Carnival Night 3

 明け方、夢を見た。

細かなところは忘れてしまったけど、川島君が微笑んでいたのは、覚えている。

しかし、その微笑みはわたしに向けられたものじゃない。


『だれに微笑んでいるの?』


…話しかけたけど、返事はない。

そのうち、彼の姿は朦朧もうろうとフェードアウトしていき、あとには乳白色の景色だけが広がっていた。

そんな中で、わたしは自分のいる場所がわからなくなり、落ちているのか浮かんでいるのか、上を向いているのか下を向いているのかさえも、まるで感覚が麻痺したようにつかめなくなり、ただ、そこに存在るだけ…


「…いやな夢」


ベッドから起き上がったわたしは、ほつれた髪を振りながら考えをまとめようとしたけど、頭の中は夢の続きのように、もやがかかったみたいにかすんでいる。



「なんか、調子悪い」

キャンパスの中庭にある噴水のそばのベンチに腰かけて、わたしはただなんとなく空を見上げ、つぶやく。


夢のイメージを、まだ引きずっている。

最悪な気分。

なのに、わたしのイガイガした気持ちなんておかまいなしに、天気だけは素晴らしくよくて、はるか彼方の山並みまで、くっきりとマジョリカ色の空が澄み渡り、キャンパスはいろとりどりのざわめきと、看板の色彩であふれていた。


そう。

今日は西蘭女子大の学園祭。

川島君と行く約束してた…


出店の看板。

呼び込みの女の子の声。

行き交う人の思い思いのコスチューム。

フライドポテトの油やたこやきのソースが、いっしょくたになった匂い。

だけどそのどれもが、意識から遠く離れたできごとにしか思えなくて、わたしはただ、ぽっかり空いた青空を眺めているだけだった。

『学園祭はいっしょに回ろうね』

という、川島祐二との約束だけが、未練がましく、わたしの心の中に、いつまでも引っかかっていた。


恋人同士の約束なんて、むなしい。

ううん。

わたしたち、恋人にもなれなかった。

どんなにわたしが望んでいても…


 11時に森田美湖と、この中庭の噴水前で、わたしは待ち合わせしていた。

ざわめく人混みの中で、どうしても微笑みあっているカップルにばかり目がいってしまい、川島君に似た男性を見つけると、気持ちがざわついてしまう。

みっこ、早く来ないかな。

待つのはつらい。

だれかと話さえしていれば、こんなせつない思いをして、胸をキリキリ痛ませずにすむのに。

その一瞬だけでも、あの人のこと、考えなくてすむのに…


 そのとき、ポンとだれかがわたしの肩をたたいた。

「だれかと待ち合わせしてるの?」

肩に感じる大きな手。少し低めの声。


川島君?!


びっくりして振り返る。

しかし、そこにいたのは、知らないふたり連れの男の人だった。

「ヒマだったら俺たちと回らない? ゲームしたりおいしいもの食べたりしてさ。なんでもおごるよ」

「…待ち合わせしてるんです」

そう答えて、わたしは目をそらせる。

「彼氏と?」

「…」

わたしは黙ってうなずいた。その瞬間、川島君の顔が頭をよぎって、いたたまれなかった。

「なんか、嘘っぽいな。俺たち避けてんじゃない?」

「心配しなくていいよ、下心なんてないし。絶対楽しませてあげるからさ」

「…ほんとに?」

「もちろんだよ! だから学園祭、俺たちといっしょに回ろうよ」

わたしは彼らの顔を見た。わたしを見つめて、ふたりは暖かな微笑みを浮かべている。なんだか優しそう。その笑顔を、思わず川島君とダブらせてしまう。

「…」

わたしは黙って立ち上がった。声をかけた方の男性が、わたしの腕をとる。じんわり伝わってくる体温。秋って、人のぬくもりがやたら恋しくなる季節なのかな。


「さつきっ、待った?」

そのとき、大きな声がして、わたしはハッとわれに返った。

気がつくとみっこがとなりにいて、わたしのもう片方の腕をぎゅっと握りしめている。

「ごめんなさい、あなたたち。この子の彼が向こうで呼んでるの」

「お、おい!」

「みっこ?」

有無を言わせずに男たちからわたしを引き離すと、みっこはグイグイ引っ張っていく。

「み… みっこ、彼って…」

まさか… 川島君が来てるの? ほんとに?!


 校舎を回って男たちの姿が見えなくなると、みっこはようやく足を止めて、握っていた手をゆるめた。

「さつきって意外とあぶないのね。なんだってあんな人たちにフラフラついていこうとしたの?」

「あ… えっと」

「あたしずっと見てたのよ。あなたがスキだらけでベンチに座っていたところから。いかにも『誘って下さい』って風で、だからあんなにのにチェック入れられるのよ」

「わたし… なんか、だれでもいいから、どこかに連れてってほしかった、のかも…」

「?」

「なんか… ばかみたい。あの人たちが微笑むの見て、『川島君に似てる』なんて思っちゃって… 全然違うのにね」

「さつき。最近元気だったから、もう立ち直ったのかと思ったけど… なわけないよね」

「ん。やっぱりなにかのはずみで、苦しくなる」

ぎゅっと右手を握りしめて、わたしはうつむいた。

「そっか…」

みっこは一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐにニッコリ微笑んで言った。

「心配しなくていいよ」

「え?」

「下心なんてないし。絶対楽しませてあげるからさ。だから学園祭、あたしといっしょに回ろうよ」

「あは。さっきの…」

みっこはペロと舌を出す。

そうね。今日はみっこと楽しくやらなくちゃね。




「さつきちゃんたちはどこ回ってきた?」

「森田さん、体育館でやるライブ見にいく?」

「わたしたち『ねるとん』に出るのよ!」

「夜のダンパどうしようか? ペアしか入れないらしいじゃない」

「ファッションショーも楽しみよね!」

「ナオミが出るんだって?」

「見に行ってあげなきゃ」


あちこちの露店やイベントで、顔見知りの女の子といっしょになったり、また離れたりしながら、日が暮れるまで、わたしとみっこはキャンパスを回った。

女子大の学園祭には、高校の頃の文化祭にはなかった、女の子らしい華やかさと艶やかさがある。

露店に飾っているポスターや看板は、独特の可愛らしい丸文字で書かれていたり、カフェではエプロンをつけたボディコンのミニスカート姿の女の子が、お色気を振りまきながら男のお客さんを誘っていたり。

キャンパス中が色とりどりのペンキをまき散らしたみたいな、雑多で卑猥なにぎやかさで、今という一瞬しかないみたいに、時間ときが空回りしている。


「夜の部じゃ、合同ダンパがあるんだって?」

「もうバッチリ! カレシにチケット渡してるもんね」

「さっき見た渋カジ君?」

「そこそこイケてるでしょ」

「あ。ティファニーのネックレス! 新作じゃん」

「いいな~。わたしもアッシー君、呼んじゃおかな」

「え~。あなたのアッシー、クルマなに?」

「紺のBMW。コンバーチブルよ」

「やるじゃん。んで、あっちの方は?」

「アッシー君なんかとエッチする程、わたし困ってませんよ~」

「わぁ。ヤな女」

「そういうあんただって、しっかり医大生キープしてるじゃない」

「あれはキープっていうより本命かな~。でもエッチは下手だから、とりあえず週いちでつなぎ止めてるって感じ。まだまだ遊びたいしね」

「あーあ。悪い女」

「あんたみたいなイケイケじゃ、逆に遊ばれて終わるって」


 派手なボディコンに身を包んだ女の子たちが、そんな軽口をたたきながら通りすぎる。

あちこちで、男の子から声をかけられた女の子たちが、相手を値踏みしてクスクス笑ったり、校舎の陰では今日だけのインスタントカップルが、からだをくっつけて、アフターの話をしたりしている。


「こんなものかしらね」

中庭の噴水のふちに腰を下ろし、行きかう人たちを眺めながら、わたしはため息混じりにつぶやいた。


つづく

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