第26話 音もなく解ける甘い恋(カールフェルド視点)

 広い王城の更に奥。いわゆる後宮と呼ばれる場所の一室の前に立った俺──カールフェルド・ヴェラ・ガルニエは、今にも勢いよく扉を開けて突入したいものの、それでは中の麗人がびっくりして倒れてしまうのではないかと思い直し、落ち着くために深呼吸して自分に「落ち着け」と言い聞かす。


「カールフェルドです。母上、いらっしゃいますか?」

「カール? ええ、どうぞ入ってらっしゃい」


 数回のノックの後、中の人に入室を窺うと、すぐさま部屋の主から返事が返ってくる。前室にいるって事は、今日は体調がいいみたいで、俺はホッとする。


 逸る気持ちを抑え扉を開く。普段は使用人達の控え室となっている小さな部屋にあるソファに腰をかけ、手にしていたカップをソーサーに戻した母上は、俺の姿を認めると砂糖が崩れるように儚く微笑んだ。


「久しぶりね、カール。クリス殿下にご迷惑をおかけしてない?」


 白に空の色を流したようなゆったりとしたドレスを纏う母上は、一見すると俺のような大きな子供を持ってるようには見えない。


「むしろ逆ですよ、母上。こっちがクリスに振り回されているんです」


 唇を尖らせて頬を膨らませた俺に、母は笑みを深くしたのだった。




 俺の母上は、現王妃の生家から付いてきた侍女だった。同時に乳兄弟だった二人は、主と使用人という関係を超え、とても仲の良い親友同士だったという。


 世間では俺とクリスは双子と認識されているが、本当はクリスの母は王妃様で、俺の母は目の前にいる繊細な女性なのだ。


 嫌な言い方をすれば、俺は妾である母の子供。とはいえ、母と王が結ばれ俺を成したのには、大人の事情があるらしく、二人だけでなく王妃も口を固く閉ざしてはいるものの、どこにでも口さがない連中は存在するため、おおよそだが理由は把握している。


 そして、俺の情報は数時間早く産まれたクリスとも共有している。

 多分、クリスが玉座に座る頃には、悪意を振り撒いた連中たちは断罪されるだろう。


 クリスはああ見えて俺よりも腹黒いのだ。


 まぁ、王家の秘密をベラベラ吹聴するのは、家臣としては如何なものだが。


 同じように将来臣下となる友人の従兄弟のリオネルもかなりの腹黒だから、二人が結託した際は、もうひとりの友人であるアドルフと一緒に止めないと。今から戦々恐々である。


 なにはともあれ、王も王妃様もクリスと分け隔てなく俺を大事にしてくれる。まあ、そんな現状に甘んじて次期王に担ぎ出されても困る為、早々に継承辞退を済ませ、リオネルの父であるヴァン様指導の下、日々剣技を磨いている。

 俺は王となったクリスと、ある時期から変わってしまったリオネルの妹、アデイラ嬢が王妃になった時、近くで護れる存在になりたいのだ。


「あら? カール何か持ってるの?」


 ふと、母上が小ぶりな鼻をくんくんとさせながら尋ねてくる。

 そういえば、さっきアデイラ嬢からもらったものを手にしたままだった。


「ええ、先ほどアデイラ嬢からいただいた物です。召し上がりますか?」

「まあ。噂のアデイラ様の? 是非ご相伴に預かりたいわ」


 花開くように微笑む母を見て、俺は近くに控えるメイドへとお茶の準備を頼み、彼女の隣へと腰を下ろす。


「母上、噂のとはなんですか?」

「最近、アデイラ様が考案されたお菓子が、エミリア様経由で王宮に入るようになって、王妃様のお気に入りになりつつあるのよ」


 確かにアデイラ嬢の作るお菓子や料理は、一般に知られるものとは微妙に思考が違のは、なんとなく気づいている。


 東の国では主流のモチ米を使ったオモチや、ピクニックの時に入っていた卵焼きやカラアゲ、他にもゼリーやアイスクリームなど、材料は見知ったものばかりなのに、彼女の手にかかると途端に見新しい物へと変化する。


 さながら魔法のようだ、と。


 まさか、エミリア様が王宮に広げ、普段そこから出る事のない母上の耳にまで届くとは思わなかった。


 母上の話によると、王妃様やエミリア様のお茶会に時々ではあるが、参加する事があり、そこで頻繁に話題にのぼったり、口にする事があったようだ。


 また、宰相であるアドルフの父親の領で一躍有名となったスイートポテトも、流れてきた話によるとアデイラ嬢のレシピらしい。一度差し入れで口にした事があるけど、サツマイモの自然な甘さを活かしつつ、バターとミルクの濃厚さが上手く調和し、何個でも食べる手が止まらなかった。


 後日、その話をアデイラ嬢にしたら、


「あれ、とっても美味しいんですが、その分カロリー爆弾なんですよね。カール様は父様と鍛錬されてるから消費できるからいいのですが、クリス様や兄様には気をつけるように教えてあげてくださいね」


 確実に脂肪になってるかと思いますけどね、と言いたげな瞳をうっすらと細め微笑むアデイラ嬢に、ちょっと盲目的に忠誠を誓うのは考えようと思ったり。


 なにはともあれ、貴族の間ではアデイラ嬢のお菓子も料理も人気で、食べれる事が一種のステータスになりつつあるなんて、本人が聞いたら発狂ものなので、みんなして口を閉ざしてるものの、現状の勢いを考えたらそう遠くない未来にありえそうなんだけど。一度クリスたちと相談したほうがいいかもしれない。


「さあ、カール。お茶も入った事だし、アデイラ様の新作を食べてみたいわ」


 母上はいつもは透き通る程の白い頬を淡く桃色に上気させ、そうせっついてくる。

 女性というのは、いくつになっても新しいお菓子には目がないようだ。


 俺はアデイラ嬢から受け取った包みを開き、崩れないように丁寧に皿へと乗せていく。先ほどドゥーガン家で食べた時、力加減ができなくて幾つも崩してしまったのだ。このラクガンというのは、かなり繊細なお菓子みたいである。


「まあ、なんて綺麗……」


 母上がほう、と嘆息するのも分かる。

 花を象った薄いピンクのものや、星の形のもの、丸い雪玉を思わせるものなど、どれもが淡い色彩でいろどられ、いかにも女性向けのお菓子だ。


「これはどうやって食べるのかしら?」

「えっと、ベースがお砂糖らしいので、口に含んでお茶を飲むといいそうです」

「そうなの。変わってるわね」


 母上はそう言いながら、そっと指先でラクガンを摘むと、小ぶりな唇の奥へと押し込んでいく。それから間を置くことなく淹れたてのお茶を含んだ途端、零れそうな程に目を見開き、無言でコクリとお茶を飲み込む。


「不思議ね、カール。お砂糖なのに口に入れたら雪のように溶けてしまったわ。それに、思ったよりも優しい甘さで、お茶の味も邪魔してないの」

「気に入ってくれたようで、俺も安心です。王妃様たちの分はリオネルとアデイラ嬢が持参するようなので、全部食べてしまってもいいすですよ」


 うっとりと感想をのべながら、次に手を伸ばそうか迷う母上に、さっき言っていた彼らの話を伝えると、彼女は皿に並ぶ中から花の形をしたものを選び、そっと俺の口の中へと押し込んできた。


「ははうえ?」

「あなたも一緒に、ね?」


 口の中の水分が奪われこもった声を出す俺に、母上はにっこりと微笑んでお茶を手渡す。


 すでに口にしたけども、改めてお茶と共に喉へと流していくと、ほのかなお茶の苦味とラクガンの優しい甘味が調和し、とても幸せな気分になっていった。


 ほんとうにすごいな、彼女は。


 クリスとの婚約式の時は、なんていけ好かない令嬢なのだろうと思っていた。それから疎遠になっていたけど、モチつき大会と称した親友の両親の仲を取り戻した催しで再会した時、純粋に両親の仲を案じ、兄との関係を改善しようと頑張る姿は、最初に会った彼女とは別人のようで、気づけばクリスの婚約者だというのに、淡い恋心を抱いてしまったのだ。


 俺はアデイラ嬢が好きだ。だけど、クリスと奪い合うつもりもないし、今更王位継承権を戻したいとも思っていない。


 だから、俺はクリスと彼女を守る剣となり盾になる。


 でも──少しだけ……もう少しだけ、彼女以外の女性が俺の前に現れるまでは、彼女の事を秘かに想い続けてもいいだろうか。


 そう。このラクガンのようにホロリと崩れ溶けていく、長く短い時間を。



 ひっそりと願う俺を、母上は少し寂しげに見ていたかと思えば、そっと頭を撫でながら、


「あなたにもきっと素敵な運命が待ってるわ」


 まるで俺の心の内を読んでいたかのような静かな声が聞こえ、暖かく穏やかな空気の中、俺はゆっくりと頷いたのだった。

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