戦国外典(センゴク・アポクリファ) ~黄金島嶼(ゴールデン・アイランド)

HIROSHI

序の噺(プロロ-グ) 1


   ―― 天正九(1581)年秋


「えぇぇい! 返事はまだか!」


 陣幕に、男の甲高い声が響き渡った。


 周りにいた武将たちは、耳を劈くような声に眉を寄せる。


 男は台を激しく叩くと、苛立たしそうに立ち上がた。


 細長い顔が、真っ青だ。


「遅い! 遅すぎるぞ!」


 親指の爪を噛みながら、右へ左へと犬のようにそわそわと歩き回る。


 大傘を掲げた小姓も、男が雨に濡れないように行った来たりと大変だ。


「落ち着かれよ、信雄(のぶかつ)殿。総大将がその体では敵に笑われますぞ。もはや、勝利は我らの手の内にあるのですぞ」


 傍に座っていた武将が、少々呆れた顔で言った。


 男は、北畠(きたばたけ)信雄という。


 織田信長の次男だ。


「バカもん! これが落ち着いていられるか! いくら戦に勝っても、あれが手に入らなければ、ワ、ワ、ワシは、父上に殺される!」


 信雄は、可哀想なぐらい声が震えていた。


 従者が駆け込んできた。敵方から使者が来たと伝えた。


「まことか! 助かった」


 信雄は安堵の表情を浮かべた。


「早く、使者をこれへ」


 現れたのは、女だった。


 鎧を着けてはいるが、漆のような長い黒髪を首筋で結わえた、目元の涼しげな女だ。


 彼女は、並み居る武将の前でも物怖じせず、凛とした面持ちで立っている。


「良く来た。それで、返事は? あれ(・・)は持ってきたか?」


 信雄の問いに、女は黙って首を振った。


「な、何じゃと! どういうことじゃ。和睦の条件は、あれ(・・)を差し出すことじゃ。あれ(・・)を出さなければ、村ごと焼き払うぞ!」


 脅しをかけるが、女は眉毛一本すら動かさない。


 女は、石榴のように赤い唇を開いた。


「あれ(・・)を守るのが、ワシらの〝掟〟! そのためならば、命も惜しまぬ。あれ(・・)を渡すぐらいならば、一族郎党、城を枕に討ち死にする。これが、ワシらの返事だ」


「な、何を~~!」


「それでは、あの世で会いましょう」


 女は云うだけ云うと、踵を返した。


「このクソ女(あま)! 女を逃すな! 捕まえよ!」


 兵士たちが女を取り囲んだ。


「これが、使者に対する織田家の礼儀か?」


「喧しい! 戦場で礼儀もクソもあるか! ワシじゃって、命がかかっておるんじゃ。お前を人質として、あれ(・・)と交換させてやる」


「ワシを人質にとっても無駄だぞ」


「ほざけ、女。ほれ、捕まえよ!」


 兵士たちが踊りかかる。


 女は、すっと腰の物を抜き、あっという間に、二、三人の男を切り倒した。


 兵士たちはどよめき、後ずさりする。


「えぇぇい、何をしている、早く捕まえぬか!」


 信雄は怒鳴り散らすが、兵士たちは完全に怖気づいている


 女は、信雄を鼻で笑った。


「お、おのれ、女! だ、誰か捕まえろ! 捕まえたヤツに金をやる」


 女は兵士たちを見回す。


 兵士たちは視線を逸らし、さっと道を開ける。


 女は、悠々と歩き出した。


 そのときだ。


 女がうっと唸ったかと思うと、体が空中に舞い上がった。


 そのまま一丈(約3メートル)近く吹っ飛び、台の上に叩きつけられた。

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