徒然なるままに~短編集め~
リフ
せかいのかたち
ヘッドギアが開発されてから100年が経った。
開発当初は視覚と聴覚のみだったが、現在では身体の全ての感覚を繋げることが出来る。
今日もまた僕はヘッドギアを着けて旅に出る。遥か遠い見知らぬ土地。人が作り出したユートピア。朝の空は澄み渡り、眼前には草原がどこまでも広がっている。
「ここはいつ来ても素晴らしい」
僕はその光景を眺めながら朝特有の少し冷えた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
☆
ここは人が創り出した電子世界。100年前には存在しなかった世界。ついに人の手は神の領域まで届いたのかもしれない。
「さて、今日は何をしようかな」
しようと思えば何でもできる。それがこの世界の特徴だ。今まで作られた世界ではこれは駄目あれも駄目といったように禁止事項も多かった。
それは当然かもしれない。現実と変わらない世界となった電子世界ではあらゆることがリアルなのだ。当然悪用しようとするものは現れるだろうし、それに対する取り締まりや規制も必要だろう。
だからといって自由を縛るのはどうなのかという思いも当然ある。それを解決したのがこの世界だ。ここでは全てが許される。やろうと思えば犯罪さえもできる。ただ、罪を犯した人間はその瞬間に現実世界へ帰還することになる。そしてヘッドギアを外した時、目の前には警察がいるのだ。
この仕組みを知ったとき、実に分かりやすい犯罪抑止法だと思った。罪を犯した者は必ず捕まる。ならば罪を犯さない程度に自由に生き、世界を回していく。この仕組みは現実世界よりもよほど優秀だ。
「とりあえず畑でも耕すか」
僕は後ろを見た。そこには草原の中にポツンと建つログハウスがある。横にはそこそこ広い畑も。ここが僕の住処だ。家に向かって僕はゆっくりと歩き出した。
☆
この世界が創造されてから半年以上経った。国が運営するこの世界は安全性と自由度が高いこともあって人気もそれ相応に高い。近年さらに人口が減り続けている若者だけでなく中年や老人もこぞって参加する。何故ならこの世界では若返ることも老けることも可能で、体力の衰えや関節の痛みなど様々な身体の不調をなくせるからだ。中年や老人は若返り、一部の物好きな若者は老けた。
「しっかし大きくなったなぁ」
汗をだらだらと流しながら農作業をしていた僕は頭を起こした。そこには青々と茂ったキュウリが土に刺した棒や引っ掛けた網に這っていた。青々とした実はイボがたくさんあって白い粉を纏っている。美味しいキュウリの証拠だ。
「これは美味いぞ」
僕は一人で住むのが好きだ。草原に伸びる細い道を辿っていけば町に出るし、そこには様々な人や物が溢れている。たまに作った野菜を売りに行ったり、ちょっとした物を買う程度で接点はあまりないが住みやすそうな町ではあった。
「みんなも作ればいいのになぁ」
この世界に来た人はとにかく冒険をしたがる。農業や畜産を行う人は少数なのが現状だ。
「さ、今日のノルマ終了! 飯でも食うか」
すっかり独り言が癖になった僕は野菜を少し収穫すると家へと入った。
☆
僕は基本的に一人だ。ちなみに現実世界でも一人暮らしをしている。
家族は一年前に事故に遭い死んでしまった。相手側の車が中央線を越えて正面からぶつかってきたのだ。原因は自動運転システムのエラーという事故としてはありふれた理由で、僕はたまたま家にいたので無事だった。後日、相手側からは少なくないお金が支払われたけれどそんなことはどうでもいい。いきなり両親を失って『じゃあこれから頑張ってね』と言われたところでどうすればいいのか。
そもそも僕はまだ中学生だ。ひと昔前と違い今は学校と言えば通信教育が普通で家にいながら出席が出来るし、学校に行くのは行事の時など数える程しかない。生活費は慰謝料でどうにかなりそうだ。
もそもそと現実世界で食事をとる。目の前の白い壁紙は少し色褪せて年季を感じさせる風合いだ。家の中は整理整頓がしっかりされていて、今の主人の几帳面な性格を表しているよう。両親が残してくれた一軒家は色んなところに思い出が散らばっていて、ふとした拍子にそれらが蘇ることがある。僕はそのたびに嬉しいのか悲しいのか分からない感情の波に呑まれ、家の静けさがそれに拍車をかけた。
「ひとりでいることが寂しい?」
自分にそう問いかけてみるが答えは返ってこなかった。もし「寂しい」と返ってきたら僕は……。
食事を食べ終えた僕は歯を磨くと電子世界『カトレア』にダイブした。
☆
『この世界はもう一つの現実である』。
そう言い始めたのは誰だったか。
仮想世界でありながらその現実と遜色ない感覚に当時誰もが驚いた。今でもたびたび驚くことがある。僕の場合は新しいものを食べた時であったり、綺麗な布を手に取った時であったりだ。だが作られた世界であることに変わりはない。全てはコンピュータで計算された上で僕たちの脳に届けられる。それが少し寂しかった。
「なんだこれ」
カトレアにダイブした僕は土いじりをしようと家庭菜園に来ていた。僕が一から育てたキュウリやトマトが整然と並んでいる。その枝葉は青々と茂り、キュウリに至っては蔓が僕の身長を超えている。網に絡まるその様子は元気で立派だ。
僕はそんな野菜たちが生える畝の片隅にぴょこんと『変な葉っぱ』が生えているのを見つけた。双葉の片方だけが伸びたような姿でとても小さい。まるで大地から逆さに生えたスプーンのようだ。
「んーこんなもの植えた覚えはないんだけどなぁ」
この世界の生態系は現実世界とそう変わらないが、カトレア特有の生物ももちろん存在する。この葉っぱもその中の一つだろうか。
「水でもやるかな」
そう呟くとジョウロで水をあげる僕。心なしか葉っぱが動いたような気がしたが気のせいだろう。
軽く湿る程度に水をあげた僕は他の野菜たちにも水をあげるのだった。
翌朝。再びダイブした僕が見たのは成長した葉っぱだった。高さは膝くらいまである。ただ双葉の片方だけが一枚ある感じは変わらないし、丸っこくて触るとスベスベしている。
カトレアにおいて植物の成長速度は現実世界と同じだ。ある程度早められる方法もあるあるがこんなに早くは成長しない。
「うむぅ……どうしたものか」
しばらく悩んだが結局そのままにした。成長したらどうなるのか興味もあったし、ここで抜くのも可哀想だ。
「元気に成長しろよ」
僕はそう言うとジョウロで水をあげた。
次の日の葉っぱは特に成長はしていなかった。ただ変わらず青々としているところを見ると元気そうだ。
「今日も水をやるからな」
カトレアは場所にもよるが比較的乾燥している。暑さはそれほどでもなく日本でいうところの春の気候が一年続く。雨はそれほど降らないから、こうして水をやらないと枯れてしまうかもしれない。
本当は安全性とか利便性を考えれば街の方がいいのかもしれないが、この世界でくらいは自由に過ごしたい。周りに迷惑をかけず奔放に、それでいて充実した人生。だから街から離れたここに一軒家を建てた。周りからは老成していると言われることもあるが、これが一番幸せな過ごし方だと思う。
「よしこれでオッケー」
今日も葉っぱに水をやった僕は庭の手入れを続けた。
電子世界『カトレア』では基本的に何をしてもいい。それは生活においてもそうで、旅に出るのもいいし、町に住むのもいい。基本的にこの世界は赤茶けた荒野が広がっているので見るべきところはないと思うが、まれに森があったり洞窟があったりするので面白いらしい。そして多くはないが素敵な出会いもあると聞く……僕には関係のない話か。
そんなことを思いながら僕はその日眠りについた。
☆
翌朝カトレアで目が覚めると目の前に不思議なものがいた。自分以外は部屋の中に入れないはずだが、ベッドで寝ている僕のお腹の所に緑色の塊がいる。
「なんだこれ」
僕は体を起こすとその物体に触れてみた。やけにすべすべしている。この感触は庭の謎植物と似ていると思った。見れば葉っぱが丸まっている。
よいしょと両手で下から持ち上げてみると葉っぱの向こうに身体があった。ぷにぷにしていて柔らかい。見た目はマンドラゴラをデフォルメした感じで可愛いかった。どこかのゆるキャラと言っても通用しそうだ。葉っぱは頭頂部からぴょこんと生えていて、微かにぷるぷると震えている。
じっと見ているとそのマンドラゴラと目が合った。
「こんにちは」
僕がそう言うと
「こんにちは」
マンドラゴラは今起きたのか、眠そうな目をその小さな手でこすりながら嬉しそうに微笑んだ。
どうやらリーフ族という生き物らしい。
僕が聞き出した内容をまとめるとこんな感じだ。
種族名はリーフ族。雄雌の区別はない。話せるのは育ててくれた者の言語と自らの言語であるリーフ語。何故うちの畑にいたのかはわからないそうだ。
「じゃあ君はどこから来たの?」
僕がそう尋ねると
「わからない」
そう言って笑った。
「あ、そうだ!名前はあるの?」
僕は話題を変えることにした。
「ないよ」
「じゃあ僕が付けてもいい?」
リーフ族の彼をじっと見つめる僕。
「いいよ」
少し照れ臭そうに笑った彼は可愛かった。
流石に変な名前は付けられない。リーフ族という事だしそれにちなんだ名前が良いだろう。
花の名前なんかいいんじゃないだろうか。僕の好きな花は紫陽花だ。根っこには毒があって農家がモグラ除けによく植えているやつだ。英語ではハイドランジアと言う。
「じゃあハイドラはどうかな」
僕がそう言うと彼はハイドラ、ハイドラ……と単語を口の中で転がすと
「いいね! 僕の名前はハイドラだ」
そう言って今日一番の笑顔になった。
☆
それからの毎日は楽しいことばかりだった。
生まれたてのハイドラは言葉は通じても常識という点においてはまだ子供だ。これは何あれは何とよく聞いてきた。僕はその都度名前や意味を教えていた。まるで父親のように。実際やっているのは子供のお守りなのでその通りなのだけど。
そんな日々がしばらく続いたある夜。
「んーーー」
ハイドラが窓の外に見える夜空を眺めながら何事か悩んでいるようだった。僕はそんなハイドラに言葉をかける。
「どうしたのハイドラ」
「いや、ね。空が黒いなーと思って」
目線を外さずそう返すハイドラにはどこか影があった。僕も見上げると真っ黒なキャンバスにはいつもと変わらない星々が瞬いている。
「まあ夜だからね。地球と一緒さ」
「地球?」
「そ、僕の生まれたところ」
基本的にカトレアにおいて地球の話はタブーという訳ではない。この世界にいるプレイヤー以外はみな地球を認識できないようになっている。例え話したとしても「何を言っているんだ」と返されるのがオチだ。
だから僕もハイドラに言ったところで流されてしまうと思っていたのだが――。
「地球? 地球ってどこ」
ハイドラは目をキラキラさせながらそう訊いてきた。その自然な反応に一瞬戸惑う。それはこの世界の創造物としては異常な反応だ。
「え? 地球っていうのは—――」
僕が地球について説明するとハイドラはますますキラキラした目で僕を見つめ
「行ってみたい!」
木の床をぴょんぴょん跳ねながら叫んだ。
その姿に僕の頬は一瞬緩んだ。でもこの電子世界からは連れ出せない。そもそもハイドラも厳密にいえばデータの塊であるし、物理的に不可能なのだ。
だがその事をハイドラに分かってもらうまで、じっくりしっかりたっぷりと――かなりの時間を必要としたのは言うまでもない。
☆
あの夜からまたしばらく経った。
ハイドラは日が落ちると空を見上げることが多くなり、たまにぽつりと「地球に行きたい」と零すようになった。そのたびに僕は「ごめんね、無理なんだ」と返している。実際電脳世界を作り上げるに至った人類の技術力をもってしても、データという情報を現実世界に肉体をもって出力することは出来ない。それが出来ればエネルギー問題や食糧不足などすぐに解決できる。科学技術がどれだけ進歩しても不自由なことは必ずあるものなのだ。
ハイドラの見た目は生まれた時から変わらず膝丈くらいだ。あまり成長はしない種族らしい。ただ日光が照る時間帯は日の当たる場所にいる。基本的に食事は水だけで、たまに土に潜って足りない栄養を補給しているようだ。土から出た後は水場で身体を綺麗にしている。最初は自分だけ食事を作るのもどうかと思い聞いてみたが日光浴だけで賄えるらしい。むしろいらないときっぱり断られた。
「今日も空を見ているのかな?」
僕が椅子に座っているハイドラに近づきながら言うと
「うん、この中のどこかに地球があるのかなぁ」
人によって作られた空だがその美しさは本物だ。無数の星々の中に、もしかしたら地球もあるのかもしれない。どれだけ近づいても本物に辿り着くことはないだろうが。
僕は少し悲しい気持ちになりながらも明るい声で
「そうかもしれない。もしかしたらあの明るい星かもね」
そう言って一際明るい星を指差した。
「そっかぁ。行ってみたいなぁ」
そのくりくりした目をその星へと向けながら窓枠に寄りかかるハイドラ。その目は少し潤んでいるだろうか。
僕には現実世界での生活もある。その間ハイドラには寂しい思いをさせているのだ。本人は大丈夫だと言っているが、一人でただただ過ごす時間というのは辛いものがある。僕も家族が事故でいなくなってからは寂しかった。
「ごめんな。一緒にいられたらいいんだけど」
たとえハイドラが人の作ったデータであったとしても、そこにはちゃんとした人格が存在する。喜怒哀楽を感じる心もある。現実世界の人間と何も変わらない。ただのデータだと切り捨てることは出来なかった。僕はぎゅっとハイドラを抱きしめながら日が昇るまで一緒に空を眺めていた。
☆
そしてしばらく経ったある日のこと。
「ハイドラ、葉っぱが動いてるよ」
ハイドラのトレードマークである葉っぱがみょんみょんと揺れ動いていた。まるで怪しい電波を受信しているかのようだ。……もしくは発信しているのか?
「本当だ。何だろこれ」
ハイドラ自身もよく分かっていないのか恐る恐る葉っぱを撫でる。その姿が可愛くて僕は笑顔になってしまった。
「何笑ってるの? もう」
「ごめんごめん。そんな顔しないでよハイドラ」
僕は彼に近寄るとぎゅっと抱きしめた。
「……もう、仕方ないなぁ」
ハイドラは嬉しいのかにへらっと表情を崩すと僕の胸に顔を埋めスリスリ攻撃をしてくる。
「よしよし、ハイドラは甘えん坊さんだな」
一頻り彼の頭を撫でた後、僕達は昼食でもとろうと家の中へと入ったのだった。
その間もずっとハイドラの葉っぱは動き続けていた――。
☆
あれからしばらく経った。程なく葉っぱの挙動は治まったが、今もときたま出ることがある。最初のうちはハイドラも気にしていたようだが、特に害があるわけでもなく今では慣れてしまった。
ただ今日のハイドラは少し違うようだ。
「少し話したいことがあるんだけど」
そう言って葉をみょんみょんさせたハイドラが近寄ってきた。
「いいよ。どうしたの」
話を聞いてみると、今日のみょんみょんはいつもと違い聞いたことのない声が聞こえるという。
「どんな声なの?」
「それがね……」
『――同志よ。この声が聞こえるだろうか。私達は今地下深くの場所にいる。どうか私達の下へ来てほしい』
そう言っているのだという。
「ねえお願いなんだけどさ」
つぶらな瞳でハイドラは僕を見上げてくる。
正直に言えば迷ったが――僕はそれを了承した。
出発するにしても準備が必要だ。正直どのくらい距離があるのかもわからない。
今すぐ飛び出そうとする落ち着きのないハイドラをどうにか宥め準備を始めた。保存の利く干し肉などの食料や野宿をするための簡易テント、服装も旅仕様にしなければならない。
「ねえまだー?」
ハイドラは潤んだ目で見上げてくる。最近はこういった泣き落としのような真似もするようになった。
僕はハイドラの頭をなでると
「もう少しだからなー」
心を鬼にして黙々と準備を進めるのだった。
ハイドラは基本的に食事を摂らない。以前も言ったが光と水、そして土さえあれば問題ない。今も畑の隅に潜って日向ぼっこをするだけで元気に過ごせている。
土はどこにでもあるし日の光も持ち歩く必要はない。結局水さえ持っていけばいいので荷造りは大分楽だった。
――コンコンッ。
準備をしていると家のドアをノックする音がした。
僕はハイドラを玄関から見えない位置に下がらせると少しドアを開けた。まだハイドラを誰にも見せたことはない。そこは慎重にいきたかった。
「どちらさまですか?」
そう声を掛けると
「すみません、少々お尋ねしたいのですが――」
玄関の前に立っていたのは黒いスーツ姿の若い男だった。サングラスをかけていてどこぞのシークレットサービスのような雰囲気がある。
僕は警戒した。この世界でスーツを着ている人間の所属は一つしかない。
色々自由にできるこの世界であっても一つだけ一般人が出来ないことがある。それはスーツの製造及び着用だ。見つかれば即追放され物品も押収される。着用出来るのは一握りの人々のみだ。
それは政府の人間。
滅多に姿を見せないが、必要があれば出てくる。例えばバグの修正であったり、マナー違反を行った人間に対しての警告であったりだ。しかし今回はそれにはあて嵌まらないだろう。身の回りに目に見えるバグは特にないし、マナー違反はそもそもしていない。ハイドラは微妙なラインだろうが……。
「何でしょうか」
「実はこういった生き物を探していまして」
そう言って懐から取り出したのは写真だった。
そこにはハイドラと瓜二つの生き物が写っている。違いは目だ。写真の中のそれにはこの世に絶望した者特有の濁りがあった。
「――知りませんね」
「……そうですか」
スーツの男は写真をしまい、「もし見かけたら運営まで連絡をください」と言い残して去っていった。どうやらここにいるという確証はないらしい。もう少し粘られるかと思ったがあっさり引いてくれた。
何故だろう。彼にもしハイドラの事が知られたら、離れ離れになるだけではなくもっと恐ろしいことが起こる気がする。写真の中の濁りを思い出し、ハイドラにはああいう目をしてほしくはないなと心の底から思った。
☆
僕たちは荒野を歩く。
ハイドラのお願いは「一緒に声の主の元へ行くこと」。ハイドラには行くべき場所が何となく感じられるという。
とにかく政府の人間にハイドラの存在がばれないようにしなければならない。家を出てしばらくはハイドラを外套にくるんで運ぶことにした。そして家が見えなくなるくらい離れると地面に下ろし一緒に歩いた。
ハイドラは自分用の外套を翻し荒野を歩いていく。子供用の小さな布を纏ったその姿はちびっこ冒険者のようで微笑ましかった。
――どのくらい経っただろうか。
しばらく歩き続けていると山に着いた。赤茶けた岩でできた岩山だ。ハイドラは疲れも見せず元気に登り始めた。
僕は少し疲れていたけれど、その姿に気合いをぐっと入れ直し一緒に登り始めた。
……僕たちを追う影に気付きもせずに。
迂闊だった。家に訪ねてきた時点で監視されているかもしれないという考えに至らなかった。
どうやら彼は僕たちを追ってきたらしい。しばらくしてハイドラが気付いた。それはほんの小さな変化。足音からだった。視界の限られる場所に来たからか、追手も距離を詰めてきたようだ。ハイドラには微かに小石を蹴る音が聞こえるという。
そして僕たちは現在、追跡者に気付かれないように岩陰を移動している。ここには身を隠せそうな岩がごろごろある。それを利用するのだ。
どうにか目的地に着くまでに撒かなければならない。これは僕とハイドラの問題だ。他人には入ってきてほしくない。それに場所が分かってしまえば相手にも迷惑が掛かってしまう。足音を出来るだけ消し、姿を岩陰から岩陰へと隠しながら移動する。
その先に目指すものがあると信じて。
☆
「この辺りから気配がする」
彼を撒くことが出来てから一時間ほど。岩山を登り続けた僕たちは小さな広場に辿り着いた。彼は追跡に関しては素人らしく早い段階で撒くことが出来た。一時はどうなる事かと思ったが結果オーライだ。僕は軽く息を吐き出すと周りを見た。
気配の発生源はここらしい。相変わらず背の高い岩ばかりで特徴的な物がない。
「本当にここなの?」
僕がそう言うとハイドラは真剣な顔で
「絶対ここ」
そう言って調べ始めた。
周りをしばらく探していると変なものを見つけた。
親指ほどの小さな文様が岩に彫られている。僕はそれに軽く触れてみるが何の反応もない。どうやらボタンではないようだ。
「なにそれ」
ハイドラがとことこと僕の所に寄ってきて不思議な文様をジッと見つめた。
「うん」
何かを感じ取ったのか、ハイドラは一つ頷くとその文様に自分の葉っぱを近づけた。
すると
――ヒィィィィイン。
何かが起動する音と共に目の前に大きな扉が浮かび上がった。
「これは……」
僕は少し放心してしまった。
一方ハイドラは何かを確信したのか
「じゃあ入ろっか」
そう言って岩に浮かんだ扉を開けてとことこと進み始めていた――僕を置いて。
「ちょっと待って!」
僕も続いて扉を潜ると
ドォン!
大きな音を立てて扉が閉まった。その音にまた少し放心しつつも足はハイドラを追って動き続けていた。
☆
一言でいえば――逃げた先にはハイドラがいた。それもいっぱい。
僕たちが歩き着いた先で見たのは大きな街のようで、ひっきりなしにハイドラが歩いている。背の大きいものもいれば小さいものもいる。色が黒っぽいものも白っぽいものもそうでないものもたくさん。そこには確かに彼らの生活があった。
「この世界は現実の世界に存在し、リーフ族は人間に追いやられている」
そう言って近づいてきたのはこれまたハイドラだった。長いひげを生やしたその姿にはどことなく威厳がある……がよく見るとそれはひげではなくひげ根のようであった。
彼は混乱している僕たちを宥めるとこの世界の真実について語り始めた。
長老が話してくれたことを簡潔にまとめるならこうだ。
この世界は仮想現実ではなく現実で、この世界の身体は電子ではなく機械で出来ていて、僕たちは地球にいながら意識のみ火星に来ていると。火星をゲーム感覚で開拓させ、人の住める環境へと改造させるために僕たちは利用されているのだと。
嘘だと思った。そんな僕に何を思ったか、長老は不思議な球体を取り出すと僕の身体に近づけた。
「な、何を……」
その球体が僕の右腕に触れた瞬間
「え?」
僕の右腕が落ちた。ひじの部分からすっぱりと。
僕は起こったことが信じられなくて、目の前に短くなった腕を持ってきた。
その断面は幾筋もの光が走っていてとても人間の物とは思えない。不思議と痛みもなかった。
これを見たとき僕は真に悟ったのかもしれない。
『ハイドラと過ごした時間は本物だったのだ』と。
それが一番に思い浮かぶことに心から安堵し、そして少しだけ嬉しくなった。
ハイドラと僕はそれから話し合った。これからの事、未来の事を。
その姿を長老は優しげな瞳で見守っていた。
☆
あれからどれだけの時が過ぎただろう。
僕は結局地球で大人しく過ごしている。ハイドラの方は今も火星のどこかで生きているはずだ。例えもう会えないとしても、ハイドラの育ての親として、そして唯一の友達として胸を張って生きよう。あの日見た夜空を今日もまた見上げながら思う。見る場所が違ってもその星空は変わらず綺麗だった。
あの日長老から真実を聞いた僕たちは別れることにした。
また家に政府の追手が来るのは目に見えていたし、人間である僕は火星人の集落では歓迎されないかもしれない。それに僕が知らないと言えば政府の人間もそこまで強くは出られないだろう。犯罪ではないし、頭の中を覗かれるわけでもない。
彼らには何か秘策があるようで、どうにかして火星から人間を追い払うようだ。それに巻き込まれないためにも僕は帰ることにした。
「ありがとう。元気でね」
「きっとまた会おう」
そう言って抱き合った瞬間は一生涯忘れることはないだろう。
☆
流れ星を見た。
それはぐんぐん我が家の開いた窓めがけて飛んでくる。
物思いに耽っていた僕はとっさに窓から距離をとるとその場で身構えた。だんだん近づいてくるのが音で分かる。
「僕は死ぬのか」
零れた弱音を噛みしめながら目を強く瞑った。
瞼の裏にはあの日別れたハイドラの悲し気な笑顔が焼き付いていた。
キューンキューン。
そんな音と共に目の前に何かが降り立つ気配があった。どうやら死んではいないらしい。
うっすらと目を開けた僕の視界には銀色の球体があった。両手で抱えきれないくらい大きい。そしてパカッと球体の一部が開くと小さな影が飛び出してきた!
僕はその影を反射的に抱き留め
「おかえり!」
そう声を掛けると
「ただいま!」
そう言って僕たちは笑い合った。
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