第19話 王子はモーニングティにて思い馳せる
いつもの時間になると、前の日に夜更かしをしていてもパチリと目を醒ます。
生まれてから体に染み付いた習慣というのは、無意識でも発揮されるのだから、体というのは良くできているものだと自分の事ながら感心に値する。
「クリストフ王子様、おめざめでしょうか」
数度のノックの後、ドアを開けて静かに入ってきたのは、城の侍女長。父だけでなく、従兄弟で友人でもあるリオネルの母の成長を見守ってきた事のある、俺よりも城の事を網羅している一人でもある。
「ああ。すまない侍女長。お茶の支度をお願いしてもいいか?」
「かしこまりました。本日もいつもの茶葉で宜しいのでしょうか」
「それで頼む」
侍女長は一度退室したが、すぐに別の侍女と共にティーカートを押して姿を現す。これもいつもの事で、彼女が茶の支度をしている間に、他の侍女が俺の服などの準備を進める。見慣れたいつもの光景。
しかし、衣装部屋に消えていく侍女の背中を見ていると、視界に入った執務机にあるソレがいつもの日常とは違う部分を教えてくれた。
(アデイラがくれたモチという物。確か、彼女はカガミモチって言ってたな)
先日、リオネルが手配を頼んできたモチ米は、実際は彼の妹で俺の婚約者であるアデイラからの依頼だったようで、見知らぬ食材をどう利用するのか知りたくて、ある意味強襲という形でドゥーガン家を訪ねた。
その時はチマキという味のついた具沢山の塊を食べたのだが、初めての食感と馴染みのある具材が上手く調和していて、本当は毒見が必要だと分かっていたのだが、ついつい口に入れてしまっていた。無我夢中で食べ、結局はリオネルの分も奪って食べるほどに美味しかったのだ。後日、リオネルからしこたま叱られた。本気で怖かった……。
仮にも王太子なのに、あいつの俺に対する扱いは酷いと思うのだが。
一応、訪問する時は事前に約束を取り付けると反省の弁を告げてみれば、渋々ながらも納得してくれた。
それで、暫くの間リオネルにアデイラについて彼女の好みや普段は何をしているかを、根掘り葉掘り質問攻めにしたものの、奴からの返事はいつも「アデイラが普段何をしているか分からない」とそっけなく返すのだった。正直どんな人物に対しても柔和な態度で接するリオネルにしては、実の妹に関して素っ気ないと思ったんだ。
その後も何度か問いただしてはみたけど結局は梨の礫で、手に入れた少ない情報によると、近々俺が手配したモチ米を利用して餅つきなるものを使用人たちと催すといった事を知ったのだった。
「よし、リオネル! 俺はその餅つきに参加するぞ!」
「……来なくてもいいですよ、クリス。今回は家族内の事なので」
行く前に相談しろと言ったから、素直に告げてみれば、リオネルは俺に顔を合わせる事なく、盤面の駒を白から黒に返す。俺達がやっているのは、この国から昔からあるオセロというゲームである。ルールは至って簡単なのだが、かなり頭を使うこのゲームをリオネルは好んで遊ぶので、何かを承諾させる時には決まってオセロを持ち出すようになったのだ。
「で、それはいつやるんだ?」
「ですから、家族内の催しなので……」
「では、どうして家族内の催しをするんだ? 別にそんな必要を感じないのだが」
パタパタと駒を黒から白、白から黒に盤面が変化をする中で、俺はリオネルに質問を重ねる。
実はリオネルに問い詰めなくとも、ドゥーガン家の内情は耳にしていた。
叔父上で近衛騎士の団長を勤めているヴァン・マリカ・ドゥーガンと、叔母上で元王女のエミリア・マリカ・ドゥーガンは、リオネルとアデイラが産まれる前から冷め切った夫婦であったと。
きっと、二人は自分達の親の関係修復の為に、餅つきを企画したのではないかと思うのだ。
だったら、今まで交わる事のなかった家族だけが揃うよりも、俺が間に入った方が何かとやりやすい筈だがな……。
流石に親戚とはいえ、他人の家族事情を告げる訳にもいかず、不躾な質問となってしまったのだが、
「……アデイラが決めた事なので、僕には分かりません。ですが、彼女が現状を打破したい気持ちは僕にも理解できたので、協力しようと思った次第です」
リオネルは駒を返す手を止め、俺をまっすぐに見つめながら話す。つまりはこれ以上は追求してくれるな、と言いたいのだろう。口にしてしまうと、不敬だなんだと騒ぐ奴らもいるしな。
「分かった。ただ、俺もモチ米の手配に力を貸しただろう? もしかしたら、今後この国でもモチ米を普及するかもしれないから、他の調理法があれば知りたいんだ」
「ですが……」
「だったら、開催の日を教えてくれ。俺はその日以外に訪問しよう」
リオネルは、これ以上諭しても無駄だと思ったのか「分かりました」とうな垂れつつ、日程を教えてくれた。代わりに俺もその日はヴァンが確実に帰宅するよう助けると告げたのだった。
まあ、実際はヴァンに俺と弟のカールフェルドが無理やり引っ付いてお邪魔したんだけどな!
あの時のリオネルと言ったら、目も口もネジが外れたようにぱっかり開いたまま固まったのは、本当に面白かった!
それですったもんだの末に、叔父上夫婦が和解したのは良かったけど、俺にはひとつ懸念が湧き上がったのだ。それは婚約者のアデイラの事について。
ちまきの時も思ったのだが、何となく彼女と俺との間に壁を感じたのである。
王家の血の流れを感じる、白銀の髪と菫の瞳を持つ彼女は、一言で言えば可憐な花そのものだった。リオネルが話してたように、普段部屋から出ていないせいか、肌は透き通るように白く、とても儚くて今にも消えそうな容貌をしていた。
彼女と出会ったのは、遠い昔だったのであまり記憶に残ってないが、あの頃の彼女の印象は我が儘な薊のような少女だと思っていたのだ。
まさか数年であのように変化をするとは考えもつかなかった。
婚約当初の頃のように高慢な子だったら、リオネルの先導で食事をしてから城に帰ってただろう。だけど、俺はあの時リオネルとカールフェルドに先に行くように告げ、アデイラの元へと駆け出していた。
「アデイラ、待ってくれないか!」
俺が彼女の背中に向けて声を掛けると、アデイラはビクリと肩を震わせながらもこちらへと振り返る。その瞳にはどこか怯えのような色を湛え、少なくとも好意的な雰囲気を感じられなかった。正直、彼女からの態度に心がチクリと傷んでしまった。
しかも呼び止めておいて次の句が全く出なかったんだよ! 緊張したんだよ、悪いか!
「あの。何かお話でもあるのでしょうか?」
流石に沈黙に耐え切れなくなったのか、アデイラはおずおずと尋ねてくる。
ああ、もう! 女性から切り出させるなんて、男の風上にも置けないじゃないか!
それにしても、上目で見上げてくる彼女がかわいいなんて余計な思考に傾いていると、
「もし、特に用件がないようでしたら、私急いでますので……」
「あっ、待ってくれ!」
アデイラはその場から離れようと、淑女の礼をもって立ち去ろうとするのを、俺は慌てて彼女の手首を握ってしまった。
(うわ……、めちゃくちゃ細い)
「クリストフ王子。何か言いたいことがあるのなら、はっきり言ってくれませんか? 言葉にしなければ、貴方の気持ちも分かりませんわ」
当然というか、柳眉を潜め警戒心をむき出しにするアデイラに「すまない」と言って手を離すしかなかった。本音はもうちょっと繋いでいたかったけど。
「じゃあ……はっきり聞くが。君は俺の婚約者で、間違いないんだよな」
そう問えば「まあ、そうですね」と目を泳がせながら返すアデイラ。俺は彼女の様子に怪訝になりつつも質問を重ねるが、その度に彼女は段々と落ち着きをなくしていくのが分かる。彼女は一体、何を隠しているのだろうか。婚約者でもある俺には言えない事なのだろうか。
正直、この婚約は俺から求めたものではなかった。王家と叔母上が降嫁した事により男爵から公爵へとなったドゥーガン家とのパワーバランスを取る為に、叔父上と俺の父――正確には父が叔父上を唆したらしいが――の間で交わされた婚約だった。正式に婚約と成ったのは俺が六歳でアデイラが五歳の頃。つまりは約二年程前の出来頃だ。
当時のアデイラは、俺が将来の夫となるのが当然の顔をして、厚顔無恥が全身から滲んでいるような、我が儘を体現したような少女だった。
だが、何故か二年でこうも性格も接する態度も変わるとは、俺自身不思議でしょうがない。まるで人間が入れ替わったかのような変化だ。
本当かどうかは別にして、リオネルの話では婚約後からずっと部屋に閉じこもっていたそうなので、いつから今のアデイラになったのかは把握していないらしい。
まあ、それは横に置いておいて。
幾度か質問をしては返してを繰り返していると、あれほど逃げ腰だったアデイラは真っ直ぐに俺の目を捉えて口を開く。
「もし誤解をさせてしまったのでしたら、大変申し訳ありませんわ。私はクリストフ王子の婚約者として自信がありませんの。もしかしたら、それが態度に出てしまったのでしたら、お詫びいたしますわ」
「……誤解?」
「はい。誤解ですわ」
誤解なもんか。現に今も隙あらば立ち去ろうと足が動いてるじゃないか。
俺はアデイラにじっとりとした目を向けると、にっこりと微笑を俺に向けてくる。何となくこれ以上追求してくれるな、と言いたげに感じるのは、俺が穿った目で見てるせいなのだろうか。
「本当に、俺との婚約が嫌で避けてる訳ではない……と?」
「嫌もなにも、私の独断で反対なんてできません。それはクリストフ王子もご存知でいらっしゃるのでは?」
「それは……まあ」
「でしたら、まだ本格的な婚約まで時間がございます。今しばらくそっと見守ってはいただけないでしょうか?」
そう。婚約はしたものの、まだお互いの年齢が幼い事もあり、教会での婚約式までには至ってない。
「そうですね……。でしたら、婚約云々は別に置いて、まずはお友達として接してはくれませんか?」
考えあぐねていた俺の耳に届いたのは、友達という言葉。
婚約したのに、友人関係から始めろ、と? 後退してるような気がするのは俺だけか?
「友達か……」
確かに彼女の言うように、俺達は殆ど互いを熟知してると言える程交流をしてきた訳ではない。
ならば彼女の提案に乗るのも一手ではなのだろうか。
俺は清々しい笑みをして快諾し、まずは彼女との交流をはかろうと決めたのだった。
「クリストフ様、お茶が入りましたわ」
侍女長の声に、俺は邂逅に没頭していた意識を現実に戻す。いつの間にかベッドの上に小さなテーブルが置かれ、その上に湯気の立つカップと小ぶりな籐製の籠。カップの中身は柔らかな水色のミルクティで、籠の中は先日アデイラが持たせてくれたカガミモチの一つを砕いて油で揚げたオカキというもの。
指先ほどのオカキを摘んで口に放り込む。カリリと小気味良い食感と塩味が口の中一杯に広がる。
この国にもチーズを用いたクッキーは存在するけど、このオカキはそれとは違う面白みがある。しかも摘めるというのが次から次へと手が伸ばすのを止められない。
口の中が塩辛くなってきた所で、ミルクティでさっぱりさせると、またオカキに手が伸びる。ああ、これは無限ループに陥りそうだ。
「……ふう」
気が付けば籠の中のオカキもカップのミルクティも空になり、俺は満足の溜息を零す。
アデイラと一緒に食べたモチは柔らかくて噛み切れなくて口に残り続けたのに、この同じモチで出来ているオカキは噛み砕け、後を引く旨さがある。
(なんだか、アデイラみたいだ)
さあ、アデイラと友人関係になったんだ。また別の彼女の姿を発見したい、と浮き立つ気持ちを胸に、俺は執務机で待機している残りのカガミモチの調理法を尋ねようと、近くアデイラに会おうと心に決めたのだった。
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