第四色 ⑤
この世界に来て十五年も経つというのに、昔の暗い出来事にどんどん引き戻されていくのを感じる。
セーラー服に身を包む自分が持つ体育着は濡れていて、ところどころに泥のようなものが付着している。ずぶ濡れになった外履きと裂かれた教科書などか走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
それと同時に頭に浮かぶのは、自分に
この世界に来たのは、いつもと変わらない日だった。
女子グループの一人に無理矢理腕を掴まれて、それを払って必死に逃げていた時、気付いたら周りは時代劇に出て来るような木造建築が所狭しと並んでいた。
辺りを見渡せば、みんな着物や甚平などの和服に身を包んでいて、大人も子供も関係なくその髪と目の派手な色合いに驚いた。
「空……」
身体がびくりと震える。驚いて振り返ると、
「七両、ごめんなさい。気が付かなくて。琥珀くんは一緒じゃないのね」
「ああ。琥珀なら常磐たちと一緒にいる」
「そう。琥珀くん、こっちの世界に馴染めているみたいで良かったわ。本当は元の世界に帰りたいでしょうけど……」
「俺から見れば、あんただって馴染んでるように見えるけどな?」
七両がそう言うと、空は苦笑した。
「最初は不安だったの。全然違う世界に来て、見た目もみんなと違ってて。自分一人が異質に思えたのよ。でも、ここに来てもう十五年も経つのね」
「さっき、何を考えてたんだ?」
「さっき?」
七両はまっすぐ空を見つめる。
「あんたのあんな顔を見たのは久しぶりだった。初めて
「思い出しちゃったのよ。元の世界にいた時のこと」
伏し目がちにそう答える。少しの間、沈黙が流れた。
七両は少ししてから口を開いた。
「あんたたちが染めた和服を汚した奴のことだけどな……」
七両が言いかけた時、外から賑やかな声が聞こえてきた。
空が慌てて作業場の玄関に向かい、引き戸を開ける。
「よう、空! 分かったぜ。何で和服に色が付いたのか」
「何だよ七両、お前も来てたのか?」
「まあな。それで、原因は何だったんだ?」
「あの、失礼します」
そこに親子が店に入って来た。父親と母親、それに幼い子供たちが三人。
「先日は申し訳ありませんでした」
両親は空に向かって頭を下げた。
「あの、どうされましたか?」
空が少し困惑した顔を夫婦に向けて尋ねる。
「実は、うちの子たちがこちらで干していた衣服に能力を使用してしまって……」
「え? この子たちが?」
「はい。最近、能力を使い初めまして、まだ使い方も分かっていない状態での使用で。申し訳ありません、お客様からの大事な預かり物を。ほら、お前たちも謝りなさい」
父親に促された子供たちは小さくごめんなさい、と言って頭を下げた。
「そうだったんですね。大丈夫ですよ。今、色を落とそうと思っていましたから」
空は頭を下げる両親に笑顔を向けてから、子供たちの頭を撫でた。
「あの、汚してしまった衣服はこちらで責任を持って色を落としたいと思っているのですが、少しの間お預かりしてもよろしいでしょうか? 必ず、綺麗にしてお返ししますから」
「そんな、よろしいんですか?」
「ええ、もちろんです」
空はまだ迷っているらしかったが、やがて、分かりました、と首を縦に振った。
「誰かがわざと汚したんじゃなかったんだ」
琥珀は安心して溜息を吐いた。常磐も同じようにほっとした表情を見せる。
空は衣類を風呂敷に包むと、母親に手渡した。
「色を落としたらお返しに伺います」
「はい。お待ちしています」
空はそう言った後、屈んで子供たちに視線を合わせると、
「ほら、顔を上げて。次からはちゃんと周りを見て能力を使うのよ?」
子供たちの顔はぱっと明るくなった。笑顔で頷く。
「それでは、私たちはこれで失礼します。こちらのご主人にもよろしくお伝え下さい」
※※※
「そうか、恨みなどを買っているんじゃないかと思っていたが、子供たちが原因だったか!」
「俺たちも驚いたぜ。あーあ、あんなに色々聞いて回ったのになー」
山吹はそう言って、頬杖をついた。
「だが、嫌がらせじゃなくて良かった。それが一番気になっていたからな」
「ところで、どうして僕に先に行けって言ったの?」
琥珀が七両へ顔を向ける。
同じように
「何か急な仕事でも入ったのか?」
「いや、そんなんじゃねぇよ。
「柑子の所に行ったのかい? 何で、また」
「最近ニンゲンが被害に遭っていないか聞きに行った」
「珍しいじゃないか。いつもは自分から行かないだろう?」
浅葱の問いに、
「俺も故意にやってるとばかり思ってた。そうじゃなくて良かったけどな」
「みんな、本当にありがとう。あっ、そうだわ。ちょっと待ってて。桃切って来るから」
「おっ! 昨日常磐がくれたやつか?」
山吹が笑顔で聞き返す。
「ええ、まだ剥いてなかったから」
そう言うと、空は台所へ向かって行った。
「みんな、本当にすまなかったな。迷惑をかけてしまって」
鳶が頭を下げると、
「そんなの気にしなくていいよ」
「そうだぜ、じいさん。気にすんなって」
常磐と山吹がそれぞれ答えると、琥珀たちも同じように頷いた。
少しすると、空が切った桃を皿に載せて持って来た。
運ばれてきた桃は肉厚で瑞々しくおいしそうだ。
「おいしそう。頂きます」
琥珀はそう呟いて、桃に手を伸ばした。
みんなも同じように桃に手を伸ばす。
口に運んだ瞬間、甘い香りと果汁が口の中に広がった。
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