九 2005年7月
「お見合いしてみる気はない?」
休みの日の昼過ぎ、久しぶりの母親からの電話だった。
友人からの紹介でそれなりにいいところのお嬢さんなんだけど、と期待と好奇心に溢れた声が電話越しから伝わる。
とりあえずやってみたいのだろう。
「ない」
きっぱりと断る。
「そう言わずに一度くらい」
よほど楽しみにしていたのか、あきらかに落胆した声に変わる。
最近は会う度に孫の顔を早く見たいなどと要求していたが、まさか見合いまでさせようとしていたとは思わなかった。
「今、おつきあいしている人もいないんでしょ?」
難しい質問だ。
確かに正式につきあっていると公言出来ないその相手は、隠す程のことではないが説明がしづらい。
それでも面倒だが、今の内に伝えておけば今後見合いの話などはしなくなるだろうと思い話しておくことに決めた。
「つきあっているとはいえないけど、それらしい相手はいるよ」
「あら、本当?」
予想外だったのか驚きの声をあげる。
声にどことなく楽しげな響きを感じるのは、やはりこの手の話題が好きなのだろう。
「どんな娘なの?」
「まあ、いい娘だよ。ただちょっと問題があって、今後進展があるかどうかは不明で今は様子を見てるところ」
あまり「結婚」などと期待されても困る。
予防線を張りながらの現状報告であるが、その少々思わせぶりな言い方が気になったようだ。
「何?問題って」
「大したことじゃない、ちょっと宗教的な問題で・・・」
「宗教?」
あからさまに声の調子が変わる。
「宗教ってどういうこと?」
詰問するかのような口調に、やはり「宗教」に関してはまだ伝えるべきではなかったと軽く後悔しながら説明する。
「彼女がキリスト教をやってる。それでどうしようかと考えてるわけで・・・」
「母さん、宗教だけは反対だからね」
日頃は温厚な母親の、そのあからさまな拒絶の物言いに面食らう。
「とくにキリスト教は絶対に嫌」
ある程度の抵抗や反対は覚悟していた。
それでも神棚に仏像も並べて置いて「同じ神様だから」とこだわり無く拝んでいた母が、許容出来ないどころか明確な拒絶の意志を示したのは意外だった。
「何かあった?」
「私の兄さんのこと、覚えてる?」
「ヨシオ」という名の、少し神経質だが人のいい伯父がいたことは覚えている。
子供の頃に母の実家で会ったことを思い出し、同時にもう十数年も会うことなく話題にすら挙がっていない理由を思い出した。
「ああ、確か勘当されたって話じゃなかったか?」
嫁姑の確執だったと思う。
結婚後、長男であったヨシオ伯父は両親と同居していたが、嫁と姑との板挟みに悩み一年程度で家を出た。
知っているのはそれくらいだ。
「その伯父さんがどうかした?」
「兄さん、去年がんで亡くなったんだけどね・・・」
寝耳に水だった。
「聞いてないよ」
「言ってないもの」
結局ヨシオ伯父は両親や他の兄弟と和解すること無く疎遠のまま亡くなり、訃報が届いただけで葬儀に呼ばれることもなかったという。
去年の出来事であり心の整理はついたと「ついで」の様に語ってはいるが、多少の語気の荒さが見え隠れするのはやはり納得はいかずに溜まったものがあるのだろう。
「それで?」
なんとなく察し始めた答えを促す。
「兄さんの奥さんがキリスト教だったの」
それから三十分以上、母の実家で起こったことの顛末を聞くことになる。
母の実家は仏教の、それほど儀式行事にうるさくない宗派であり、日頃やることといえば仏壇の遺影を拝むくらいである。
そんな家庭で育った伯父は無宗教であったが、交際相手がクリスチャンだった為、結婚を機に形だけでもとキリスト教の洗礼を受けた。
キリスト教といってもそれぞれ教派があるが、伯父が入信したそれは一般的にもあまり評判のよくない教派の一つだった。
結婚を機にの同居は金銭的に余裕のない伯父夫婦が老後の世話を名目に親に頼み込んでのことで、これは長男でもあることから他の兄弟も反対する理由は無く、ここまでは何事も無く進んでいたのだが問題はその後であった。
同居直後から嫁は自分の宗教に関して妥協はなく、仏壇を拝むことは拒否、仏教・神道関連の行事すべてに不参加という態度をとっていた。
宗教に対して融通の利かない性格を、それでも好意的に解釈し、それなりに折り合いをつけていこうと初めは両親も寛容であった。
しかし対立が表面化するのは早かった。
宗教活動を理由に家事をおざなりにして昼間外出することが多くなり、また家庭内においても折を見ては執拗に入信への勧誘を行う嫁に辟易した姑がまず我慢の限界を超えた。
家の中で宗教の話や活動を二度とするなという姑に対し、私はキリスト教であるからと態度を変えることなく振舞う嫁は平行線のまま、対立は激化の一途を辿る。
決定的になったのは家の生活費として共有していた、本来は両親の通帳から多額の金銭を引き出し布施や寄付にあてていたことの発覚である。
最終的に舅が同居の解消と勘当を宣言することで一応の決着をみせることになった。
おそらくその当時だろう、頻繁に実家に帰っていた母の姿を思い出す。
「その後もしばらく大変だったのよ」
落ち込む両親の見舞いに行き、愚痴を聞き、時に兄との仲立ちをし、時に金銭的な援助をしたことを母は語る。
それでも関係は最後まで修復しなかったことも。
「もうキリスト教には関わりたくないの」
疲れたように心情を吐露する母に反論する気は起きなかった。
よりにもよって身内に最悪の部類に入るモデルケースがあった。
煙草の煙と共に倦怠感が体にまとわりつき、電話を切ってから随分時間が経っていたことに気付く。
考えがまとまらないのは考える気が無い所為だろう。
どうしたものかと布団にもぐり、昼寝を決め込んだ。
翌日、父から短いメールが届いた。
話は聞きました。
母さんのことは気にせず、そちらの思うようにしてください。
母のフォローか応援しているつもりか定かではないが、その心遣いになんとなく面映ゆい気持ちになった。
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