リバート

皆本ヒロシ

第1話 システムエンジニア、真田(パート1)

 真夏の日差しが強烈に照りつける溜池山王の街並みを歩きながら、昼食を終えたばかりの真田 頼之さなだ よりゆきは心の中で愚痴をこぼしていた。

(風があっても、これじゃあまるでドライヤーをあてられているみたいだな。)

 毎年のことながら、夏のビル街は人の歩くような場所じゃないと彼は思う。日本には夕涼みなんて言葉があるが、ここじゃ夕方でもいっこうに涼しくなんてならない。


 ふと、わきに目をやると、どうやら本日オープンするらしい立ち飲み屋が目に入った。店の中では、若い男女のスタッフ達が、せわしなく、けれども楽しそうに開店の準備を進めていた。

(お、新しい立ち飲み屋か。帰りに、社長を誘って暑気払いもいいな。)


 そんなことを考えながら、真田は自身の勤める株式会社ランプノートのある雑居ビルの入口に着いた。


 築年数はゆうに30年を越えている、お世辞にも洒落たビルではない。しかしその佇まいに緊張感がなくて、かえって真田は好きだった。


「真田、戻りました。」

 オフィスに入ると、いつものように5人の同僚たちが黙々と仕事をしている。一番奥にいる、40過ぎの男が真田を見つけて笑顔を作る。

「おかえり、真田くん。今日のお客さん、どうだった?」

 ランプノートの社長、春山田 俊二はにこやかに尋ねた。

「うーん、どうですかね。雰囲気的にはうち以外にも相談しているようなので、まだお仕事をいただけるかは怪しいですね。」

 真田がそう言うと、春山田は笑顔のまま

「そう、引き続き頑張って。」

 とだけ言った。


 ランプノートは、1999年創業のWebシステム開発会社。この業界にしては、そこそこ古参と言ってもいい歴史を持っていて、来年には創業20周年を迎える。そのわりに、スタッフの数は社長を含めて6人と少ない。その全員が、溜池山王の小さなオフィスで一堂に会して仕事をしている。要するに、零細企業だ。


 ランプノートは、自社製品や自社サービスを持っていない。顧客からオーダーされたWebシステムを設計開発して納品するという、いわばIT工務店のようなビジネスをしている。一般的にはこれを、受託開発という。


 真田はこの会社の平均年齢と同じ31歳。まだ独身で、恋人もいない。Webシステム開発の仕事というと、コンピューターのモニターの前にかじりついて、ずっとキーボードを打っているというのが世間のイメージのようだが、真田の仕事はそれとは違う。プログラミングの知識はあるが、自身がプログラミングをすることはない。顧客とプログラマの間を取り持つ、システムエンジニアという職種が彼のポジションだ。顧客が望むWebシステムを整理して設計し、プログラマに指示をするのが主な役割である。


 この会社では、人間と機械、どちらと話をするのが得意かで役割が決まる。真田は、前者だった。


「真田さんなら、絶対受注してくれますよ。なんてったって、ミスター・パーフェクトですもん。」

 社長とのやり取りを聞いていた、システムエンジニアの尾形 智おがた さとしが真田を持ち上げる。

「まぁ、な。あ、そうだ尾形。今日、駅前に新しい立ち飲み屋オープンするみたいだぞ。」

「え、マジすか?やばいスね、さっそく今晩行っちゃいます?」

 29歳の尾形は、若者のような言葉遣いがまだ抜けていない。2歳違いとは言え、三十路を迎えた真田はついつい苦笑してしまう。


 真田がジャケットをハンガーラックにかけ、ネクタイを緩めようとした時、社内の電話が鳴った。

 総務の美女木びじょき ありさがワンコールで応答する。

「お電話ありがとうございます。ランプノート、美女木が承ります。」


 ありさは、独身男性3人をかかえるこの会社の紅一点で、今年27歳の独身。地味な会社の雰囲気に似つかわしくない、目鼻立ちのはっきりとした美人だ。打ち合わせに訪れる得意先の男性陣からは、あんな美人がオフィスにいるなんて、などとよく羨ましがられる。だが、真田はこの女が少し苦手だった。なんというか、真田に対して否定的なのだ。その冷静な正論を、真田は言い返すことができない。当然、ミスター・パーフェクトと自分を持ち上げてくれる尾形とばかり、仲良くしてしまう。


 真田は壁にかけられた、スコアボードを眺める。

 そこには、全スタッフ6名の生産性を数値化したランキングが掲示されている。

 真田はそこで、圧倒的なディフェンディング・チャンピオンとして君臨し続けている。


 ありさは、そんな真田の活躍を常にいぶかしがっている。

「ほんと不思議。なんで、真田さんなんかがずっと1位なの?」

 電話応対を終えたありさが、いつのまにか真田の隣に来てそう言った。

「そりゃ、俺だって努力してるからね。伊達にこの業界で10年近くメシを食ってるわけじゃないってこと。」

 そう言いながら、真田は実のところ冷や汗をかいていた。ありさの言う通りなのだ。

は、仕事ができる奴なんかじゃないからな・・・)


「ま、いいけど。」

 艶やかなクリーム色のワンピーススーツに、バーガンディ色のパンプスを履いたありさは、そう言い残して給湯室に消えていった。

(美女木さん、香水変えたな・・・彼氏と別れたのかな)

 仕事中にも関わらず真田がそんなことを考えていると、尾形が机越しに声をかけてきた。

「真田さんにお電話です。多分、T企画の小川さんだと思うんですけど、なんかすごい怒ってて。」

「え?」

 真田はドキリとした。

(俺、のか・・・?)


 こういうとき、真田は自分の心臓の音がオフィスの全員に聞こえてしまうんじゃないかと思うほどに大きく感じる。震える手で電話機を持ち上げる。


「お、お電話代わりました。さ、真田です・・・。」

 消え入りそうな声で彼が電話にでると、相手の男が、それこそオフィス全員にはっきりと聞こえる程の声量で怒鳴り立てた。

「おい、真田さん!どうなってんだよ?今日14時にサイトリニューアル作業やってくれって言っておいただろう!全然変わってないよ?!こっちはイベント会場で大恥かいちゃったじゃねぇか!」


(あ!し、、、、しまった・・・!)

 盆休みに焼けて健康的だった真田の肌色が、みるみる土気色に変わっていく。


(そうだ、今日だ、、、今日だったんだ・・・!)


 今日の14時、真田はこのオフィスで、T企画のサイトリニューアル作業を実施しなければならなかったのだ。T企画の小川から、1分だって遅れてはいけないと厳重に釘を差されていたのに。


 真田は手元のオメガの腕時計を確認した。


(14時38分・・・・!)


「今日の14時は絶対って言っただろう!本当どうしてくれるんだよ!」

「も、申し訳ございません。今すぐ作業に取り掛かりますので・・・」

 真田の膝は、今にも崩れ落ちそうなほど震えている。真田のやり取りを見ている尾形が、見たことのない不思議なものを見るように首を傾げている。

「本当に、いますぐやりますから・・・」

「もういいよ!イベントのタイムテーブルは終わっちゃったよ!うちの社長、激怒しているから、とりあえず今晩うちのオフィスまで謝罪に来いよ!」

 そう怒鳴ると、真田の返答を待たずに相手の男は電話を切った。携帯からの電話なのでそんなはずはないのだが、真田には”ガチャンッ!”という乱暴な音が聞こえたような気がした。


 電話機を持ったままその場で立ち尽くしている真田に、尾形が近づいてきた。

「さ、真田さん?大丈夫ですか?なんか、らしくないっていうか・・・」


 給湯室から戻ってきたありさが、わずかに褐色がかった長い髪を指先でいじりながら言う。

「違うって尾形さん。真田さんって、本当は肝が小さいんだって。あたし、そういうのすぐわかるもの。」

「でも、いつもの真田さんは・・・」


 尾形とありさが何かを話している。だが、真田の耳が二人の声を聞き取ることは到底難しかった。まるで、プールの中に潜っているときのような、そんな聞こえ方がしていた。そう思った刹那、今度は真田の視界が一気に暗転する。何も見えなくなった。そのまま真田の意識は、はてしない漆黒に飲み込まれていく。



 ・・・暑い。とにかく暑い。

 ジリジリと照りつける容赦のない夏の日差し。アスファルトの地熱を乗せたビルの隙間風は、まるでドライヤーのようだ。


 猛烈な暑さの中で、真田は目を開けた。

 どうやら本日オープンするらしい立ち飲み屋が目に入った。店の中では、若い男女のスタッフ達が、せわしく、けれども楽しそうに開店の準備を進めていた。


(・・・・・・・。)


 真田は左手のオメガを確認する。時計の針は13時45分を指している。

 照りつける太陽を遮るように左手を顔の前に掲げ、真田はつぶやいた。


「リバート・・・。よかった、リバートしたぞ。」

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