スマグラーズ・ワーク
魚津野美都
前
夜の遠春環状線を、一台の白いスポーツカーが駆け抜けていく。法定速度を軽々とぶっち切り、軽快なロータリーエンジンの音を響かせながら、まばらな一般車を事も無げに避け、残光を置き土産として駆け抜けていく。
しかし、成立20周年式典を間近に控えた現在、夜の遠春は民営市区の例に漏れず、数々の非合法行為の温床となっている。"鎧蜘蛛事件"の起きたあの日から15年、遠春は堕落し、企業もヤクザも蠢き出す混沌のるつぼと化していた。
このスポーツカーも、その非合法行為に関わる"運び屋"の仕事道具であり、今まさに仕事の最中であった。ハンドルを握るのは、20を少し超えた程度の青年。助手席に座る"積荷"は、明るく染めた髪をツインテールにした、まだ成人もしていないであろう少女だ。
「ねえ、運び屋さん」
少女がおそるおそる声をかける。
「今、運転中だ」
「でも、その、スピード出しすぎなんじゃ……きゃっ」
運び屋の青年が急ハンドルを切る。前のトラックが減速したのに合わせたのだ。
「運転中だって言った」
「……ごめんなさい」
積荷の少女は、他の車を追い越す度に不安げに運び屋の顔を見る。 100km/hオーバーで車窓風景が流れていっているにもかかわらず、運び屋の顔色はひとつも変わらない。私のことを、ちょっとうるさい荷物程度に思ってるのだろうかと少女は考え、なんとなく面白くない気持ちになった。
降りる予定の出口を知らせる看板が、一瞬で後方に過ぎ去る。青年はそれを一瞥もしない。少女ははらはらした表情で運転席に目をやろうとするが、速度がスムーズに落ちていくのを感じ、ほっと一息をついた。
「ねえ、安全運転って知ってる?」
「充分配慮したよ」
「100キロ越えてるのに配慮もなにもないでしょっ」
「そうかな」
落ちた速度に引きずられるように、車内の空気は緩やかになった。
「予定の時間まであと30分。安全運転ならこのままだけど、少し荒っぽい運転なら、休憩を11分挟める」
運び屋は、時計も見ずに言う。時間感覚と道の把握が至極正確なのが彼の売りだ。
「どうする?」
流れる街灯の光が、車内を照らしては遠のいていく。
「……休憩アリで」
「よし」
少女がそう言うのを見越していたのか、運び屋はすぐ近くにあったコンビニエンスストアの駐車場に入ると、慣れたハンドル捌きで愛車をバック駐車する。エンジンは止めないまま、ヘッドライトだけ消灯する。
そのまま動かない青年に、少女はまたおそるおそる声をかける。
「喉渇いたんだけどな」
「ダメ」
「じゃあなんでコンビニに駐めたの」
「近かったから」
少女は青年の返答に唖然とした。時折脚をもぞもぞとさせながら、次の言葉をうかがうが、当の青年は目を閉じてしまって動かない。
「ねえ!」
「わかったよ」
少女に肩をはたかれ、青年は溜息をひとつつき、エンジンを止める。
「あと9分と32秒だ」
そう言ってキーを抜き、運転席を出てから、外から助手席のロックを解除した。
「ゆっくりし過ぎないように」
「っ、デリカシーなさすぎじゃない?」
「遅れたらまた100キロ越えなきゃいけなくなるよ。市街地で」
「もう!」
少女が小走りで入店していくのを尻目に、運び屋は灰皿の方へと向かう。ジャケットの内ポケットから、ハイライト・メンソールを取り出し、一本くわえて火を点ける。このコンビニは出口が一箇所しかない。逃げられることはまずありえないし、そもそも"積荷"が協力的だ。
不意打ちで人を運ぶことになると、こういうケアが面倒だ。反抗的なら縛ってリアシートに繋いでおけるから、協力的なほうが気を使う。運び屋が受けた依頼は"積荷"を東六地区の工業港まで運ぶことだった。が、いざ約束の場所に着いてみれば、切羽詰まった女子高生が一人。そこそこの報酬に釣られて受けてしまったものはしようがない。
この街の人間にはいろいろ事情があるものだ。
運び屋は紫煙の行く先を見つめ、後悔するのを一旦保留することにした。
残り4分の時点で、少女が袋を片手に店を出て、少しキョロキョロし、青年を見つけて駆け寄る。
「煙草吸うんだ。意外」
「よく言われる。……それは?」
「差し入れ」
"積荷"に差し入れされるなんてはじめてだなと、青年は妙に膨らんだコンビニ袋を見る。
「運び屋さんの好み、知らなかったし。私これ飲むから、あと全部飲んでいいよ」
「3日はジュースに困らなそうだなあ」
差し出された袋には、炭酸水にコーヒー、サイダーなんかがみっちりと入っている。少女はオレンジソーダを開けて、ごくごくと勢い良く飲んでいる。
「二度目の休憩はないよ」
「ホント、デリカシーなさすぎだよね」
二人は軽口を叩く。遠目から見れば、夜中にこっそりドライブをしている兄妹に見えてそうだ、なんて少女は思った。
「……私、どこに連れてかれるのかなあ」
「港だよ」
「知ってる。その先のこと」
「知らないよ。僕は港までだ」
「だよ、ね……」
沈黙。うららか地区こと東七地区は、昼夜で活気の差が大きい。立ち並んでいる店の中でも、深夜となると開いている方が少ない。二人の周りには、店内にいるやる気のない店員以外、誰もいない。
「時間だ」
運び屋が促すと、少女は文句も言わずに助手席へ乗り込む。それを確認してから、運び屋も乗り込み、キーを挿してひねる。ヒュルルルという音とともにエンジンがかかり、白いスポーツカーは走り出す。
「これは秘密だったんだけどね」
港まであと10分と少しのところで、今まで黙っていた少女がぽつぽつとこぼす。
「私、超能力があるの」
「ふうん」
超能力者。"鎧蜘蛛事件"以降、夜の遠春では度々見聞きするようになった存在。青年は顔色一つ変えなかったが、その心中に鉛のように重いなにかが溜まっていくのを感じた。超能力者を運ぶ依頼は、だいたいロクでもない結末を迎える。ハッピーエンドがあるとしたら、積荷が超能力者であることを、周りが知らない場合くらいだということを、彼はよく知っている。
「信じてないでしょ」
「信じるよ。あと、見せなくてもいいし、それは誰にも言うな」
「パパと私しか知らないよ。なに、どうしたの急に」
いや、別に。運び屋はそう返して、語気がほんの少し荒かったのを自覚する。入れ込んだつもりはないが、平静を保つにも限度があるものだなと、運び屋は心のなかで自嘲し、振り切るようにアクセルを踏む。愛車はエンジン音で返事をして、速度を徐々に上げていく。
「あと3分で、深夜の3時ジャストだ」
「それ、超能力?」
「僕のはただの特技だよ」
右折、左折、また右折。スキール音を時折鳴らして、白いスポーツカーが駆け抜けていく。夜の東六地区には、まともな人間は近づかない。二人を乗せた車の他に、動いている者は居なかった。
時間感覚と道の把握が正確なのが彼の売りだ。これがあってこそ、確かな運転技術も売りになる。3時ジャスト。約束の時間ぴったりに、白いスポーツカーは受け渡し地点に到着した。
受け渡し地点にいた人影を見て、少女はにわかに破顔する。
「パパ!」
運び屋がドアを開けてやると、少女は勢い良く飛び出して、冴えない中年の男に抱きついた。なにやら一言二言話した後、中年の男が運び屋の方にやってきて、鞄から封筒を取り出す。
「娘をどうも、ありがとうございます」
「いえ、仕事ですから」
挨拶程度の会話を交わし、封筒を受け取り、中身を確認する。確かに、と運び屋が言うと、中年の男はまた頭を下げ、少女の方へと戻っていく。疲れきった人間と同じ背中をしているのを見て、運び屋の気持ちはまた重くなる。少女が手を振ってくるのに軽く手を挙げて返し、愛車に乗り込んで早々に走り出す。
「だから人を運ぶのは嫌なんだ」
青年はそう呟いて、アクセルぐっとを踏み込んだ。
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