第5話 暗黒オーブ

「ふう……、だいぶ楽になったかな?」

アイラは、確かめるように腕を回し、首を振ってみせた。


「ど……、どうしたの? ど……、ドールキノコでも食べたの?」

エイミアが怪訝そうな顔で、アイラに尋ねる。


「いや……。バロールに、魔術をかけられたんだ」

「ま……、魔術?」

「ああ……、間違いない。あたしは初めてお目にかかったけど、あれは何かの魔術だ」

「ま……、魔術って、お……、王様や、と……、徳の高い僧侶しか使えないはずじゃない?」

「いや……。あれはオーブの力によるものなんだ」

「……、……」

「オーブさえ使いこなせば、誰でも魔術が使えるようになる」

「……、……」

アイラは、少し寂しそうな顔になった。

 そして、口をつぐんだ。


 エイミアは、心配そうにアイラを眺めていたが、棚から壺を取り出すと、中身をヘラでかき回した。





 アイラの身動きがとれず、ヘレンが連れ去られたとき……。

 俺は全力で薬屋に駆け戻った。


 猫になってから全力で走ったことはなかったが、思ったよりはるかに俊敏に動け、少し驚いた。


「ニャア……。ニャ、ニャアーっ!」

俺は、必死でエイミアに話しかけた。

 アイラが大変だ!

 ヘレンが連れて行かれたぞ!

 と……。


 しかし、エイミアには、俺の言葉は通じなかった。

 当然だ、ニャアニャア言っているだけなのだから。


 ただ、エイミアは異変を感じ取ったのか、俺を抱き上げると、

「どうしたの? いつものコロらしくないわ」

と、俺の顔をのぞき込みながら言った。


 エイミアの注意を引けたことを確信した俺は、強引にエイミアの腕から飛び降りると、店の扉まで走りエイミアを振り返った。

「ニャア……」

そして、エイミアがこちらを看ていることを確認して、前足で扉を二、三度撫でた。


「ほらっ……。これでいいの?」

「ニャア……」

「えっ、私も行くの?」

「ニャア……」

「あ、そんなにスカートを引っ張らないで」

「……、……」

「分かったわ、行くから……。今、ムーの実を火に掛けているから、鍋を下ろしてくるのでちょっと待って……」

「ニャアーっ……」

俺は、エイミアが開けてくれた扉の前で、スカートの裾に齧り付いていた。

 エイミアは、仕方がなさそうに同行することを約束すると、ドアを閉め、一度、店の奥に戻って行った。





「……、だけど、よくあたしが動けなくなっていたのが分かったな?」

「こ……、コロが……」

「コロ?」

「す……、スカートの裾を引っ張って、い……、一緒に来いって」

「こいつがか?」

「……、……」

アイラは、不思議そうな顔で、俺を見下ろす。


「……って言うか、この猫、ちょっと雰囲気が変わったんじゃねーか?」

「そ……、そう思う? あ……、アイラも」

「ああ、何か、前より意味深な顔をするようになった気がするぞ」

「そ……、そうなの。さ……、最近、おトイレもちゃんとするようになったの」

「前は、違ったのか?」

「え……、ええ。け……、結構、その辺でしてしまってたの」

「そうか……。じゃあ、あたしは助けられたんだな、賢くなったコロに」

「そ……、そうだと思うわ」

「こいつ、そう言えば、夕方はいつもヘレンのところにいたから、さっきも見てたのかもしれないな」

「……、……」

「エイミアの薬なら、あたしを治せると思ったんだろう」

「こ……、コロの見立て通り、し……、シュールの薬を飲んだらすぐに治ったわね」

「そうだな。ありがとう……、エイミア。コロ……」

「……、……」

アイラはそう言うと、屈み込んで俺の腹を撫でた。

 エイミアの手と違ってゴツゴツしていたが、撫でられた腹は妙に気持ち良かった。


「……で、どうしてこいつも連れて来たんだ?」

アイラは、店のソファーでぐったりしているブランを指さした。

 ブランは、さっきアイラにのされたままで、まだ気がついていない。


「に……、荷車を貸してくれた、て……、定食屋のおばさんが連れて行こうって」

「ああ……、そう言うことか。まあ、こいつも置いて行かれたからには、もうバロール一家には戻らないだろうしな」

「こ……、この人、あ……、アイラが倒しちゃったの?」

「そうだ……。かなり手練れでな。裏拳を当てる時に、反射的に避けやがったから、もろに入っちゃったんだ」

「あ……、アイラは、い……、いつも、顔を殴る時は顎をこするだけよね」

「頭を揺らしてやると、人間ってのは動けなくなるんだ。だけど、手加減したとは言え、顎の骨が砕けてないのは、こいつが頑丈だからだ。まったく、普段、何を食ったらこんなのが育つんだ?」

「い……、今、気付け薬を調合してるので、ち……、ちょっと待っててね」

「よろしく頼む。こんなゴツイのにいつまでも居られちゃ、薬屋も商売上がったりだろうしな」

「うふふ……」

……って言うか、あれで、まだ手加減してたのか?

 アイラってのは、マジで化物だな……。

 ブランが何を食って育ったかより、おまえが何を食ってるのかが知りたいよ。


 ……と、俺が心の中で驚愕するのをよそに、エイミアは気付け薬の調合をするのだった。





「うっ……、うう……」

「気がついたか?」

「お、おまえ……? それに、ここは何処だ?」

「あたしもバロールに負けてな……。置いてけぼりになったおまえと一緒にここに担ぎ込まれたんだ。ここは薬屋だ。心配ないから、もう少しそこにいろ」

「女……。おまえ、バロール様と戦ったのか?」

「ああ……。見事に魔術を喰らって、完敗だったよ」

気がついたブランは、腑に落ちないような顔でアイラを眺めた。


「負けたってことは、緊縛呪を受けたのか?」

「キンバクジュ?」

「ああ、オーブの力で、身体にマヒを起こさせる魔術だ」

「やっぱりそうか……」

「やっぱり……? おまえ、オーブを知っているのか?」

「まあな……。昔、家に伝わってたのがあったんだ。祖父さんの代で盗まれて、失くなっちまったけどな」

「そうか……。まあ、そうだろうな。普通は知らないし、見たこともないものだからな」

「それを、どうしてバロールが持っている? あのオーブは何のオーブだ?」

アイラが問い詰めても、ブランはすぐには答えない。

 目をしばたかせ、少し考えるような素振りをするブランを、それ以上アイラも問い詰めはしなかった。


「まあ……、いいか。俺も、もう、バロール一家には帰るつもりはないしな」

「……、……」

「バロールのやり方にも、そろそろ嫌気がさしてきたところだ。俺は傭兵だから、雇い主の命令ならどんなこともするが、女子供を虐げるようなやり方は性に合わん」

「……、……」

そう、誰に言うともなく呟くと、ソファーから身体を起こし、ブランはアイラの方を見た。


「あれは、暗黒オーブだ。長い間、行方が知れていなかった、幻のオーブだよ」

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