3
ユストゥスはどこまで続くとしれない、左右に手すりのついた真っ白な大理石でできた階段を降りていた。辺りには靄がかかっていて、階段を下れば下るほど濃くなっていく。気づけば、周囲を覆っていた靄は霧と呼べるほど濃くなっており、足元すら見えない。手すりに手をそえ、慎重に降りていく。
真っ白な霧の中に、ユストゥスの足音だけが散漫に広がっていき、ここが果てのない広い空間なのだと教えていた。
来たことのない場所だ。だが本能にも近い部分で、この先にはユストゥスの求める全てのものがあることを知っていた。そしてここに呼ばれた以上、それと向かい合わなければならないことも。
そんな確信めいた思いに従って、ユストゥスは階段を降りていく。
やがて階段の一番下の段までたどり着くと、さっと霧が晴れた。
ユストゥスの目の前に両開きの大きな扉があった。
白い大理石で造られた扉は、ユストゥスの背丈の二倍はある。その表面には、複雑に絡まりあった宵見草の蔦と満開に咲いた花の模様が、精緻に彫られていた。
ユストゥスが扉の表に手をそえると、押すか押さないかという内に、扉は内側へと開いていった。
部屋の中には一人の小柄な女性がいた。
彼女が振り返った。
彼女はまだ若く、少女だと言ってもいい年頃だった。
冴え冴えとした冬の月光染めたような白銀色の長い髪が、銀砂を散りばめたように美しく輝いている。
彼女のまとう胸のすぐ下に切り替えのある白い衣装は、巫女服だ。
銀色の瞳が、厳しくユストゥスのことを見つめていた。
「誰?」
彼女は、硬い声で誰何した。
「ここは過去・現在・未来、全ての
ユストゥスは名乗ろうと口を開いたが、口から出たのは自分でも思ってもいなかったら言葉だった。
ユストゥスははっとして喉元に手をやった。
それはこの場所の真実だ。だが、ユストゥスが前もって知っていたことではない。意識の下から突如として訪れた知識、それが言葉になって現れた。そんな感じだった。
女性は眉根を寄せ訝しげにユストゥスのことを眺め、一度瞳を閉じてから大きく息を吐いた。
「貴方の言う通りだわ。貴方はここに招かれ、そしてわたしと出逢った。そのことに意味がある。いらっしゃい」
目を開けると、彼女が微笑んだ。
「はい」
ユストゥスは頷き部屋に入った。その後ろで、扉が静かに閉じた。
「貴方はここがどこだか知っているのね」
「世界の中心、全ての根源、女神の
ユストゥスは知らない。ただ魂の一番深い場所にある
「そう。生きとし生けるもの、この世に存在する全てがこの場所と繋がっているわ。でもここまでたどり着けるのはわずかな存在だけ。大抵はここのことを忘れてしまっているし、覚えていても最初からここへ到る道を探すこと諦めてしまうか、目指す途中で力尽きてしまう。
だからここへたどり着けたわたしたちは特別なの。わたしたちには、この場所で得られた
「一番の友に」
傷つきやすく純粋で、それを周囲から隠すためにわざと我儘に振る舞う不器用な友人の顔が思い浮かんだ。
「それがわたしたちの役割だわ。一番大切に思う人の孤独を支えることが。でもわたしは失敗してしまった」
彼女は軽く目を伏せ、両手を下腹部に当てた。両端を軽く持ち上げられた唇が、自嘲の笑みをつくっていた。
「あの人を愛している。でも全てを知った今、それと同じくらい強くあの人のことを憎んでいるの。
たった一度だけ、たった一度だけでいいから、あの人との愛に溺れて、全ての想いを捨てようと思った。それがどうしてこんな結果になったのかと悩んでいたの。貴方は間違えずに、答えにたどり着けたの?」
彼女は哀しみにわずかの羨望がまじった笑みを浮かべて、ユストゥスのことを見上げた。
「ええ。そのために多くの時間をついやし、幾人かの人を傷つけましたが」
「そうね。どんなに願っても、努力しても、全ての人が幸せになることは難しいわ。でも貴方がそこにたどり着けたのだとしたら、それは僥倖でもあり、女神からの祝福よ。貴方はその恵みをどうするの?」
「友と分かちあいたいと思います」
「そう。それが一番いいことだわ。それがわたしたちの役割だから」
彼女はくすりと笑い、ユストゥスの顔を見つめて息をとめた。
「そんな、まさか、そんなこと」
驚愕した表情で彼女が言った。
「どうされました?」
「信じられないわ。もっとよく顔を見せてちょうだい」
彼女はユストゥスに向かってよろよろと一歩踏み出し、間合いをつめた。両手がゆっくりと伸びてきて、ユストゥスの両頬を包んだ。
「でもそうね、それしか考えられないわ。だって、貴方はこんなにもよくお兄様に似ているのだもの。貴方はわたしの……」
「それ以上はおっしゃらないでください」
ユストゥスは首を振った。
「ここでは言葉は真実になります。安易に言葉を使わぬ方がよいでしょう」
「そうね」
彼女は頷いて、ユストゥスの頬から手をはなした。
「わたしたちの役目は、ここに
彼女は首をかしげ、ユストゥスにむかって不安そうに微笑んだ。
少し苦笑して、ユストゥスは応えた。
「幸せかどうかはわかりませんが、今日ここで貴女と出逢えたことは幸運だったと思います」
彼女は虚をつかれたように目を大きく見開き、次の瞬間軽やかに笑った。
「そうね。そう言えるなら何よりだわ。そして貴方は
貴方はあれを持って、貴方の友のいる
彼女が身体を横に向け、ユストゥスの正面奥を指差した。
そこには長方形に切り出した大理石を積み上げ、丸く囲われた小さな泉があった。
「さあ」
女性に手を引かれ、泉の前まで連れてこられる。
「これは?」
「知っているでしょう?」
彼女が柔らかく笑う。
――生命の泉、この世の全ての源。女神の恩寵。
ユストゥスの心にそんな言葉が思い浮かんだ。
「ええ。知っています。これのお陰で私たちは、真実と女神の愛を知ることができる」
「そうよ」
彼女が力強く頷いた。
「貴方はこれを持って帰らないといけないわ。貴方と関わる全ての人のために。さあ、座って」
彼女が大理石の縁に腰かけた。手を引かれていたユストゥスもつられて一緒に座ることになり、泉の中を覗きこんだ。
泉に満たされた水は限りなく澄んでいたが、その淵は深く、底を知ることはできない。渾々と水は湧き出ているらしく、泉の底から大きな気泡が次々と浮かび上がってくる。
「手を浸して」
彼女がユストゥスの両手を取って、椀の形をとらせた。
もうあまり時間はない。二人の邂逅はもうすぐ終わる。
ユストゥスは女性の顔を見つめた。
伝えなければならない言葉がある。
「貴女と出逢えてよかった」
「わたしもよ」
女性は立ち上がりながら、名残惜しげにユストゥスの両手にそえた手を離す。そしてユストゥスの前髪をかきわけ、額に口づけを落とした。
「ありがとう。貴方と出逢えたおかげて希望が見えたわ。貴方の友を大切にして。わたしのように失敗しないで」
「はい」
ユストゥスは頷き両手を泉の水に浸した。泉の水の冷たさを両手に感じたのと同時に視界が暗転し、夢は終わった。
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