第3話 羊に間違えられた話
酔っ払いの話で登場したアイルランド。楽器が習いたくて訪れたのではありますが、学生ビザで入国していた関係で、滞在期間中はずっと、ある語学学校に所属していました。今では立派に成長し、私がいた頃の面影はなくなっているようですが、当時はまだ小さくて手作り感のある、アットホームな学校でした。最初はグループレッスンを取っていましたが、長期滞在者は予算に応じて日数を減らし、コースも個人レッスンに変えてもらえたり、試験の対策もしてもらえ、後半はアルバイトまで紹介してもらいました(オフィス掃除のお仕事をやってました。送迎付き。時給は忘れたけど、日本並みかそれ以上でした)たいしてお金を持っていなかった私がアイルランドに長期間滞在できたのは、その語学学校のおかげです。(今はワーキングホリデービザで滞在できるのですが、当時はまだ制度がありませんでした)学校の規模が大きくなってしまった今では、当時のような対応は期待できないだろうなと思います。
語学学校は夏季が一番賑わいます。夏の休暇を使い、非英語圏のヨーロッパ諸国から英語を勉強するために多くの人が訪れるからです。私が最初に学校に通い始めた6月~8月は、主にドイツやイタリア、スペインからたくさんの生徒がやってきていました。ロシアやリビアの人もいましたね…。初めの数ヶ月は、学校から紹介されたホストファミリーの家に滞在していましたが、そこには私以外に、ドイツとイタリアから来た女の人が滞在していました。二人とも、わざわざ勉強しにくる必要ある? と思うくらい英語が堪能。まともに喋れないのは私だけ…汗
この二人がめちゃめちゃいい人たちで。彼女たちに助けられて、何の準備もなくやってきた私は、その学校で色々な国の人たちと仲良くなれたのでした。
そんな語学学校の仲間たち5人ほどで訪れたのがイニシュモア島です。イニシュモア島はアイルランド西部にあるアラン諸島のひとつで、「ドゥーン・エンガス」という断崖絶壁に沿って作られた遺跡が有名な、アイルランド屈指の観光地です。見渡す限り岩場と石垣と牧草地が延々と続いていて、景色は抜群にいいのですが、本当に何もない島でした。フェリーでやってきた観光客は大抵馬車かレンタサイクルで島を観光する人が多く、私たちはレンタサイクルを選びました。独・西・伊・日の混成チームでしたが、皆20代(多分)のぴちぴちした若者です。貸し出されていた自転車はぼろっちいマウンテンバイクしかなくて、ママチャリしかまともに乗ったことのない私は乗り慣れずもたもたしてしまい…。鈍くさい上に体力もまるでないため、元気いっぱいな西洋人たちに完全においてけぼりを食らってしまいました。日本人だけのグループで行動した場合、その中の一人がもたついていたら、大抵は全員でその人を待ってあげたり、全員でなくても誰かが一緒に待っていてくれたりするものですが、そんなことはまったく無く「先に行くよ~」と容赦なく放置され(笑)…いや、迷子になるほどの道もなく、待ってもらうのも心苦しいのでむしろ良かったんですが。集団行動なのに気を使わなくていいのが新鮮でした。
イニシュモア島に山はないのですが、緩い坂がいくつも続いていて、上り坂がかなりきつかったです。曇天で強い風がびゅうびゅう吹いていて、周りは見渡す限りの岩と牧草地…、周囲には人の気配もなく。世界の果てに来たような気持ちになりました。イニシュモア島の醍醐味はきっと、そういう景色そのものなのかもしれません。
さて。いくつめかの長く辛かった坂道を上り終え、ホッと一息つくと、私は坂を下り始めました。上りが長かった分下りも長く、見晴らしもよく、気分は爽快です。シャーッと勢いよく下っていた、そのとき。
牧草地から、一匹の犬が駆け寄ってきました。白黒で中型の牧羊犬です。最初は「いるなぁ」ぐらいの認識しかなかったのですが、その犬は私の後を追って走ってきます。徐々に近づいてくるし、何だろう、妙な気配を感じる…。
私はチラッと犬のほうに目をやりました。ヤツは今、私の斜め後ろを走っています。あれ、思ったより近い。もしやこれ、追いかけられているのかな、私。そう思ったと同時に、犬の目が私の目を捉えました。アッと思った、次の瞬間。
ものすごい跳躍力を見せたんです。その犬が。
こっちに向かってジャンプしたかと思うと、私の右のふくらはぎにがぶっと咬み付いてきやがりました!!
「!!???? いっった!!!!」
痛いわ!
一瞬のことではありましたが、私のふくらはぎに犬の歯ががっちりと食い込んで、めちゃめちゃ痛かったです。ジャンプして食らいついてきた分、余計に衝撃が大きくて…。会心の一撃を加えて満足したのか、犬はそのあとすぐに離れ、やがて下り坂の途中で見えてきた小さな民家の庭のほうへと吸い込まれるように消えてゆきました…(おそらくはその家で飼われていたのでしょう)
突然のことに驚きすぎたんですが、犬が消えてしばらく進んでから、自転車を止め、ズボンをめくって確認してみると、血のにじんだ犬の歯型がくっきりと残っておりました。とにかくショックでしたが、周りには人気もないし、もう少し先にある「ドゥーン・エンガス」まで行って、先に到着していた友人たちに「犬に咬まれた」と言ったらめっちゃ心配&同情されました。
後から考えると、あれ、はぐれた羊を群れに戻すみたいな感じの行動だったのかもしれませんね。一人で自転車に乗って移動していたので、牧羊犬の本能に火を付けてしまったのかもしれません。
その後、島から戻ってその話をすると、ホストファミリーの方が病院を紹介してくれました。ホームドクターってやつでしょうか。一見、普通のおうちの中が診療所みたいになっていて、インド人ぽい風貌の白衣のおじさんが感染症予防の注射を打ってくれました。確か5,000円程度払ったと思います。旅行保険には一応入っていたので、保険請求したと思います…多分。
こんなに何もない平和を絵に描いたようなのどかな島でも、思わぬ危険が潜んでいるものですね…(私だけ?)みなさまも、旅行の際にはくれぐれもお気をつけください。
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