか』と、西田教授はわたしに言うと、隅の椅子を指し、居住まいを正しているメガネをかけた若い男性講師に、質問を投げかけた。
「…つまり君は、マスコミが現代の女子大生像を、故意に歪曲していると言いたいんだね」
「はい。正確に言うとマスコミは、一部の遊んでいる学生をスポイルしているんです。大衆はマスコミに
「はたして『特別』と言えるかな? 今の学生が昔に較べて勉強しなくなったのは、事実だよ」
「ぼくが思うには…」
若い講師は、そこで一息ついて話を続けた。
「結局、今の日本には、国を貫く一本の思想がないのです。と言うより、自国の文化を捨ててまで、国も企業も営利の追求に走りすぎたのです。その点では、『経済至上主義』という思想があるとは言えますが」
「それはわかるよ。だけど、その経済至上主義と女子大生の学力低下が、どう関係するのかね?」
余裕のある微笑みを浮かべ、西田教授は
「『文化』とは本来、精神的なもので、技術や物質による『文明』と分けて考える必要があります。
しかし、そこが混乱してしまった。
それは、企業の過剰な経済活動によって、『文化』が物質的なものとして、消費物にすりかえられてしまったからです。
今のバブル経済の中で、大衆はあらゆる文化の価値、芸術品や文化活動でさえも、金銭的な価値に置き換ることを、企業とマスコミによって、繰り返し刷り込まれてしまった。
消費社会の中で、教養や美意識といった、金に換えられない、だが非生産的な価値観は、置き去りにされてしまったのです。
いい例を挙げるなら、あれほど千利休の映画が立て続けに作られたにもかかわらず、茶道の美意識や日本人の美学といったものは顧みられることがなく、茶碗や茶道具の値段ばかりが話題になったに過ぎなかった」
「なるほど」
「営利を追求する企業をスポンサーに持つマスコミは、雑誌やテレビ、映画などのメディアを通して、消費者の欲望を煽り、消費を拡大することで、自ら増殖していかねばならない宿命を背負っています。
今のバブル社会を批判することは、増殖を妨げるという自己矛盾に陥ってしまう。
そうやって自浄力をなくし、社会への批判力を失ったマスコミは、『言論の公器』から、ただの『企業の太鼓持ち』に成り下がってしまった。流行の旅番組やグルメ特集にしても、読者や視聴者の
「つまり君は、マスコミが金儲けの『手段』として、女子大生像を歪曲したと言いたいのだね?」
「そうです。今の女子大生には社会の矛盾が凝縮されています。現代の社会構造は、女子学生の教養、つまり文化的貢献を必ずしも求めておらず、流行に敏感で消費力の増した女子大生の経済力を、新たな市場として開拓しているだけなのです。
そしてマスコミに感化されて判断力を失った彼女らは、カタログ数値でしか、物や人の価値を判断できない。『三高(高収入、高学歴、高身長)』なんていうのはその典型ではありませんか。
それが結果的に若者の保守回帰を促し、社会の変革を妨げているんです。今の日本はその面で、すでに閉塞状態にあります」
「やれやれ。『消費は美徳』かね。しかし最高学府の大学で、教育が思うようにできないとは、日本の未来は明るくないねぇ。弥生君、君はどう思うかね?」
「は、はい?」
いきなり話題をわたしに振られたものだから、思わずあせって返事がうわずる。西田教授はわたしを振り返り、微笑みながら説明してくれた。
「いや。実はある出版社から『現代の女子学生について書いてくれないか』と依頼を受けてね。そのことでぼくらは話していたんだよ。それで当のご本人たちの意見も聞きたくてね。本当はぼくの方から伺わなきゃいけなかったところを、わざわざすまんね」
そう言いながら教授は冷蔵庫からコーヒー豆を取り出し、2杯3杯すくってドリッパーに入れた。
「あ。私は次の講義の準備があるので、これで失礼します」
そう言って、若い講師は席を立った。
「そうかね? コーヒーでも飲んでいかないかね?」
「いえ。けっこうです」
「君の話はなかなか興味深かったよ。またぜひ聞かせてくれないか?」
「おそれいります」
おそろしくまじめな顔でそう答えると、彼は研究室を出ていった。
つづく
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