第十話 魔法少女でも母親だから

 弟子達に空へ避難しているように指示を出して、イフリートと対峙する。七海も相手の力量を正確に測っていたのか不用意に動こうとしない。緊張感だけが高まっていく。

 痺れを切らしたイフリートの炎に揺らぎを感じ、あたし達が迎撃の構えを取る。


 その時だった。


「イフリート〜、久しぶり〜」


 張り詰めた空気が音を立てて崩れ去る……ような気がするほど肩透かしを食らった。


「ケルベロス!?」

「さ、さくら!?」

「さくらぁ!?」


 あたしと七海が同時に声を上げた。どちらもそこにいるはずがない子犬の悪魔に驚愕が隠せない。もちろん、抱いている感情は全くの別物なのだが。

 完全にさくらを敵として認識している七海への説明は後回し。まずは約束を破ったペットへの言及が先だ。


「なんでここにいんだよ。あたしは雪のお守りを頼んだつもりなんだけど?」

「そんな怖い顔しないでよ。雪ちゃんが不貞腐れて寝ちゃったから暇だったんだよね。それに、僕が来た方が早く終わると思ってさ」

「雪を置いてきたのは百歩譲って許してやる。でもな、お前の魔力はいまあたしが持ってんだぞ? 昔はイフリートより強かったらしいけど今は足でまといにしかならないだろうが」

「そうじゃなくてさ……それより、先にベリーを止めてくれない? 僕消されちゃうから」


 横にいる七海に目をやると、殺す気満々の構えで槍に魔力を溜め続けていた。七海にとってのケルベロスは疑いの余地なく殺害対象。あたしを死の間際まで追い込んで笑っていた狂気の塊なのだ。

 急いで七海とさくらの間に割って入り、殺意の波動に目覚めた親友をなだめる。


「な、七海落ち着け! こいつはもう敵じゃないんだ!」

「何言ってるのよあかり。どれだけ酷い目にあったか忘れたの? 変身してない今倒さないと、上位悪魔二体相手に戦うのは分が悪いわよ。一瞬で終わらせないと」

「聞けって! いまのケルベロスはあたしの使い魔なんだ!」

「…………使い魔?」

「そうだ! 魔力だってほとんどあたしの中にある! 契約の印だって刻まれてるだろ?」

「…………」


 七海はケルベロスを凝視して、その背中にある黒い紋様を確認した。にわかに信じられないと言いたくて仕方ない顔だ。それもそのはず、悪魔と契約出来る事すらあたし達の世代には知られていなかった。しかも相手はあのケルベロス。信じきれないのも無理はない。

 数秒黙考した後、七海は武器を下ろして眉間を揉んだ。


「ま、まぁ、今だけあかりを信じるわ。また後でキチンと説明してね」

「あぁ、ありがとな」


 絡み合った悩みの糸が一本だけするりと解けた気がした。あとはイフリートを何とかしないといけない。いまのゴタゴタに乗じて攻撃してこなかったのも気になるところだ。

 ずっと黙って聞いていたイフリートへようやく向き直った時には、すでに決着していたのかもしれない。何せ、彼女から放たれていた殺気が跡形もなく消え失せていたのだから。


「ケルベロス……死んでない」

「元気そうだね。何年ぶりかなぁ?」

「八十四年と十一ヶ月」

「わざわざ覚えててくれたのがすごく嬉しくないや。ちょっと怖いよ?」

「へへ……やっと会えた……会いたかった」


 随分と仲が良さそう(?)に見えるところ、二人の関係性はかなり昔から続いていたのだろう。片想いくらい温度差があるけど、これだけさくらにぞっこんしているのなら話し合いだけで送り返すことが出来るのかもしれない。

 トコトコとイフリートに近付くケルベロス。それを迎え入れるためにしゃがみこむイフリート。傍目からは散歩中の犬と遊ぶ少女にしか見えず、先程までの激闘が嘘のようだ。

 そのまま少し話し込んでいた二人は、同時に立ち上がってこちらに歩いてくる。


「あかり。解決したよ」

「そ、そうか。大人しく魔界に帰ってくれるんだな?」

「イフリートも使い魔にしちゃおう」

「……………………はぁ?」


 この駄犬、なんて言った?


「ごめん、聞き取れなかったわ」

「よろしくお願いします……」

「いやいやいや無理だって!!」

「なんで……?」

「何でって、ウチにはもうさくらがいるんだぞ!? 上位悪魔二体も手元に置くとか持て余すってか、魔法少……正義の味方としてどうかと思うってか……」

「……わたし……魔法少女になる」

「はぁ!?!?」

「…………ママ」

「ママぁ!?!?」


 待て待て待て待て! なんだこの流れ!!

ずいっとおでこを突き出してくるイフリートはもうあたしの子供になった気でいるし、七海は関わりたくない一心で目を逸らしてこちらを向こうとしないし、空に浮かぶ弟子達は愕然として脳死状態で口が開いてるしで逃げ道がない。

 意味のわからない結果にしどろもどろのあたしの肩にさくらが飛び乗り、周りに聞こえないよう耳打ちをしてきた。


「あかり、イフリートを味方に出来るのは本当に運がいいんだ。この子より強い悪魔なんて両手で数えられるくらいしかいない。不死の悪魔なんだよ」

「だからってよぉ~……」

「それに、イフリートの力があかりにも使える事になる。不死は無理だけど、炎と岩の能力があれば格段に、全盛期以上のポテンシャルになるんだよ?」

「ん〜……」

「悩むのもわかるよ。ならこうしよう。イフリートを使い魔にするなら、僕があかりの味方についた例の話をしてあげる」

「っ!!」


 さくらがまだ早いとひた隠しにしてきた秘密。恐らく今回の魔界ゲート開門に関わる大筋に触れる話が聞けると言っているのだ。

 知りたい。知って、今度こそ魔界ゲートを破壊したい。雪や康介が安心して外に出られるような平和な世の中にするんだ。


「はぁ……あたしって悪魔の誘惑に弱いのか? それとも悪魔はみんなプレゼンが上手いのか?」

「答えが出たね」

「あぁ、腹は決めた。イフリート、うちに来い」


 ニコニコと頷くイフリートの額に手を当て、契約の儀を行う。彼女から忠誠心が流れ込んできて、莫大な魔力を受け止めてから一部を返上した。

 イフリートの手首にケルベロスと同様の契約印が浮かび上がり、今回の激戦に終止符が打たれた。











 いつの間にか夕日が差し込む時間になっていた。ひとまず旦那に説明するまでは七海にイフリートを預かってもらい(めちゃくちゃ嫌がられたけど)、事態が消化しきれない子供たちを家に送り届けてから帰路についた。


 こっそりとドアを開けて、さくらと二人で忍び足で帰宅。電気が消えていたので、まだ雪は寝ているのだろう。一度寝たらなかなか起きないから足音くらい出しても大丈夫なのだけど。

 自室に荷物を置いて、晩御飯の支度の前に一度居間に向かう。夕日も落ちて暗く見えにくい部屋へ光を入れると、そこには膝を抱えたままじっと固まっている雪の姿があった。


「ゆ、雪……」


 心臓が飛び出そうな衝撃を押さえ込んで、黙って床を見つめる娘の前に座る。目も合わさず、おかえりも言わず、ただただ無表情に何かを考えているようだった。


「あのさ、雪……」

「早くかえってくるって言った」


 消え入りそうな声に、あたしの胸に強烈な痛みが走った。


「ごめん雪……」

「やくそくした……ゆき、まってたのに」

「ごめん、ごめんな……」

「ママ、よくいなくなるよね」


 雪は顔を上げた。その目は、不安と孤独に押し潰されそうになった人がする悲しい目。あたしが一番よく知っている目だった。子供の頃から、あたしの大事な人にさせまいと誓っていたのに。

 肺が握り潰されるようで、涙腺が緩む。


「ゆきのこと……きらい?」


 耐えられなかった。

 あたしは雪を強く抱き締めて、目をぎゅっとつむって涙を堪える。

 そうだ、いつも雪を置いて戦っていた。理由を付けて置き去りにしてきたツケが回ってきたのだ。守りたい一心で、娘の心を蔑ろにしてしまった。一番不安定で大事な時期なのに、こんなの母親失格だ。

 だから、しっかり言葉で伝えなければならない。態度で示さないといけない。


「嫌いなわけないだろ……、大好きだよ、世界で一番だ。パパと二人で、雪を幸せにするって、誰よりも愛そうって約束したんだ。だからごめん! 約束破ってごめん!」

「ママ……ゆきも、ママがだいすきだよ」

「うぅ……もう約束破らない。絶対だ。だから仲直りしよ……。ママを、ママでいさせてくれ……」


 堪えきれなくて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったまま雪を見つめた。一瞬驚いた顔をした雪は、困ったように笑いながらあたしの頭を撫でた。


「もうダメだよ? 指切りしよ」

「あぁ、指切りな! 針飲みたくないもんな!」

「へへっ、ママばっちぃ」

「うぉお、ティッシュティッシュ!」

「ねぇ、ママ。お腹減った」

「んんっ! おぅ! 今日は何でも作るぞ! 雪が王様だ!」

「やった! おうさまはね〜、チャーハンが食べたいの」

「じゃあお子様ランチだな。チャーハンに旗刺して上げるぞ」

「はたー!」


 小指を繋いだまま、母娘であることを確かめるように笑いあった。当たり前のはずなのに、いつの間にか遠くなっていた温もりを感じて、あたしは実感するのだ。


 子供に『親』にしてもらうって、きっとこういう事なんだと思う。


「あ、わすれてた」

「ん? どした?」

「あのねあのね」


 急に立ち上がって自分の部屋に入っていった雪は、一枚のプリントを持って帰ってきた。

 なんだか嫌な予感がして、恐る恐る内容を確かめる。


「さ、三者面談……」

「ママ学校にくるんだって」

「しかも……明日ぁ!?」

「あしただっけ?」

「ゆ、雪ぃ!! こういうのは貰った日に出せっていつも言ってんだろ!!」

「キャーー!」


 自分も約束守ってないくせによくママを責めやがったなナマイキ娘め!


 それから、しばらく跳ねっ返りと鬼ごっこをして、いつの間にか仲直りして、二人でお子様ランチを食べた。

 何事も無かったかのようにぐっすり眠る雪の顔を眺めながら、あたしもすぐに寝てしまったのだった。

 そして、旦那の飯を作り忘れて翌朝ひたすら謝ったのでした。




 ちなみに、次の日の三者面談なのだが……。


「あかりちゃん。最近家にいないことが多くなっていると聞いております。事情は人それぞれと言いますので詳しくは聞きませんが、雪ちゃんと過ごす時間をもっと大切にしなさい。この時期の子供は身体だけでなく精神的にも……」

「はい……はい……」


 あたしが子供の頃から教師をしているおばあちゃん先生にこっぴどく叱られました。

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