真事の怪談 ~奇石、つめあわせ~

松岡真事

前編『物怪』 ~モノらしき姿をした何か、の話~

第1話 発泡スチロール

 21世紀になって間もない頃のこと。

 その当時に幼稚園の年長組だった加奈子さんが、「やけに克明に覚えているのだ」と前置きした上で教えてくれた話。



 その年、加奈子さんの住んでいる地域に台風が直撃のコースをとった。


 あまり勢力の強くない台風だったが、雨を運んでくるタイプだった。川端の、あまり地盤のしっかりしていない土地に建つアパートに住んでいた彼女の一家は大雨被害を恐れ、近くの公民館へ避難することを決めたという。


「一家、と言っても母子家庭だったから、私とお母さんだけですね。アパートもかなり年期の入った建物だったから、入居者の人もほとんど避難してたと思うな。管理人さんが一番先に公民館へ逃げてった、って噂もあったくらいだし」


 「先に車に乗ってて。お部屋の確認してくるから」と不安げな表情を隠しきれぬお母さん。加奈子さんは、助手席に一人ちょこんと座らされ、不穏な鈍色の空と、びゅうびゅう強まっていく風になぶられる外の景色を眺めていた。


 その時、白いものが目にとまる。

 お向かいの酒屋さんの店先に立てかけられた、少し大きめな発泡スチロールの箱。

 それは随分の間、風が吹くに任せて小刻みに震えていたのであるが、


「あ、とんだ」


 遂に、強風の威力に負けて吹き飛ばされてしまった。

 気持ちがいいほど、ころころ転がってぽーんと飛んでいった。


(うふふふふふ)


 その爽快なまでの飛ばされっぷりに、思わず加奈子さんは笑みをこぼした。

 だが、次の瞬間、


(えっ?)


 発泡は、ものすごい勢いで戻ってきた。


 まるで、さっき起こった様を巻き戻しにしたようだった。


 ぽーん、ぽーんと軽快に戻ってきたそれは、ころころと何回か地上を転がり、


(あ。もとどおり)


 一番はじめにあった場所、酒屋さんの入り口際の壁に、再び立てかけられる形となった。


 ・・・何で?


 その時、お母さんが運転席のドアを開けた。


「ああもう!てんやわんやよ、まったく!!」


 慌ただしく乗り込み、素早くエンジンをかける。

 そして速攻で車を出そうとして、

  ふと お母さんは酒屋さんの方へ視線を向けた。


「――あの発泡、」


 ひとりごとのように呟く。


「どうして この風の中、まったく動いてないのかしら?」


 が直後、「それどころじゃないわ」と言わんばかりに、お母さんは車を出した。

 加奈子さんは助手席から、遠く見えなくなるまで、その発泡を目で追っていた。

 ずっと、ずっと、動かなかった。



 翌日のこと。

 台風が直前になって微妙にズレてくれたおかげで、彼女の住む町には何の被害もなかった。

 お母さんと一緒にアパートに戻って来ると、発泡スチロールの箱は影も形もなくなっていた。


 何だか、ほっとしたという。

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