クッキー味のクッキー

「こんにちは」

 ててん、と小さな足音をさせてお店に入って来たイララちゃんに、ヤマダシンゴは怖い声であいさつした。


「きたよ」

「いらっしゃい」

「うん……」

 イララちゃんはててこ、ててこ、とお店のカウンターまでやってきて、椅子に座った。

 ヤマダシンゴはそっとイララちゃんの前にコップを出して、きらきらする水を入れてくれた。


「今日も歌わない? 色々な詩、取り揃えているよ」


 ヤマダシンゴはヘンテコリンな窓の付いた箱を、くい、と指さして柔らかい笑みを見せてくれたが、イララちゃんは、ふりふりと顔を横に振った。


「ヤマンゴ……」

「ヤマダシンゴ、です」

「……ヤマンゴ」

「……はい、なんですか?」


 そんなにヤマダシンゴって変かな、とヤマダシンゴはちょっとだけ思ったけれども、口には出さずにイララちゃんに問い返した。イララちゃんはここ数日、このカラオケにやってきては、何も歌わずに帰っていく。

 ただ、水をコップ一杯だけ飲んで、凄く簡単な会話だけして帰っていくばかりだった。来るたびに『ヤマダシンゴ』と訂正はしているのだけれど、イララちゃんにはすっかり『ヤマンゴ』で定着しているらしい。


「……なんでもないかもしれない」


 そう言って、イララちゃんはコップを両手で包むようにして持った。でもそのまま口に運ばず、イララちゃんはキラキラの水をじぃっと見つめていた。

 キラキラは綺麗だ。「はぁ、たまらん」とみんな言う。みんな綺麗が好きだ。イララちゃんも、汚いより綺麗のほうが強いと思っている。


 水に映りこんだ自分の姿を見て、イララちゃんはボサボサした髪の毛がぐしゃぐしゃと丸まったり、びょんと突き抜けていたりするのに、視線を落としてしまった。


「キラキラの水」

「はい」

「キラキラの水の中にいるのに……」


 イララちゃんはしょんぼりとした声を出してしまった。

 綺麗な水の中に映っていても、イララちゃんはぼさぐしゃで、キララちゃんにはなれなかった。見ていると、嫌な気持ちになってしまうイララちゃんのまんまだった。


「ヤマンゴ……」

「はい?」

「…………なんでもないかも……」


 イララちゃんはもごもごとして、口の奥の方にある、重たいものを飲み込んだ。

 ほんとはヤマンゴに訊きたいことがあるんだけども、そんなの訊いたら絶対ダメなことだった。


 ――イララちゃんがこのカラオケの店に初めてやってきたのは、ちょっとした噂を聞いたからだ――。

 カラオケの店員は、珍妙な姿をしているぞ、と誰かが言っていた。珍妙な姿とは言ったけれど、どう珍妙なのかを聞きたくて、その知らない人のお話をじっと聞いていたら、その知らない人がイララちゃんが聞いているのを見付けてしまったので、イララちゃんはテコテコとその場を去るしかなかった。


 どうしても珍妙店員が気になったイララちゃんは、結局お店までやってきてしまった。カラオケがなんなのか、良く分からないまま来てしまって、店の前でじっとしていたら、そのまま夕暮れになっていたのが初日だった。

 二日目になって、朝からカラオケが見えるところにやってきたイララちゃんは、カラオケに入っていく店員を遠くから観察できた。

 なるほど、確かにチンでミョウだった。


「うわ……」


 思わず、そんなドン引きまじりの声を出してしまったイララちゃんは慌てて口に手をやって塞いだ。

 自分がドン引きするなんて『おこがましい』と思ったからだ。


 でも、その店員の姿はちょっぴり変とかいうよりも超変だった。

 まず、大きい。手と足が長くて、胴体もスーっとしている。


 全然違うやつだ!


 イララちゃんは、カラオケの店員が俄然気になって来た。


「何食べたらあんなになるのかな」

 イララちゃんはテコン、と足を鳴らした。自分の足はちょっと変かもしれない。でも、あのカラオケの人も変すぎる。もしかしたら、あれこそが、変態かもしれない……。


 また次の日、イララちゃんは遠くからカラオケを見ていた。

 お店らしいけれども、あんまりお客さんは入っていないように見えた。


「……お店なのに、人がこないなんて、可哀そう」


 イララちゃんは今日は遠くから一日中カラオケを見ていられるようにバスケットにご飯を入れてきていた。カラオケの見える丘の上でバスケットからクッキー味のクッキーを取り出して食べながら、店員が外に顔を出すのを待っていた。

 時々、シャボンフェアリーがぱちんと割れていたけど、そんなの全然気にならないくらい、イララちゃんは集中してカラオケ屋を観察していた。

 それからお昼が過ぎた頃、クッキーを食べていて、イララちゃんは喉が渇いたことに気が付いた。

 クッキー味のクッキーは、パサパサ感が半端ないのだ。


「水筒、明日、持ってこないといけないかもしれない」

「喉が渇いたのかな?」

「ぎゃっ」


 後ろから急に声を掛けられて、イララちゃんは気を失ってしまった。


 ――目を覚ますと、知らない部屋で寝ていた。ソファに横になっていたようで、涎がだらんと出ていた。


「ああ、気が付いた」

「ぎゃっ」

 イララちゃんは寝起きに響いた恐ろしい声に、また気絶するかと思った。

 しかし、気絶するより逃げなくちゃという気持ちが強かったので、イララちゃんはソファから跳びあがって見せた。


「おちついて、ほら……水だよ」

 恐ろしい声をしているそれは、ずっと観察していたカラオケ屋さんの人だった。

 長い手がもっているコップにはキラキラしている水が入っていた。ちょっとだけ驚いたけれど、ずっと気になっていたカラオケ屋さんを正面から見て、イララちゃんは好奇心がチュクチュクした。


「どうも」

「いえいえ……」


 コップを受け取りながら、イララちゃんはその長い手をじっと見ていた。

 やっぱり長い。指もにょきりと延びている。爪もまるまるしてる。


「ここ、だれですか。あなた、どこですか」

「……ここはカラオケ。僕は、ヤマダシンゴ」

「ヤマンゴ……、ははぁ、はぁ。存じてます」


 こちらがびびっているのを悟られてはならない。クールな大人を演じながらそんな風に思ってイララちゃんは、相手に失礼がないようにと頭をこくん、と下げた。

 本当は心の中で「うおー、変すぎる」と思っていたけれど、そんなことを言うと、ヤマンゴは気を悪くするかもしれないなと思った。


「ヤマンゴ……」

「ヤマダシンゴ、です……」

「……ヤマンゴはカラオケですか?」

「あー……、あはは、えーと……」


 必死に大人を演じたイララちゃんは、コップの水を飲み干して、颯爽と帰宅することにした。「ゴキゲンヨー」と手を振り、カラオケの店を後にして見せた。バッチリと決まっていたはずだ。

 本当はココロがバクハツしていたので、その時自分が何をしゃべったのかも思い出せないくらいだったけれども。


 ひとつだけ覚えていたのは――。


「また来てくださいね」


 という、怖い声だった。


 それから数回、イララちゃんはカラオケを訪ねることになった。

 いつ来ても誰もお客がいなかったので、イララちゃんはちょっとだけ安心していた。

 お店には奇妙で珍妙で面妖なヤマンゴと、クールで大人なイララちゃんだけなのは、ちょっとミステリアスではないだろうか。と、思っていた。ちょっと気取っていたみたい。


 カラオケに来るたび、ヤマンゴに逢う度、イララちゃんはやっぱり『違う』と思っていた。


 ヤマンゴは『ふつう』じゃない。

 『別』だ。『変』だ――と。


 それを、ずっと聞いてみたかった。

 イララちゃんは、『違う』ヤマンゴに、『変』かもしれないよね、と聞いてみたかった。

 でも、そんなの言われたら、絶対イヤな気分がする。

 どんよりフェアリーが、じゅわじゅわとカラオケを飲み込んでいくに決まっているのだ。

 それはイララちゃんにとって、溜息病くらい嫌な状況だ。


 だから――。

 その日も、カラオケにやってきて、コップに映る自分を見つめながら、じっと黙るばかりなのだ。


 イララちゃんのぼさぼさの髪を見下ろしていたヤマダシンゴは、椅子に腰かけ、そして目を閉じた。

 イララちゃんはどうしたんだろうと首をころんと傾げた。


「ひゅぅ♪」


 ヤマダシンゴの怖い声から出たとは思えない綺麗な声が、とんがった形をした口から漏れ出ていた。

 ヤマダシンゴは、瞼を閉じたまま、口をとんがらせて、「ピュー♪ ピュルリー♪」と歌ったのだ。


「な、なにそれ」

 イララちゃんは、ヤマダシンゴの怖い声から出たとは思えない美麗な音色に目ん玉をクリクリさせてみせた。


「口笛っていうんだけども……。僕が思いついた音色で即興作曲するときに使うんだ」

「くちぶえ……。でもヤマンゴの声、怖いのに!」

「あはは、良く言われる」


 あはは、と笑う声はやっぱり怖い。なのに、「ぴゅう」と零すその音は、同じ口から出たとは思えないくらい美しい。ピュウ♪ するヤマンゴになら、キスしてもいいと思った。


「変なのに……きれいなんだ」


 怖い声で、ふつうじゃないのに。ヤマンゴは綺麗だと思った。

 ちょっとだけ、一緒かもしれないなんて思ったイララちゃんは、自分がここにいちゃいけないように思えてきた。

 水に映る自分の髪の毛。変な音がする足。

 イララちゃんは恥ずかしい気持ちで、身体をまんまるにしたくなった。わたしなんて、隅っこでどんよりフェアリーに飲み込まれてしまえばいいのに、なんて間違った思いこみをし始めていた。


「僕の口笛、綺麗と言ってくれて、ありがとう」

「…………ごめんなさい。わたし、汚いから……」

 じわぁんと目ん玉の奥から、熱い熱い波が迫って来た。ヤマンゴは、静かに首を横に振った。


「僕の口笛が気に入ったのなら、カラオケをしてみないかな」

「カラオケ……」

「僕の口笛と一緒に、ココロを鳴らすんだよ」


 ヤマダシンゴは、ステージの前にある変なハコから、小さな窓のような『メニュー』を取り出す。


「ほら、そこに立ってごらん」

 イララちゃんは、椅子から降りて、ステージに向かって歩く。そこにはカラオケの箱が置いていて、小さな段差を上ると、自分の上にあるキラキラボールが回って光る。

 ステージに立ったイララちゃんは、テコテン、という自分のおかしな足音に恥ずかしくなる。やっぱり、こんなところに立ってはいけないんじゃないだろうか。


「マイクを持って」

「ん……ヤマンゴ、ヤマンゴ……」


 もごもごとするイララちゃんの声が、マイクに乗っかってカラオケを満たした。


「歌ってごらん」

「でも……」

「ピュウ♪」


 口笛がメロディーを奏でる。ヤマンゴは綺麗な音色を高らかにカラオケに響かせた。

 マイクに向かって声を出すと、わぁん、と響いた。

 まるで自分の声じゃないみたいな、イララちゃんが言いたいことを代わりに言ってくれてるみたいだった。


「『ヤマンゴ どうして 変なのだ』」

「~~♪」


 てこてん、てんてて、てんちてとん。


 カラオケは面妖だ。

 だって、ヤマンゴの口笛を聞いていると、身体が勝手にトントン跳ねるんだ。


 そしたら、足から珍妙な音がするんだ。


 リズムが心地よい気がする、かもしれない。

 みんなとちょっと違うけど、わたしの足も、口笛みたいに、綺麗な音が出せるのかも。しれない。


 イララちゃんは、その日、ステージで歌い踊り、キララちゃんになったの、かもしれない――。


 明日も来よう。カラオケに。

 今度は、お礼にお菓子をもってきてあげよう。


 クッキー味のクッキーはおいしいけれど、クッキー味のせんべいもありじゃないかと、キララちゃんは飛び跳ねた。

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