転生トラック運転手になろう!

キートン兄貴姉貴

転生トラック運転手になろう!

 ガソリンを供給されたエンジンが唸りをあげ、男の体全体にすっかり馴染んだ振動が響く。一連の作業を終えるとそれは走り出した。10トントラックだ。輸送用車両でありながら、その恐るべき質量が生み出す威力はたとえ道交法に違反しない速度であっても、暴力的なものになる事は想像に難くない。ましてやその威力を生身の人間に向けたのならば、それは極めて高い殺傷能力を持つ凶器となる。

 敢えてその凶器の名を示すならば、転生トラック。ネットの片隅で一大ムーブメントを引き起こしたネット小説群における、共有された舞台設定として猛威を振るう「あの」トラックである。

 こいつに轢かれた人物が何故かことごとく別の世界に転生を果たし超常的な能力が付与される、というまさしく御都合主義の「あの」トラックだ。突拍子もない設定でありながら、読者の絶大な支持を集め広く共有される設定となった事は紛れも無い事実である。

 それだけで終われば話は早いが、残念ながらそうはいかなかった。


 転生トラックは今日も人を轢く。その凶器が振るわれるその瞬間は、意外にあっさりしている。

 異常極まるはずのその行為が、あまりにも不自然な自然さで行われる。また誰がその凶器を振るうのかは、ここでは問題にならないのだ。肝要なのは誰に振るわれるか、その一点である。

 そして運転する男にとっても、この行為が持つ異常性など何の問題にもならない。

 いつものように指定された目標目掛けトラックを加速させる。唸るエンジンの音と振動が響くなか、フロントガラスいっぱいに目標の顔が迫る。

 何が起きているかもわかっていないような、どことなく間抜けな表情ばかり。そのうち視界はスローモーションに転じ、視覚以外が機能を失っていく。

 はじめに来るのは匂いの消失。次に味覚、触覚ときて最後に音が消え失せる。ハンドルを握る手が硬直し力を増していくのを感じながらも、触れている実感が無くなっていく。何度やってもこの感覚は慣れない。だがそれだけだ。この仕事に支障を来たしたりはしない。

 やがて来る衝撃に備えると共に、アクセルを踏む足は更にかかる力を増していく。加速度が体をシートに押さえつける。ふと、目標の顔が直ぐそばにある事に気付いた。

 衝撃が走る。飛び散った赤色が放物線を描いた。人を轢いたという実感こそあれど、罪の意識は微塵も湧いてこない。結局その程度なのだ。自分がやっているのは世界のシステムの一部に過ぎないという事実が俺を守る。

 なんて事はない。当たり前のように家に帰れるし、誰も俺を逮捕したりしない。事故の被害者が一人増えるだけで、事件にはならない。

 時々俺は何をやっているんだ、と思う事もあるが、それだけだ。仕事なんてその程度のものなのだ。だからきっと、この仕事を引き受けるに至った経緯も大した事じゃないのだろう。


 俺の人生を決定的に変えたのは、たった一通のメールだった。「転生トラック運転手になろう」。たった一行だった。あまりにも馬鹿げた内容で、今時流行りの詐欺にしても奇妙極まる代物だった。

 ところで、俺は学も無かったし、どうしようもなく人と話すことが苦手だったから、半ば転がり落ちるようにトラックの運ちゃんをやって細々と生きている。荷物の搬入時と納品時以外は人と会話をせずに済むからだ。

 そんな身分なものだから金に余裕もなく、四畳半しかないオンボロ安アパートの部屋に帰っても、業務用パスタやら白米やらをかき込んで腹を誤魔化すばかり。

 時間も金もない身では、やれる趣味といえばネット小説ぐらい。おかげで『なろう』や『転生トラック』と言った単語には直ぐに反応した。

 だが、正直言ってメールを開くのは明らかに地雷だったから、今から思えばあの時の判断は異常だった。断言できる。だがそれでも俺はこのメールを開いた。開いたのだ。


 それが全てを決めた。


 今から考えると不思議でならないが、俺はこのメールの差出人と文面のやりとりを始めていた。この「日本サーバーの運営」を名乗る存在とSMSで、議論とも言えないようなやりとりを交わしていく。

 時折、俺の質問に対し長文が返ってくることがあり、そういう時にはメールで送信してきた。普段運送屋をする上での業務連絡以外誰とも連絡を取らないから俺にはよく分からないが、どうも文字数の制限が関係しているらしい。


「転生トラックというのは、俺の思っている通りのものなら轢き逃げにあたるんだが、何故そんな事をしろと言ってくるんだ?」


 確か、最初はこんな質問をした。改めて当時を振り返ると俺もどうにかしていたようで、それが犯罪であることに触れさえしていなかった。

 まぁ、既にどこかおかしくなり始めていたかもしれない。そしてこの文面を送信した直後にSMSで返信が返ってきたことが強烈な印象だ。


「魂の管理のためです」

「魂の管理とはどういうことだ?詳しく説明してくれないか」

 するとその瞬間長文がメールで送られてきた。


「全ての知性体は魂を有しています。その存在はA.D.2017現在の人間の科学力では認識することができませんが、確かに存在するものです。生命とは、簡単に示せば魂に合致する肉体があってはじめて成り立つものです。ここで肝心な点ですが、肉体を構成する原子は、地球レベルで循環しています。これはどの瞬間を見ても、常に同じ量が存在する事を意味します。従って、この原子量保存則により地球上に存在できる肉体の数には制限があるのです」

「話は変わって魂について触れますが、魂も同様に循環しています。基本的に知性体が持つ記憶は肉体が保持するものであるため、死ぬと記憶を無くします。しかしその魂は循環し、また別の肉体と組み合わさり新たな生命を構成することになります。ただし、ここが最も重要な点ですが、魂の総量は地球レベルでは一定ではありません。その理由は、異世界の存在にあります。ここで言う異世界とは、量子力学におけるコペンハーゲン解釈を拡張した多世界解釈であるエヴェレット解釈に基づくもの、即ち並行世界と、地球とは別の惑星の両方を示します。これらの全ての世界全体では、常に一定量の魂が存在しているのです」


「かつて魂の循環は、同じ世界の中で行われる事が殆どでした。しかしA.D.2017現在においては、異世界間での循環が増加しています。科学や文学などの発達により、この世界の知性体である人類が、異世界の存在を強く認識するようになったからです。これはいわば、魂が通る通路が異世界に向けて広がったということです。特に量子力学が示した揺らぎの概念が決定的でした。詳しい説明は省きますが、ミクロの極めて小さな存在は観測しないと何処にいるか分からず、観測した瞬間に位置が決定するという性質です。これが転じて、観測しなければ何処に居てもおかしくない事を意味しています。そしてこれの拡大解釈により、知覚出来ない世界があるのではないか、と人間が考え出したのです。 先程も述べたエヴェレット解釈もその先駆けとなりました。そうして一度経路が出来てしまえば、あとは増加するのみです。魂は質量を持たないため、光速を超える速度で移動が出来るからです。最早瞬間移動と表現するのが適切なほどの速度です」


「前提条件として魂について説明したところで、魂の管理について説明します。私が行うのは、この地球における魂の総量を一定に保つことです。私と同じ存在がそれぞれの地域を担っていて、私は日本を担当しています。先ほど説明した事情により異世界から魂が大量に流れ込んでいるため、それと同じ量の魂を異世界に送る必要があります。現在の増加量に対し同じ量を減らすには、人間の寿命を待つ従来の自然な方法では間に合いません。よって様々な方法で生命を断つ必要があります。あなたにメールを送った転生トラックもその一つです」


 めまぐるしい情報の嵐に、俺の出来の悪い頭はあっさりと降参した。訳がわからん。なので話が俺の理解を越えないよう、疑問を投げかけた。


「どうして俺に声をかけたんだ?そもそも生命を断つ必要があるって言っても、あんたが自分でやればいいだろう」

「まず、二つ目の質問に回答しますが、私は魂と同じで質量を持たない存在であるため、質量を持つ人間の肉体に干渉することができないからです。そのため私の依頼を引き受け生命を断ってくれる知性体、つまりは人間が必要不可欠なのです。次に、貴方にメールを送ったのは、貴方には資格があると判断したからです」

「資格とは一体なんだ?俺が持ってるのは大型の運転免許ぐらいのもんだぞ」

「失礼しました。資質と表現すべきでしたね。資質というのは、貴方の勤務態度が良好であること、そして精神を適度に摩耗させていることです。魂の管理は絶対のものですから、こちらの依頼を必ず完遂していただかねばならないのです。そして生命を断つという行為は、人間の精神に大きな影響を及ぼすものです。それに耐え得る、あるいは影響を受けないような精神を持つ人間でなければ、私も依頼することができないのです。幸いにして、貴方は影響を受けない望ましい精神を、つまり摩耗したそれを持っています」


 図星だった。この存在に指摘されたことで俺は遂に、自分がどうにかなっていたと自覚した。心が疲れ切っていたことを自覚した。そしてこの存在の誘いが天職に感じた。感じてしまった。


「しかし犯罪にあたるが、どうするんだ?刑務所に入ったらそう簡単には出られないから、その間あんたのいう仕事ができない。つまりあんたが苦労して探したのであろう人材をみすみす逃す形になるわけだが」

「私は質量を持たないため、質量を持つ肉体の有る生命に干渉ができないとは言いました。しかし、情報に干渉できないとは言っていません。情報は質量を持たないのです。私はトラックによる轢き逃げを、事件でなく事故にすることができます。映像にも干渉できるため、その瞬間の記録は一切残りません。誰も貴方を逮捕しには来ないのです。そして世間はただの事故として認識します」

「仕事なんだから、報酬は出るんだろうな」

「貴方の精神に充足を与えます。貴方は、今までのような地に足をつけているかも分からないような不安から抜け出すのです。確かな生きている実感を得られます」


 俺は決断した。


 一つを除いて変わらない日常は、今日も続いている。慣れた手つきでメールを確認する。 今日の目標は高校2年の青年。

 いくら仕事とはいえ、まだまだ先の長いであろう若者達を轢き逃げするとは因果なものだ、とため息を一つこぼす。いや、本当はそういう仕草をしてみただけだ。轢き逃げ稼業を日常にできる程に自分の感性が死に絶えている事実を、認めたくないだけだ。認めたくないくせに、悲しいくらいに動作が体に染み付いている。そのくせ生きている実感を抱いている。他人の命を断つ事で俺が生きていると理解できる。出来てしまう。

 体は極自然にエンジンをふかした。いつもと同じ振動に身を委ねる。


 また一人轢かれて死んだ。事故死だった。





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