第7話その7.
「そういう洵矢はなんで描いてるの。わざわざ授業サボってまで」
初めて聞かれる問いだった。それもそうだ。僕がここで絵を描いていることの第一発見者は布野なのだから。
「どうした突然」
「いいでしょ、わたしも答えたんだから」
曖昧な返答では、逃がしてくれないらしい。
布野にせかされながら、僕は少しずつ言葉を紡いだ。
「僕はここに逃げてきたんだよ。授業をサボってるのは、反抗期みたいなもんだな。親とか、社会とか、そういうものに対する」
どんなコメントが返ってくるのかが怖くて、視線をスケッチブックへと落とした。
「進みもしないことを延々とやって、いろんなことから逃げてる。」
「そっか、逃げてるんだ。わたしも変わらないな。いろんなことから逃げてる」
この返答が、予想外だった。もっと「なにそれかっこつけちゃって!」とか言いながら、肩でも叩かれると思った。
「それで、何から逃げてんの」
意外な布野の姿勢に面食らっていた僕は、口が滑り出しても、そのまま滑らせておきたくなった。
これも、予想外な反応で許される気がしたのだ。
「両親が離婚してさ、母さんが自分勝手になったんだ。父さんは変な方向に責任感が強くて音信不通。連絡する資格が無いとか思ってるんだと思う。
一人っ子の僕は、必然的に家事全般こなしてるわけ。なら学校でくらい、好き勝手やってやろうかなって」
自虐的に話す僕の話を、布野は茶化すことなく聞いてくれた。その瞳に僕の恐れている色は見えない。いや、存在しないのだろう。
いままでとは違うタイプの聞く姿勢に、気が付くと、今まで錆びていた僕の口は、油を射したように饒舌さを増していった。
「両親の勝手でやってることのしわ寄せが、子供に来てるんだよ。子供だからさ、仕方ないとは思うよ。僕は育ててもらう側だ。一人前でない人間に、文句を言う資格なんてない。
でもせめて、一言何かあってもいいんじゃないかって思う。それに、離婚後好き勝手やってることまで、なんで我慢しないといけないんだ。」
感情のダムが、決壊した。自分でもびっくりするほど、突然に。
「けどそれも、仕方ないんだよ。結局僕らは子供で、彼らは大人なんだ。力も、経済力も、何もかも届かない」
自分の言葉が支離滅裂だとしても、話すのを止めることは出来なかった。
誰かに聞いて欲しかったのだ。そんなこと、ずっと前からわかっていた。そこからも、逃げていた。
惨めだと思われたくない。哀れだと思われたくない。そう思えば思うほど、誰かに話すのが怖くなる。そうしているうちに壁ができて、僕は一人を当たり前にした。
それでも、日々心に溜まっていく老廃物。どこに出していいのか、今までわからなかった。出すべき場所を、誰も教えてくれやしなかった。僕の中から出ていったのだ。涙と共に流れているのだ。
突然やって来た感情という海の大荒れ。今まで溜めてきた想いは止まってくれない。
それを布野は、黙って聞いてくれた。彼女の眼は、哀れんではいなかった。ただ話を聞いて、黙って頷いた。
しばらくすると、僕の中にあった老廃物はほとんど消えていた。しかし、家に帰ると、結局また同じ想いが溜まっていくのもわかっている。
それでも今は、軽くなった心の心地よさが嬉しかった。
「ここからの絵しか描かないの」
突然、布野がそんなことを聞いてきた。布野にしては落ち着いた、赤子をあやすような声音。
喉と気持ちを落ち着かせるために、僕は持ってきていたお茶を一口飲む。
「たまに緑地公園でも描いてるな」
「学校から、ひと駅向こうのところだね」
「そうだけど」
「じゃあ、今度見かけたら声をかけようかな。ここからの景色以外のも見たいからね」
そう言うと、読みかけていた漫画を給水塔の下へ投げ入れ、梯子を降りて校舎へと戻っていった。「そいじゃ!」といつも通りの挨拶を投げてよこしながら。
それと同時にチャイムが鳴る。二時間目が終わったのだろう。
布野は、三時間目を受けてクラスの女の子とお昼を食べた後、ここへ戻ってくる。
それまでに、この涙の跡をどうにかしよう。僕は少し間を置いて、涙の跡を消すために屋上をあとにした。
日曜日。午前中のうちにトイレ掃除と洗濯物干しを済ませると、電車に乗って緑地公園へとやって来た。
右肩には、色鉛筆のセットとスケッチブックが入ったトートバッグを下げている。たまには色付けもしようかと思い立ったからだ。
誰かに教わったわけでもないから、色や紙の使い方が正しいのかはわからない。
逃避から始めたことだし、それでいいと思っているけれど、やはり少しくらいなら勉強するのもありだろうか。
かなり広いこの緑地公園は、道路を挟んで東側に『ロケット広場』、西側に『砦広場』があり、それぞれ名前にちなんだ遊具が置かれている。
他にも芝生の広場があったり、小さな池のある場所があったりと子供が遊ぶにはもってこい場所だ。休日には家族連れなんかもたくさんやってくる。
今日は、芝生の広場の片隅で描こう。天気が良いから、綺麗な空を遮るものが入ってほしくない。
空だけでも少し寂しい気がしたので、走り回っている子供たちも少し入れることにした。
持ってきた小さなレジャーシートに腰を下ろし、スケッチブックに色を載せていく。たくさんの飴玉を溶かしたようにカラフルになっていくページが綺麗だ。
色付きのほうが描いていて楽しいし好きだけれど、学校では、どうしても手早く用意と片付けのできる鉛筆の単色描きになってしまう。
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