第3話

 余計なお世話、ってものはこの世には無いんじゃないかと思っていた。誰かに助けてもらって嫌になる人なんているわけないじゃないか。最終的にはみんな笑顔になるはずだ。

 倉橋さんだって犯人探しは嫌がっていたけど、僕が犯人を探して彼女は謝ってもらうだけなんだし。それなら彼女も笑顔になれるだろう。あの時までは本当にそう信じてた。


 事件があった翌日から僕は犯人探しを始める事にした。犯人探し初日の朝、その前日に僕が家に帰った時から本降りになった雨はもう降ってなかったが、相変わらず空は暗かった。

 僕が学校に着くと、倉橋さんはいつもの綺麗な姿勢で自分の机に座っていた。もしかしたら今日は学校に来てくれないかもしれないと、少しだけ不安だったので一先ずホッとする。その事も僕が犯人探しをするのに躊躇いを無くすための一つの要因となった。とりあえず犯人を見つけて謝らせる、それで充分だ。

 何度も犯人探しの事を考えては、その度にやる気になって冷静になりを繰り返し、なんとか授業をやり過ごす。一度燃え始めたやる気にとっては、やりたい事に関係の無い時間はとてつもなく長く、無駄でしかないものに感じられた。

 そんな時間に耐え、放課後から犯人探しを始めた。目撃証言を集めるとか探偵ごっこのように思われそうな事はしたくなかったので、僕は密かに見張りを行うことにした。あれだけやる気に満ちてたのだから周りの目なんか気にするなとも言われそうだが、そこは中学二年生、思春期というものが邪魔をするのだ。どうしようもないという事があるのです。

 見張りを行う場所としては自習室を選んだ。自習室については説明した方がいいだろう。僕らの学校にあるその教室は、教室棟の反対の校舎の一室に三十の椅子と机が並べられてできている。その中の窓際の席からは僕たちの教室が見える。自習するふりをしていれば探偵ごっこなんて思われる事はないので教室の見張りには最適な場所だった。

 しかし、場所の位置などは最適でも基本的にそこは高校受験を控えた三年生たちでいっぱいになる。まだ新しい学年が始まったばかりなので席はちらほら空いているのだが、普段は一、二年は使用しないという暗黙の了解のようなものが存在するので僕がいると少し変な目で見られてしまう。自習室を思い付いた時にはその事に少し抵抗を覚えたが、流石にそれくらいは我慢しなくてはと思い直した。

 放課後になると急いで教室を出て自習室に向かった。窓際の席は五つしかないので他の人に取られないように急いだのだ。

 自習室に入ると三人が既に座っていた。その内二人が窓際の席に座っていたので、早めに来て良かったと胸を撫で下ろす。窓際の席は比較的人気なんだろうな。疲れた時に外を眺められるし。

 自習室に入ると出入り口の横には机が一脚だけ置かれていて、その上には鉛筆と一枚の紙があった。利用者はこの紙に名前を書かないといけないらしい。名前を書くのだから先生たちが確認しているのかもしれないな、ここに来る回数とかが内申書に影響するのだろうか。

 三年生の皆さんには邪魔になると思うけど我慢してください、と心の中で言いながら名前を書き、窓際の席に腰を下ろした。

 窓からは僕たちの教室がはっきり見える。前のドアから後ろのドアまで全体を見渡せるし、階は同じなので中の様子も見れる。いい感じじゃないか。

 机の上にノートと教科書を広げ、筆箱からシャープペンシルと消しゴムを出して自習している風を装う。全く手が動いてないのも変なので落書きなどしながら目だけで見張りを行った。唯一見らずに描けるドラえもんの絵を描き、それに角や武器を描き加えていった。

 教室を見ていると様々な人が現れた。祐介がサッカー部に所属している友達を誘いに来て、四人程で楽しそうに出て行った。倉橋さんが迎えに来た岡本さんと一緒に教室を出る。学年でも有名なカップルが一緒に帰っていたり、一度教室を出てプリントを持って帰って来る奴がいたり、ドアの前でずっとおしゃべりをする女子たちがいたりと、皆それぞれ行動が違って意外と見てるだけでもおもしろかった。

 そんな感じで見ていると途中からは人もいなくなり退屈になってきたが、学校の閉まる七時前までは粘って見張りを続けた。眠気と闘いながらなんとか使命は全うしたが、残念な事に犯人は現れなかった。まだ初日なので当たり前と言えば当たり前だ。

 それでも、もう一度犯人は現れるという根拠のない自信があった。犯人から予告があったわけでもないから二度と犯人が現れなくてもおかしくないが、僕の勘が犯人は再び現れると告げていた。僕の勘はよく当たるんだ。

 その勘から起こる自信のおかげでやる気を失わずにすんだのだが、その自信が起こすとんでもない出来事を、この時の僕は考えもしてなかった。


 一気に暑さが増した、見張りを始めて三日目の事だった。風の噂で、ある話が僕の耳に飛び込んできた。それは祐介についての事だった。

 その内容は、あの事件が起きた前の夜に学校から出てくる祐介の姿を見た者がいる、というものだった。

 初めてその話を聞いた時には単なるデマだろうと思った。しかしその噂はみるみるうちに広まっていき、誰もが事実として扱うようになった。

 前日の夜に学校に忍び込んでいたとなると、当然犯人として疑われる。僕もその例に漏れず、彼を疑った。疑ったのはその事を話してくれなかったからだ。前日学校に忍び込んだなら、その時の様子なんて犯人探しに大きく影響しそうなものだ。何か隠さなくてはいけない理由があるのか、それとも単に言い忘れていたのか、あるいは言った方がいい事に気づいてないのか。たとえどれが正しかったとしてもこのままほたっておくわけにはいかない。そこで、噂の真偽を確かめるべく昼休みに急いで話を聞きに行った。

 祐介のクラスに行くと、出入り口でどこかに出て行こうとしていた祐介とばったり会った。

「大志」

「祐介」

 二人の声が重なる。

「どこ行くんだよ。ちょっと話があるんだけど」

「お前もどうせあの噂の事だろ。…ちょっと中庭に行こう」

 そう言って祐介は前を歩き出した。昼休みに外に出る生徒はほとんど校庭に行くので中庭には誰もいない。小さいながらもベンチが一脚だけ置かれているので、二人きりで話をするにはもってこいの場所だ。

 移動する間にお互い話はしなかったが、中庭に行って二人でベンチに座ると祐介から話し始めた。

「俺が学校に忍び込んだのは本当だけど、事件の犯人は俺じゃない。俺はあの時、忘れ物を取りに行っただけなんだ」

「忘れ物?わざわざ夜の学校に?」

 次の日が休みだったのなら取りに行きたい忘れ物もあるだろう。例えば汗が染みた体操服とか宿題のプリントとか。しかし、そうではない日に、わざわざ夜の学校に忍び込んでまで取りに行かなくてはならない忘れ物とは何だろうか?

「だって仕方ねえだろ。ちょっと忘れたもんがヤバかったんだよ」

「ヤバかったって、何が?」

 祐介が一度辺りを見回して僕の耳に口を近づけてきた。

「誰にも言うなよ…。あの時忘れたのは倉橋さんの写真だ」

「写真!?倉橋さんの?」

 結構大きな声が出てしまった。

「ばかっ、大声出すなって。三月に一年の時のクラス会やったじゃねえか。あの時の撮った写真を現像出来る奴がいてさ。俺が撮った琴音ことねちゃんの写真を渡すのを交換条件に現像してもらったんだよ」

 琴音ちゃんとは学年のマドンナだ。モデルみたいな顔付きをしているので、倉橋さんの写真を欲しがる者がいればその子の写真を欲しがる者がいても不思議ではないだろう。しかし祐介も、学年のマドンナの写真を撮る勇気があるなら倉橋さんとツーショットでも撮ればいいのに。

「意外とお前そんなの興味あるんだな。なんかもっと男らしいと言うか、こんなに女々しい感じとは思ってなかったよ」

「俺だってほとんどの女子とかには普通に話しかけれるぜ。琴音ちゃんだって大丈夫だ。でもなんか倉橋さんにはいつも通りいかねぇんだよな…」

 祐介はベンチにもたれかかって空を仰いだ。半開きの目は、空に倉橋さんの姿を見ているようだった。僕も同じように空を見上げる。初々しい恋、まさに青春だな。祐介も本当に倉橋さんの事が好きなんだなぁ…。

 そう思った後に祐介のことを親愛の情で見る事は、残念ながら僕にはまだ出来なかった。なんせ自分の初恋における恋敵。彼女以外には誰も好きになる事はないなどと思っているのに、そこに現れた恋のライバルに寛大な態度を取れる程の心の余裕などは無い。

 でも、この様子なら祐介があの事件の犯人って事は無さそうだ。前日の夜、学校に忍び込んだ理由は聞いた通りで間違い無いだろう。

「で、噂については忍び込んだ理由がこれだから聞かれても答えられなくて困ってんだろ?」

「そうなんだよな〜。とりあえず今は学校になんて行ってないって誤魔化してんだけど、はたして信じてくれてるのかどうか。どいつも納得しないような顔で戻って行くんだ」

 なるほど、なかなか辛い状況ではある。学校に忘れたのが倉橋さんの写真なので、彼女には少し悪い気がするけど彼の気持ちは痛い程よくわかる。恋敵である前に一人の大切な友人でもあるのだ。寛大な態度を取れない事への矛盾については各々の想像に任せる。

 きっと倉橋さんは噂程度で祐介を犯人だと決めつけるような人ではないから、このままほっといても僕の得になることは期待できないだろうし、逆に彼を心配してより親密になりかねない。ならばここは彼を助けてやる事が一番丸く収まるいい方法だ。

「あのさ、本当に祐介が犯人じゃないならそのまま否定し続けていてくれよ。そしたら僕がさ、真犯人を見つけて疑いを晴らしてやるから」

「本当かっ!?」

 真剣な眼差しで僕を見つめてくる。純粋さの結晶のような瞳だ。

「本当だよ。どうせ今ちょうど犯人探しをしてるところだからさ、倉橋さんのためにも、祐介のためにも犯人を見つけるよ」

「お前って奴は…流石我が友だ!」

 前にも聴いたような台詞を言って僕に抱きついてきた。彼の場合、友人に感動した時はこの言葉が出るようだ。僕の体を揺らしながら髪をかき撫でてくる。これが彼なりの感謝の表現の仕方なんだろうか。そうだとしたらなかなかの不器用さだ。

「俺にも何かできる事があったら遠慮なく言ってくれ。何でも協力する」

「協力ねぇ、どうだろう、何かあるかな」

 少しの間考える。そして、多少意地悪な事を思い付いた。

「じゃあいろんな人に目撃証言とか聞いて回ってよ。祐介を見たって人みたいにさ、他の人を見たって人がいるかもしれないよ」

「おお、聞き込み調査か。なんかおもしろくなってきたな。探偵みたいだぜ」

 僕は探偵ごっこのようで恥ずかしいだろうと思って彼にやらせる事にしたんだが、彼からしたらおもしろそうな事になっているらしい。逆効果だ。

 でも、周囲の人間はどう思うだろうな。幼稚な奴だと思ってくれるだろうか。…いや、彼の場合は一番犯人の可能性があると疑われている人物だった。その人が聞き取りなどしてもあまり変ではなくなってしまう。

 結局この程度の意地悪をしようとしても失敗するようだ。もっと大きな意地悪をするか、それはもっと失敗しそうだな、そうでなければ何もせず大人しくしてるのがいいかもしれない。僕はもう、そういう人間なのかもしれない。

 苦笑いと共に祐介と倉橋さんの関係を妨害することを諦めた。あんまり悔しくはない。祐介の人格と、心のどこかで倉橋さんを信じてるのだろう。僕の事を一番想ってくれてると。気持ち悪いかもしれないな。

「じゃあ俺今から聞き込みを始めるわ。とりあえず学年の奴に片っ端から聞いていく」

「そんなに焦らなくてもいいよ。僕も教室の見張りとかしてるからさ。多分だけどそのうち犯人は現れる。僕の勘はよく当たるんだ」

「すげえな、ほんとに探偵みたいだ。じゃあそっちはよろしく頼んだぜ、ホームズくん」

 そう言って走り去って行った。こういう事を言われるからなるべく探偵ごっこと思われそうなことは避けてたんだ。

 それでも、話す前と表情も態度も大きく変わっていつも通りに戻った祐介に安心しながら教室へ戻った。


 その日は、放課後に見張りまでも祐介に頼んで久しぶりに公園に行くことにした。犯人探しの経過報告を口実に倉橋さんと話すことにしたのだ。見張りを頼むと祐介は、

「マジで?聞き込みの成果がほとんどなくてつまんなかったから、他の事もやりたいと思ってたんだよ」

 と言って快く請け負ってくれたが、それでもいくらかの罪悪感が生じた。

 公園に着くとまだ倉橋さんは来てないようだった。ベンチに座ってスピンを呼ぶと、草むらから出てきて久しぶりに来た僕を誰なのか思い出すように見つめてきた。

「お前まさか僕の事忘れたのか?ほんとに薄情な奴だな〜。ほら、ここおいで」

 ベンチにスペースを空け、手招きするとほんの少し警戒しながら近づいて来た。僕の前まで来てようやく誰かわかったらしく、ベンチに上がり僕の真横に座った。やっぱり距離は縮まってきているんだ。倉橋さんとももっと距離が縮まればいいのにな。

「いいよなお前は悩みとかなさそうで。自由に飯食って、自由に寝て。自由に過ごしてんだろ」

「そんな事ないよ」

 驚いてスピンの方を見る。声を発してスピンが答えた、気がした。

「え、何だよお前、話せるのか?」

「そんな事どうでもいいよ。ただ、さっきの発言は撤回してもらいたいね。自由気ままに楽して生きてるって思われるのは、どうも気に障って良くない」

 尚も彼は言葉を発し続ける。実際には声など聴こえてないのだろうけど、僕の耳には彼の声がはっきり聴こえる。違和感を感じつつも、目線を戻して僕は話を続けた。

「それは悪かったけど、少なくとも複雑な人間関係なんかに振り回される事はないだろ。お前の場合は猫関係か」

「僕らにだってそれくらいあるよ。好きな子や友達もそれぞれちゃんといるんだ。馬鹿にしないでもらいたいね。ところで、こんな話をしてくるって事は何か悩んでるんだね」

「もう悩みまくりだよ。倉橋さんの事は好きなのにさ、恋敵がいい奴で邪魔することも嫌になるんだ。でもそいつに取られるのも嫌だし。倉橋さんだけじゃなくてそいつのためにも犯人探しをする事になったし。思ってる事とやってることがめちゃくちゃだ」

 すると、急にスピンが僕の手から離れてベンチから降りた。倉橋さんが来たのかと思って顔を上げたが、公園には誰もいなかった。

 スピンが僕の前に来て、振り返る。

「そいつはどうなんだ?恋敵とやらは君の事、邪魔してくるのかい?詩織ちゃんはどんな人を好きになると思う?」

 その言葉にハッとさせられた。いや、実際には言葉なんてスピンの口から出てきてないので、正確に言えば僕が聴こえているつもりになっている声、または言葉以外の何かにだ。

「そいつとは一回会ったきりだからよくわからないけどね、少なくとも詩織ちゃんは人の邪魔をして自分が利益を得ようとする人が好きだとは思わないよ。相手が邪魔してくるんだったら好都合だ。そのままやらせとけ」

「なるほど、お前結構よくわかってるんだな…」

 この猫にこんな力があるとは思わなかった。まさか恋の相談相手になってくれるとは。しかも、なかなか良いアドバイスをしてくれる。

「自分の事じゃなくて相手の立場になって考えるんだ。その人はどんな性格でどうすれば人を好きになるのか。それがわかれば、後はそんな人になれるように努力すればいい」

「そうだな、お前の言う通りだよ。祐介の邪魔をするんじゃなくて彼女を僕に惚れさせるようにアピールしていくよ。そうなるとやっぱり犯人を早く見つけないとな」

 すると、スピンが少し呆れた様子で欠伸あくびをした。

「それは君の自由だからこれ以上僕は口を出さないけど、まず君は彼女に対する独占欲が思ってるより大きくなってる事をどうにかした方がいいよ。失った時のダメージがどんどん大きくなってきている」

 独占欲?そりゃあるのはわかってるけど、そんなに大きくなってるだろうか。最近は落ち着いた方だと思ってるし、話の中で露呈する程ではないと思うけど。

「どういう事だよ?僕の独占欲がどうとか急に言い出して。彼女を失った時って、僕がフラれるって事なのか?」

 その問いかけを無視してスピンは遊具の方て歩き出した。

「おい、無視すんなよ。急にどうしたんだ、スピン。スピン?」

「ニャー」

 スピンの返事はそれだけだった。どうしてしまったのかとしばらくスピンを見つめる。

 そうか、こいつの反応しとてはこれが正しいのか…。急に話し出した猫と普通の事のように話が出来てたなんて、ちょっと疲れてるかな。

 今日の空には雲は少なく、本格的な梅雨に入る前の最後の晴れ空のように思える。遠くの方には入道雲のような雲が見えた。

 疲れてる時には猫だ。スピンも同様に目の保養となる。僕にとってはね。

 そう思って遊具に歩いて行くスピンを眺めていると、急に向きを変えて出入り口の方に歩き出した。彼の動きに合わせて目を動かすと一人の人物の前で動きを止めた。

 黒いローファーに白のソックスが目に入りそこから目線を上げる。視界に入ってきた人物は倉橋さんだった。

「よっ。ちょっと遅くなっちゃった。なに、スピンと話してたの?」

 あまりあの事件は引きずっている感じではなく、声も元気なので安心したが、さっきのスピンと話していたのを聴かれていたと思うと一気に恥ずかしくなってきた。

「なんか声が聴こえるなーと思ってよく聴いたら、無視すんなよ、とか言ってて、しかも笠木くんの声でちょっと笑っちゃった。スピンにフラれたの?」

「ち、違うよ。なんか疲れててスピンに愚痴をこぼしてたんだよ。別に話してたりしたわけじゃない。猫と会話なんで出来るわけないじゃないか」

「あはは、わかってるよ。そんなに照れないで。私も時々だけど愚痴聞いてもらうよ。人間と違って黙って聞いてくれるからいいよね」

「え、倉橋さんもスピンと話したりするんだ?てか愚痴とかあるんだね。すごい意外だよ」

「あるよー、私にも愚痴の一つや二つ。高校生で全く不満が無い人なんていないと思うよ」

「だ、だよね」

 ちょっとだけイメージが崩れた気がした。どうやら僕は今まで彼女の事を聖女か何かと思っていたようだ。女神だと思ってんだっけ?でもこれで彼女も一人の人間なんだと、少し残念なような、でも安心したような気分になれた。

 話が終わり、彼女が来たのでスピンの食事の時間だ。今日は少し工夫を凝らしてカニカマ味のササミを持ってきたらしい。最近のは人間でも食べられそうだ。

「そういえばまだ犯人は現れないよ。実は祐介と協力して犯人探しをする事になったんだけど、なんせまだ三日しか経ってないしね」

「へー、田中くんと。それはありがたい。でもあんまり焦んなくていいし、見つからなくてもいいから。田中くんにもそう言っといて」

「うん」

 経過報告を終えてスピンが美味しそうにササミを食べてるのを見てると、おもむろに彼女が口を開いた。

「田中くんで思い出したんだけどさ、一年の頃に田中くんが来た事あったじゃない?あの時の笠木くん、なんか私たちが話すの邪魔してなかった?」

「ええぇっ!?」

 あまりにも予想外の不意打ちだった。なんで今頃になってそんな事を。てか気づいてたのか?邪魔してるって思われてたのか?どうしよう、なんて誤魔化せば…。

「ふふ、図星でしょ。だめだめ、そんなに反応が遅いともう誤魔化せないよ。あの時なんとなくだけどいつもより口数多かったし、そんな気がしたんだ」

「や、確かにそれは認めるけど、いや、あの別にそんな、君の事困らせようとか思ったんじゃなくて、なんて言うかその…」

 まずい、もしかしたらバレてしまったのか。僕の想いが、彼女に。

「やっぱり。それ聞いて確信したよ」

 彼女が耳に口を近づけてくる。いい匂いがする。彼女がこんなにも近くにいる。僕は動けなくなってしまった。

 すると、彼女が抑えた声でこう言ってきた。

「笠木くんって、本当は田中くんの事あんまり好きじゃないんでしょ?」

「え?」

 あれ?バレてない。それどころか僕が祐介の事を好きじゃないだって?なにそれ。

「あんまり二人で話してなかったし、田中くんはずっとスピンに構ってたから。猫がいるって聞いて会いたくて笠木くんに話しかけてきたって感じ?」

 倉橋さんって鈍感だったのか。それとも気づいてるけど気づいてないふりをしてるのだろうか。いや、そういえば一年の時は三人とも同じクラスだったじゃないか。僕は結構祐介と話してたぞ。ということは彼女は前者にあたるのだろうな。鈍感と言うか、あまり人間関係に興味がないのかもしれない。

「いや、違うよ。僕は祐介とは仲がいい。一年の時見てなかったの?まあ、だから邪魔したのは単に祐介に意地悪してみただけ」

「なんだぁ。結構いいセンいってると思ったんだけどな。私って人間観察には向いてないみたいだね」

 ちょっといじけた様子で地面の砂を指で弄った。キュンとくる、可愛らしい仕草だ。

「あ、ちょっと話は変わるんだけどさ、田中くんってやっぱかっこいいよね」

「!!!」

 勢いよく彼女の方を見て、衝撃を受けた様子をおもいっきり露わにしてしまった。さっきから驚かされてばかりだ。

「え、えっと、どこらへんが?」

「うーん、顔もまあまあいいし、とりあえず性格がいいよね。明るくて馴染みやすい。モテるのも頷けるよ」

「へ、へぇ〜」

 心が落ち着きを失くしていく。動揺が隠せない。汗が止まらない。どれも僕が最高に焦っている証拠だ。

「あれ、もしかしてヤキモチ妬いちゃってる?」

「いや、そ、そんなんじゃないよ!」

 なんだよ鈍感なんじゃないのか?女の子ってわからない。

「えー、どうかな〜。なんか汗かいてきてない」

「そんなことないっ!」

「もうっ、拗ねないでよ。笠木くんもちゃんとかっこいいと思うよ」

「へ?」

 へ?いつも望んでいたはずの言葉を不意に言われ、喜ぶ以前に理解が出来なくなる。

「こんなに私の猫の世話に熱心に付き合ってくれる人、他にいないよ。優しいし、人としてかっこいいと思うよ」

 僕の思ってたかっこいいとは違ったけどすごく嬉しかった。そんな風に思ってくれてたなんて。これなら僕にもワンチャン(ワン チャンスの略)あるんじゃないか?

「私はわかってるから」

「く、倉橋さんも僕は綺麗だと思うよ。あ、人としてね、人として」

「そんなに必死で否定しなくてもいいよ」

 彼女が苦笑いした。しくじったなと思う。

「ご、ごめん。でも猫の命を助けるとか、ここまで責任もってお世話できるのは心が綺麗な人だなと思うんだよ」

「えへへ、ありがとう」

 自然に二人とも空を見上げる。夏前の空はまだ明るい。風が吹いて倉橋さんの髪がなびく。綺麗だ。

 ふと、今っていい雰囲気じゃないかと思う。一年の時のリベンジをするなら今かもしれない。二度目のチャンスが回って来た。

 どうしよう。なんて言おう。もうストレートに好きですってだけ言おうか?もうちょっと回りくどく言ってみるか?ああ、こんな事なら台詞くらい決めておくんだった。

 僕が台詞と意思を決めれずにまごまごしていると、

「それじゃあそろそろ帰るね。笠木くんもあんまり遅くならないうちに帰りなよ。じゃあね」

 と言って彼女は帰ってしまった。二度目のチャンスをいとも容易く無駄にしてしまった僕は、力なくベンチに座り込んだ。

「まだまだ道のりは遠いね」

 目の前のスピンにそう言われた気がした。


 次の日も犯人は現れなかった。まだ一週間も経ってないし、本当に現れるかわからない犯人を待ってるのだから、これくらいで文句を言っていてはいけないのだろうけど、僕は段々イライラしてきていた。焦りが態度に出ていたかもしれない。

 見張りを続けていると、倉橋さんと岡本さんが一緒に帰ったり、祐介が倉橋さんに話しかけている場面などを見かける事もあった。その事も僕のイライラに拍車をかけた。

 そんなある日の事。見張り開始から一週間程が経った日の昼休み、祐介が僕のクラスに入ってきた。

「おい、いたぞ、大志。俺以外にもあの日学校に忍び込んだ奴がいたらしいぞ。目撃者がいた」

「本当か!」

 ようやく姿を現し出した犯人探しの成果に、少しばかり心が躍る。

「それで、誰なんだ?」

「いや、それが忍び込んだ奴がいるってだけで誰かはわからないらしい。見た奴が言うには、この学校の女子の制服来てたから不審者ではないと思ってスルーしてたんだと」

「てことは犯人は女子なのか。僕は動機は嫉妬だと思ってるからそれならあり得るな。いいぞ、捜査は順調だぞワトソンくん」

 周りに人はほとんどいなかったので彼にだけ聴こえるような声でそう言った。

「ところでその情報は誰から聞いたんだ?」

「えっと一組の岡本さんって人なんだけど、お前わかる?結構倉橋さんと一緒にいる奴だ」

「え、あの岡本さん?へー、あの人か」

「知ってんのか、じゃあこれ以上説明はいらないな。あ、あとこんな事も言ってたんだけどあんまり気にせず聞いてくれ。岡本さんは顔は全く見えなかったけど、その時見たのは琴音ちゃんかもしれないって言ってんだよ」

「琴音ちゃん?なんでそう思うんだよ」

「女の勘、だそうだ。理由はアテにならないけど、倉橋さんと琴音ちゃんはあんまり仲が良くないって噂もあるからな。案外間違ってないかもな」

「そんな噂、僕は聞いたことないよ。まあそこは真に受けないで、女子生徒に的を絞ってやっていこう」

「そうだな。俺は出来るだけの女子にその日に何してたか聞いてみるよ」

 僕には到底無理な事をさらっと言ってきた。悔しいが彼くらいにしか出来そうにない事なのでそれを頼むしかない。

「よし、じゃあ犯人探し再開だ。僕は女子には特に注意して見張ってみるよ」

「おう。よっしゃ、頑張ろうぜ」

 そう言って彼は教室を飛び出して行った。元気な奴だ。

 と思ったら、すぐに教室に戻ってきて、僕と肩を組んできた。

「そういえば一つ提案なんだけどさ、先に犯人見つけた方が倉橋さんに告るってどう?」

「はあぁ!?ちょ、何言ってんだよ」

「いいじゃん。そうでもしないと俺ら二人ともずっと告れずにいるぜ、きっと。犯人を見つけた方が倉橋さんに告る、それでいいよな?」

「え〜…」

 確かに僕は二度もチャンスを逃してる。今回のチャンスは決定的でいいかもしれない。三度目の正直だ。

「わかったよ。でも、もしフラれたらどうすんだよ。もう片方が告るのか?」

「それはそいつの自由だ。今まで通りいつ告ってもいい」

「なるほど」

 祐介が僕を見て段々ニヤニヤしてきた。自分が勝って告る自信があるのだろうか。イマイチよくわからない顔だった。

「よしっ、やる気湧いてきたぞぉー!今からまた聞き込みだ!」

 祐介は校庭にサッカーをしに行く男子生徒のように出て行った。やっぱり元気だな。

 とはいえ僕もなかなかやる気が出てきた。犯人の情報も入ってきたし、勝ったら得られる特権に俄然意欲が湧いてきた。あれなら僕も告白できそうだ。祐介は二人のやる気が出るのを狙ったのかもしれない。あいつならあり得る。

 上手くしてやられたなと苦笑い顔で何の気なしに教室を出ると、先程別れたはずの祐介の姿が目に付いた。彼の目の前には噂の容疑者、琴音ちゃんがいた。

「お、大志。早速だけど容疑者を見つけたぜ」

「本当に早速だね。まだお前と別れて三十秒と経ってないよ」

「ちょっと祐介くん。いろいろと意味わかんないんだけど」

 琴音ちゃんが怒ったような顔をしてみせる。学年のマドンナと呼ばれるだけはあってかわいいのは僕も認めるが、どうもぶりっ子気質なところを僕は好きになれない。

 しかし、犯人として最有力候補の琴音ちゃんを前に素通りするわけにもいかないので僕も話に加わる。

「おお、悪い悪い。こいつはただのオマケだから気にしないでくれ。それでちょっと聞きたいんだけど、この前倉橋さんが誰かにイタズラされたじゃん。あの事件があった前日の夜はどこで何してた?」

 側からみれば少し気持ち悪い質問にも思えなくもないが、祐介が疑われている現状と彼の女子からの人気を合わせれば少しも変に見えなくなる。途端に居場所を間違えている気がし始めた。

「なにそれ、私を疑ってるって事〜?」

「いや、ただ俺は前日に学校の近くで制服姿の琴音ちゃんらしき人を見たっていう噂を聞いたから。ただの確認だよ」

 厳密に言えば誰も琴音ちゃんらしき人なんて見ていないのだが、僕たちの認識は祐介が言ったようなものとなっていた。

「ふーん。まあ、確かに夜に外には出たけど制服なんて来てないし学校にも行ってないよ。コンビニ行っただけ」

 それだけを琴音ちゃんは動揺の素振りなど全く見せずに言い切った。

「学校の前とか通ったりしなかったか?」

「うん、全然通ってないよ〜」

「そうか…」

 一応納得したような返事をしたが、祐介の顔はまだ疑いが消えてないように見える。

 それだけなら別に構わないのだが、少し困ったように僕の方を見てくる。一体、僕にどうしろと言うんだ。

 そうやって僕たちが微妙にモジモジしていると、逆に琴音ちゃんから質問が飛んできた。

「てかさ、君の名前は何て言うの?」

 そう言って僕の方を見てくる。まさか名前すら知られていないとは、否が応でも傷つかざるを得ない。

「えぇっと、僕の名前は笠木大志っていいます」

「僕、だって〜。かわいいね、笠木くん」

「あっ、そ、そうだね…」

 僕の中に怒りにも似た恥ずかしさが湧いてくる。本当にこの人がいいのは顔だけだな、と心の中で悪口を言ってみせる。

 そんな僕の様子を見て祐介が颯爽とフォローを入れてくれた。

「こいつは凄く優しいんだぜ。今も俺と一緒に倉橋さんのために犯人探しをしてるんだ。全部こいつの発案で動いてる」

「ふーん、詩織ちゃんファンか〜。私あんまりあの子の事好きじゃないから、あの子の話はしないでね。それじゃあ私はもういいよね、祐介くん、犯人探しがんばってね〜」

「お、おう」

 祐介だけに激励の言葉を投げかけ、琴音ちゃんは去って行った。僕はこれまでにない辱めを受けた気分だった。

「倉橋さんの事は好きじゃないってさ。絶対彼女が犯人だよ。もうこれからはあの人に絞っていこう」

「おいおい、そんなに怒んなって。さっき学校には行ってないって言ってただろ」

「いいや、絶対嘘だね。とにかく彼女が一番怪しい。いいか祐介、琴音ちゃんの動きは気をつけて見ておくんだぞ」

「まじで勘弁してくれよ〜。お前が冷静になってくれなきゃ、俺はどうしようもないぜ」

 その後、しばらく祐介になだめられながら昼休みを終えた。

 憤りが治らない中、ふと外に目をやると、空はどこまでも青く澄み渡っていた。小説みたいに僕の心情なんて表してないじゃないか、と誰に向けてかわからない文句を心の中で叫んだ。


 そんなこんなで時が過ぎ、犯人が見つかったのはそれから一週間後、犯人探しから二週間が経った日のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る