第2話 第二章 愛憎、そして犯行

 一年の時にあった出来事はそんな感じだった。僕がどうやって、そしてどれだけ彼女を好きになったかの説明だったと思ってくれていい。あの時の僕には、本当に二人の関係が永遠に続くように思えていた。

 彼女がいなくなるきっかけになった出来事はこの後に起こる事になる。それは僕たちが二年に進級して、学校にも随分慣れてきた六月のある日、何の前触れもなく突然起きた出来事だった。



 その日は雨こそ降ってはいないが、空には曇天模様が広がっていて、登校するのにも気が滅入りそうな日だった。低気圧が運ぶ頭痛に悩まされながら重たい足を引きずり学校まで行くと、校門前に小さ過ぎる湖ができていた。頭上に見える曇天を見事に反射しながら生徒たちが校内に入るのを拒むかのように広がっている。昨日までは雨が降っていたんだ。

 周りの生徒たちと同様にその湖を飛び越えて校内へと入っていく。湖はなんだか悔しそうに、生徒たちが校舎に向かうのを眺めていた。なぜかその様子が酷く気に入らなく思えて、ざまあみろと心で呟いた。

 僕は二年になっても倉橋さんと同じクラスになれた。新クラス発表の日、柄にもなくガッツポーズをしてしまったのを覚えている。それ程彼女と同じクラスである事は重要だという事だ。一日の活力の半分以上を彼女の存在が占めているから。

 上靴に履き替えいつも通り学校の階段を登っていくと、僕のクラスの前には人混みが群がっていた。その一帯はたくさんの声で溢れている。何か特別な事があったのだろうか。

 その人混みは男子も女子も、僕らの学年の子も他学年の子も混ざり合って形成されていた。これほどの人が集まるとは、余程の大事があったに違いない。

 群がる人混みに防がれ教室に入れずに廊下からその様子を見ていた。このまま作られた理由もわからない人混みを眺めているのも嫌なので、廊下の端の方から中の様子を背伸びして覗くと、人混みの中心に倉橋さんと担任の先生の姿を確認できた。倉橋さんは顔に両手を当て泣いているようで、先生は腰に手を当てて困っているようだった。

 そしてもう一つ、一瞬だけだったが倉橋さんの机の中からは茶色い毛に覆われた棒状の何かが見えた。

 それが動物の尻尾であることに気づくのにはそんなに時間はかからなかった。あんな所に入っていて動かない。それは、もうその動物が生き物ではなく、ただのモノと化していることを意味していた。その事実を認識した時、急に怖くなった。

「ううっっ!」

 突然目の前に現れた、得体の知れないモノの得体の知れない死に吐き気を催す。すんでのところで人混みから離れ息を吸う。

 何だこれ?あまりに唐突に起きたなんらかの出来事に理解が追いつかない。

 段々動悸が激しくなってきて、冷静に物事を考えられなくなってくる。このままではパニックに陥りそうだと思い、状況を整理するために再び人混みに近づく。なるべく端っこにいた人に何があったのか尋ねると、

「なんか、倉橋さんの机の中に猫の死骸が入ってたらしいよ」

と答えてくれた。混乱した頭でも動物の死骸だというのはある程度覚悟していた答えだったが、動物の正体が猫というのは予想外で傷ついた。吐き気が戻ってくる。

 なんとかそれを飲み込み、もう一度背伸びをして倉橋さんの様子を見ると、両手で顔を覆ったまま先生と何か話してた。

 一体全体、何が起きたんだ?なんであんな所に猫の死骸が入ってるんだ。彼女が入れたわけないし、猫が自分から入ったわけもない。つまり誰かに入れられたという事になる。

 じゃあなんで?もしかしたらこれはいじめなのか?彼女がいじめられ始めたのか?そんなはずは…、

「はーい、もう教室戻れー。一限目始まるぞ。ほらっ、戻れ戻れ」

 先生の言葉を受けてすぐにとはいかなかったが、ちらほらと人混みが散らばり出した。何が起きてるのかよくわからないまま、ようやく入れるようになった教室に入り、僕も自分の席に着く。

 猫、いや、猫だったモノは先生が処分し、机は別の物に変えられて一旦事は静まった。静まったというのは物理的に声が消えたという意味で、教室内には突然起きた事件に対する興味の気配が充満しており、あらゆる方向から好奇の目が倉橋さんに向けられていた。

 こっそり倉橋さんの方を見ると放心したように俯いて座っていた。僕の席は彼女の席の後ろの方にあるので顔は見えなかったが、後ろ姿は少し震えているようだった。

 午前中の授業が終わり、給食を食べる時もずっと倉橋さんは俯いてた。その姿を見ていると声をかけられる雰囲気ではないように思えて、誰も話しかけようとはしなかった。ただし、好奇の目を反らそうとはしない。そんな彼らに虫唾が走る。

 昼休みになると緊急の学年集会が開かれ、怖い顔した先生たちの誰に向けてかわからない説教が終わると、倉橋さんは多くの人から質問責めにあった。何があったの、誰からされたの、どうしてそんな事されたの、死骸どんな感じだった。クラスのみんなが我慢して尋ねないでいた事を、彼女の様子を確認もしない群衆たちはいとも簡単に尋ねてみせる。答えられるはずのない問いをしたり遠慮の素ぶりを一切も見せない彼らは、クラスの連中よりも更にタチが悪く見えて嫌気がさす。そして僕は、自分の居場所がほとんど無くなっている事に気づき、背中の方に気持ちの悪い何かがのしかかってくる感覚を覚えた。

 倉橋さんはそれらの質問に答える事が出来ずにただただ黙ってて、岡本さんがやめなよって言うまでの間、ずっと泣きそうな顔をしていた。僕には岡本さんのように身を呈して倉橋さんを守りに行くような勇気は無かった。

 その事を考えては軽い自己嫌悪に苛まれながらもようやく放課後になり、倉橋さんに話しかけるべきかどうか考えていると、彼女は僕が結論を出すよりも早く教室を出て行ってしまった。一瞬、追いかけようか迷ってとりあえず廊下に出てみたけど、その一瞬の迷いがいけなかったらしく、もう彼女の姿はどこにも見当たらなかった。

 なんとも言えないような不安が僕の中で生じて、大きな塊になっていくのを感じた。


 朝来る時は生徒の邪魔をしていたあの湖は放課後には消えていた。僕はその事にすら気づかず、一人で家に帰りながらずっと倉橋さんの事を考えていた。

 考えても考えても、頭に浮かぶのは疑問ばかりだった。その疑問たちの中で何よりもわからないのは、あんな事をされたのがどうして彼女だったのか、という事だ。

 優しくて人当たりが良く、女子から好かれている。真面目だし素直なので、先生からの信用もある。その上、学年では上位十位以内に入るくらいの美貌の持ち主なので男子からも人気がある。友達も普通程度にはいるし、学校では常に一緒にいるくらいの親友、岡本さんがいる。賢くて愛嬌があって、誰とでも仲良く接する事が出来る。およそ、嫌われる理由が見つからないのだ。

 そうなると無差別の嫌がらせとかになるのだろうか。もしそうだったらこの問題を解決するのは一般の中学生男子には不可能と言ってもいいくらいだ。無差別な犯行には特別な人間関係などが存在しないから一番厄介だ、とこの前見た刑事ドラマで渋い顔した俳優も言っていた。

 でも他に何か動機となり得るものがあるだろうか。あるとしたら、強いて言えば嫉妬ぐらいしか…。

 あ、嫉妬か。自分で言った事に対して、二秒遅れで気づく。なるほど、嫉妬なら充分動機になり得る、強いて言わずに堂々と言ってもいいくらいだ。彼女の優秀さを考えるとごく自然な動機だろう。とは言ってもあのような事件を起こしていい理由にはならないけど。

 自分の中で嫉妬が理由だと決め付け、考え事を続けながら歩いた。そういえばさっきから一度も歩みを止めていないが、ちゃんと僕は信号を守って歩いているのだろうか?注意して歩いた方がいいかもしれない。

 そのために一度辺りに気を配ってみたが、すぐに思想の世界へと身を翻す。そもそも動機がはっきりしても、それが嫉妬ならやはり容疑者を絞り込むのは難しいように思える。僕は倉橋さん意外の女子の事をほとんど知らない。どんな性格で、彼女とどんな関係なのか。岡本さんがギリギリ関係だけはわかる人だったけど、他の人は全くわからない。それに、嫉妬だから必ずしも女子とは限らない。世の中には特殊なケースだってあるのだ。

 空が午前中よりも暗色を増してくる中、蝉たちが力の限り鳴き続ける木々の間の道を推理をするように歩いていると、いつの間にかいつもの公園の前まで来ていた。素通りせずに無意識のうちに足を止めてしまったのは、僕の心が彼女を求めていたためだろうか。

 公園の中を覗くといつもの場所で彼女がスピンの世話をしていた。いつもと違うのはその目から一筋の涙が流れていたところだ。

 先程、自分の中に迷いが生じた事によって彼女を慰められなくなったのを思い出して、今度は同じ失敗を繰り返すわけにはいかないと迷いを捨てる。

「倉橋さん」

 近づいて行って声をかけた。彼女は振り向いてはくれずに、ただスピンを撫でているだけだった。その姿は酷く悲しそうで、すぐに潰されてしまいそうな程小さくて、見ていると心が痛くなってきた。今まで感じた事の無い類の感情であった。

 こんな姿は見ていられない、彼女を救わなくては。きっと僕しか救えないんだ。そんな気がする。

「今日は大変だったよね。僕で良ければ愚痴とか悩みとか聞くからさ、ちょっと話さない?」

 そう言ってベンチに腰掛けた。また返事をしてくれないのではないかと心配したが、彼女は少しこちらを見た後、ゆっくりとスピンを抱えて僕の横に座った。涙が溜まった目は虚で、いつもの綺麗な黒髪はその美しい艶を失くしている。彼女に似合う色だった唇と肌は病的に白っぽく見えた。

 やっぱりこんな彼女の姿は見たくない。僕がこの人を元気付けてあげるんだ。大丈夫、考えはある。さっきまとまったばかりのものが。

「もういろいろ質問されるのも嫌だろうし、こんな時何て言えばいいのかわからないからさ、僕なりに出来る事を考えてみたんだ」

「出来る事…?」

「うん。その…犯人を探してみようと思う。あの事件の犯人の動機は何なのか、ちょっと考えてみたんだ。多分だけど倉橋さんの場合なら、無差別にやったか嫉妬してやったかのどちらかだと思うんだ。だから僕が放課後に教室を見…」

「やめて」

 僕の言葉を遮るように彼女が言った。彼女から発せられた、初めて聴く少し強めの口調に体が強張る。

「犯人探しなんてしてもあの猫は返ってこないよ。それに犯人が見つかっても私、どうしようも出来ないと思う。ただ悲しくなるだけ。犯人探しなんてしてもいい事は一つも無いよ」

「そんな…」

 彼女は俯いたままだった。

 僕が彼女にできる唯一の事だと考えていたのを否定され、不覚にも感情的になり声が大きくなってしまう。

「でも、このまま泣き寝入りしてちゃ、また何されるかわからないよ。犯人が図に乗って同じ事を繰り返す可能性だってあるわけだしさ」

 その時、倉橋さんが顔を上げた。見開いた目からは涙が溢れて止まらなくなっている。

「だからって犯人を見つけて、私はどうすればいいの!?怒るの?謝らせるの?それで私は、犯人を許す事が出来るの!?」

 初めて彼女が声を荒げるところをみた。一気に口から飛び出た台詞によって息を切らしている。後ろの方で蝉が最後の一滴まで声を振り絞って静かになった。

「怖いよ…」

 彼女は顔を抑えて泣き出した。

 そんな彼女の隣で僕はどうすればいいのかわからなくなって、二人の間には重い沈黙が流れる。

 なんて声をかければいい?大丈夫だよとか無責任な事は言えないし、言いたくない。何か気の利いた言葉がないかと頭の中を探ってみるが、たった十四年ぽっちしか生きてない僕にそんなものあるはずが無かった。たとえ良い台詞があったとしても、その言葉には重みが無い。涙を流す彼女を前に何も出来ない無力さに腹が立つ。

 一度空が唸り声を上げ、とうとう雨が一粒、また一粒と落ち始めてきた。どうする事もできないまま二人は黙ったままでいた。


 そうやってしばらくの間流れていた沈黙を破ったのはバスの音だった。ベンチから見えるバス停に一台のバスが停まり、その乗車口が開く音に二人とも顔を上げた。

 僕が倉橋さんから目を背けるように、バスに乗り降りする人たちを眺めていると、意外な事に彼女の方が口を開いて小さな声で話し始めた。

「私ね、バスが嫌いなの。小さい頃、お父さんが出張に行く時にバスに乗って行く事になったからお母さんと一緒にお見送りに行ったの。その時の私には乗車口がとても大きな口に見えて怖かった。そんな私をお父さんは大丈夫だよって優しく包んでくれた。そしてお父さんを乗せたバスは出発して行ったの」

 そこで彼女は一呼吸置き、少し乱れた横髪を耳にかけ話を再開した。

「それから一時間くらいが経った時だった。急に警察から電話がかかってきて、お父さんの乗ったバスが交通事故を起こしたって言われた。かなり大きな事故で、乗ってた人はみんな死んじゃったって。もちろんお父さんも。急いで駆けつけて、お父さんの死体を見たけどすぐには現実を受け入れられなかった。でも体に触れた瞬間、お父さんは死んだんだってはっきりわかったの。この世のものとは思えないくらい冷たかったもの。それ以来、バスはその口で大切な人を呑み込んで、もう会えないような場所に連れて行ってしまうように思えて怖いんだ」

 彼女の話が終わると同時にどこかで烏が飛び立った。その音に驚いたようにスピンが鼻をヒクつかせる。

 僕は絶句してしまっていた。何を話し出したのかと思ってたら、あまりに想像を絶する話が飛び出してきて、頭の中が混乱し始める。そして、徐々に嫌な思い出が蘇ってきた。僕も父親については苦い思い出があるのだが、その話はまた別の機会で。

 だんだん顔が歪んでくる僕の反応を見て、彼女が困ったような笑顔を作って言う。

「ごめんね、急にこんな話して。なんかバスを見たらつい言っちゃって。なんでだろ、やっぱストレス溜まってるのかな。ほら、誰かに話を聞いてもらうとストレス解消になるって言うでしょ、初めて人に話した事だったから、多分そのためかな」

「いや、そんな、その…」

 やっぱり言葉が出なかった。何か慰めるような事を言いたいのに。

 しばらく考えたがついに言葉は出てこず、また沈黙が訪れた。

 彼女がされた事についてもまだ気持ちが整理しきってないのに、そこにかなりの重い話のダブルパンチで声も出せなかった。二人の間の沈黙は重みを増そうとする。

 でも、今回の沈黙はちょっと違った。すぐに慰めの言葉は出なかったが、さっきの話を聞いてから、ある一つの想いがこみ上げてきていた。もう彼女には悲しい思いはさせたくない、というものだった。

 これ以上悲しみが続くような人生を送らせたくない。そのために僕ができる事は、やはり一つしかない。

 僕たちの沈黙に合わせるように黙っていた蝉たちが再び合唱を始めて、今度は僕がそれに合わせるように沈黙を破った。

「倉橋さん。やっぱり僕、犯人を探すよ。君が犯人に対して何も出来なくてもいい。許せなくてもいい。ただ、犯人にはちゃんと謝らせたい。それだけでいいんだ」

「でも…」

「君は想像以上に辛い出来事を経験している。そんなの犯人は知らないでさらに辛い事を君の人生に重ねてきた。それを見てると僕が辛いんだ。だから僕は、僕と君のために犯人を探すよ」

 本当は十割が君のためだけど。口にも顔にも出さずこっそり心で呟く。

「笠木くん…」

 彼女は目に残っていた涙を拭って僕を見つめてきた。

「なんで私なんかのためにそんなにまで…」

「えっ!?いや、だって、えっと、友達じゃないか。僕たち。友達があんな事されるのは誰だって辛いと思って当然だよ。うん。あっ、それに机に入ってたのって猫だったじゃん、あれは個人的にも許せない。酷すぎる。こんなにも可愛い生き物を…」

 僕が手を伸ばしてスピンを撫でようとする。しかし彼の体に手が触れる前に逃げられてしまった。

「あっ、えっと、これも可愛さの一つで…」

 その時だった、彼女が笑った。

「あはっ、まだ仲良くなれてないじゃん」

 そう言って、ふふふふ、とわずかに目に残っていた涙を全部外に出すように笑った。やった。慰めることに成功したのか。

「この前は真横で撫でさせてくれたんだよ。ほんと、おっかしいなー」

「猫は気まぐれだからね」

 まだ彼女は笑ってた。そろそろ僕は少し恥ずかしくなってきた。

「えーと、そんなにおもしろかった?」

「え?あ、うん。まあね」

 僕の言葉を受けて、ようやく彼女の笑いが引いていった。

「あのさ、犯人探しはもう好きにしてよ。やっぱり犯人にはどうする事も出来そうにないけど、犯人が謝ってくれるだけなら大丈夫な気がする」

「本当!?」

「でもね、本当は余計なお世話だって、ちょっと思ってる事は忘れないでね。見つからなかったらすぐにやめていいから」

「大丈夫、絶対すぐに見つけるから」

 二人の間に笑顔が戻った。なんだ、僕にもやれば出来るじゃないか。好きな子を慰めるなんて、上出来だ。

 いよいよ降り始めるかと思われた雨はいつのまにか姿を消していた。この調子ならいつかきっとこの想いも伝える事ができるはず…。朝よりはマシになってきた空色に励まされて心に希望が湧いてくる。

 そんな具合で僕の心に希望が灯りかけた、その時だった。公園の入り口から倉橋さんの名前を呼ぶ女子の声がした。

 二人で同時に振り向くとそこには岡本さんがいた。

「日菜子ちゃん」

 ああ、せっかくなんとなくいい感じになってきた気がしてたのに、なんてタイミングが悪いんだ。

 倉橋さんに呼ばれて岡本さんがこちらに向かってきた。心配そうな顔をしている。

「詩織ちゃん、今日の事大丈夫?なんかすごい嫌がらせだったから心配して来たんだけど…」

「それでわざわざ来てくれたんだ、ありがとう。でももう大分落ち着いたよ。笠木くんがいろいろ話してくれたし」

「えっ、いやそんな僕なんて大した事してないよ。全然力になれてないし」

「そうだよ詩織ちゃん。私も相談とか乗るからさ、ちゃんと話して」

 いや、そうだよってなんだよ。僕が慰めるところを君は見てたわけでもないし、僕は謙遜して言ったんだ。君にそんな風には思われたくない。どうもこの人は好きになれない気がする。

「ありがとう。でも多分あれはただの無差別な嫌がらせだったんだよ。私、誰かに恨まれる覚えは無いし、偶然私の机が選ばれたんだよ」

「本当に?本当に誰か思い当たる人とかいないの?」

「うん、誰も思い当たらない」

「そう…」

 岡本さんは目線を下に落とし、少し何かを考えているようだった。

「それならいいんだけど。もしまた何かあったりしたら私に言ってね。詩織ちゃんは私が守るから」

「日菜子ちゃん…ありがとう」

 そう言って二人で抱き合った。この前と同じように段々居心地が悪くなってきたぞ。

「やっぱり詩織ちゃん、怖かったんでしょ。顔に泣いた跡があるよ」

 岡本さんはそう言って倉橋さんの頬を撫でた。

「ちょっとだけね。でも、もう大丈夫だよ」

「本当?でも今日の事、あのお母さんには言えないんでしょ?言ったらどうなるかわからないもんね。だったら今のうちにもう少し泣いといてもいいんだよ」

「日菜子ちゃん…」

 本当に言われた通りに倉橋さんは静かに泣き出した。

 なんだよ、さっき僕がしっかり慰めたじゃないか。やっぱり僕程度の奴じゃ力にはなれないのか?でも、今のは岡本さんがせっかく立ち直りかけてた倉橋さんに無理矢理今朝の事を思い出させて泣かせたように見えたけど。僕が倉橋さんを好きだからそう思うんだろうか。だとしたら僕はちょっとやな奴かもしれない。

 というか母親は世間体を気にする人だとは言っていたけど、今日の事を話さない方がいいって相当じゃないか?言ったらどうなるかなんて、普通なら心配してくれるに決まっているが、どうも彼女の場合は違うようだ。倉橋さんは家族運には恵まれていないのだろうか。

 目の前では未だに二人の女の子が抱き合って、片方は泣いている。その姿を見るとより一層居心地が悪くなってきた。さっきまで喜んでいた僕の心は、もう既に冷め切っている。

 こうなってしまったのは岡本さんが来たせいだ。彼女は、僕の倉橋さんに対する独占欲の前ではこの上ない邪魔者だ。

 ふと空を見ると、どこまでも黒い雲で覆われていた。今日の雲は動きが早い。さっきまで降らないなと安心していたのに、このままでは降り出してしまいそうな気がする。抱き合ったままの二人の女子を前に、ついに居場所を感じられなくなって、天気の悪さを理由にして僕は帰る事にした。

 二人に別れを告げると、倉橋さんはまだ泣いてるし岡本さんはわかったとだけ言って倉橋さんを慰め続けていた。僕には早くどこかへ行ってくれと言わんばかりの態度だ。彼女も独占欲が強い人間なんだろうな。

 こうなったら絶対に犯人を見つけて僕が倉橋さんに一番貢献してやる。そうなれば嫌でも僕の事を今以上に意識する事になるだろう。岡本さんや祐介にも差をつける事ができる。今に見てろ。

 倉橋さんが犯人探しに乗り気でない事はすっかり忘れて、犯人を絶対に見つけると心に誓い公園を出て行った。

 その後、僕が帰る途中ついに降り始めた雨は、僕が家に帰り着いた時には本降りになっていた。

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