月が太陽にキスをして

@monakatabetai

皆既日食とお伽噺

 太陽と月がキスをする時、異世界への扉が開く。子供の時に聞いた事があるお伽噺だ。


 僕はもう、大学生だ。お伽噺だとかそういう空想を信じる年齢では無い。でも、異世界が本当に会ったら面白いだろうなとは思う。そんな事を考えながら、いつものように大学へと通学をしていた。


 住宅街を通り抜け、少し小高い山を登ると、僕の通う大学がある。


 大学へと続く上り坂に差し掛かったところで、見知った後姿を見つけた。ピシッと綺麗に伸びた背筋に、背中まで届くまっすぐと伸びた黒く長い髪、服装は白いブラウスに膝下まである紺色のプリーツスカート。後ろから見ただけでわかる。その真面目な風貌は幼馴染の杏莉だろう。


 杏莉に追い付くため、歩幅を広げた。杏莉はゆっくりな歩調なので直ぐに距離は縮まった。追い越しざまに、杏莉の方へ振り返る。相変わらず、無表情な顔をしていた。


「杏莉、おはよう」

「坂口君、おはよう」


 杏莉は視線だけ僕の方に動かして、挨拶を返す。


「何か用?」

「用ってほどでもないけどさ、見かけたから挨拶しておこうと思って。そうだ、杏莉は知っているかな? 明日は皆既日食何だって。日本で見られるのは数年振りらしいよ!」

「そう。でも、私は興味無いわ。皆既日食より勉強をしないと。坂口君、単位は大丈夫なの?」


 今のところ、欠点は無かったが、次のテストは危うそうだった。僕と違い杏莉はいつも高得点をキープしている。


「まあまあ、勉強もしているよ。杏莉ほどじゃないけど」


 そうこう話しているうちに昇降口に着いた。僕たちはお別れを言うとそれぞれのクラスへと向かった。講義の最中、杏莉の事を思い浮かべた。彼女はあんなに勉強ばかりして楽しいのだろうか。偶には遊ぼうとは思わないのだろうか? 余計なお節介かもしれないが、人生はもっと肩の力を抜いたほうが楽しいと思う。そうこう考えていると一日の講義が終わった。




 今日は皆既日食の日だ、予報によると朝の通学時間に見られるらしい。僕はアパートのドアを開けると空を見上げた。どこまでも突き抜けるような青い晴天が広がっていた。住宅街を歩いていると雲が太陽に被さったように、景色が暗くなり始めた。空を見上げると、月が太陽の頬に顔を埋めて行く所だった。その姿はまるで、太陽と月がキスを交わしているかのように見えた。


 足を止め、その光景に見入る。すっぽりと太陽が月の裏側に隠れると、世界は夜の様に暗くなった。太陽は真っ黒に染まり、周囲にはダイヤモンドリングがゆらゆらと浮かんでいた。昼夜が逆転したような街の景色に何だか本当に異世界に来たような気がした。


 暫くすると、黒い影の後ろから、ゆっくりと太陽が顔を覗かせる。空の色も徐々に元の明るさを取り戻していくと思っていた。だが、予想に反し、空の色は夕焼けのように赤くなり、太陽も血に染まったように真っ赤な色をしていた。


 空と太陽の色に驚く間もなく、今度は風景に異常が起こった。周りにあった住宅が沼に沈むように地面へと潜って行き、代わりに見たこともないするどく先の尖った木が地面から生えてくる。さっきまで歩いていた住宅街はどこかに消え、不気味な森の中へと変容していった。頭上には目が五個もあるカラスのような生き物や羽が四枚あるコウモリのような生き物が飛び回っている。


 見た事の無い景色に驚きながらも、現状の把握に努める。よし、とりあえず、人を探そう。ここが何処なのかは分からないが、きっと人はいるはずだ。幸い、木々が左右に分かれて真っすぐに続く一本の道の上に立っていた。僕は道なりに足を踏み出した。街路樹として生えている尖った木は針葉樹と呼ぶには優し過ぎた。まるで鋭利な刃物のように葉がキラリと鈍色に光っているのだ。指で葉をつつくとカツンと固い音が聞こえた。これは本当に植物なのだろうか……。不気味な光景に不安になりながらも、歩いていると、前方に大きな洋館が見えた。普通の家の三倍くらいの大きさはあるだろうか。黒く大きなその建物には、沢山の窓が取り付けられていた。窓にはカーテンが取り付けられており、隙間から明かりが漏れていた。ここなら人がいるかもしれない。僕はノックをした後、玄関の大きな木製扉をゆっくりと開けた。


「すみません。誰かいらっしゃいますか?」


 玄関の隙間から顔を覗かせる。中は大きな吹き抜けのホールになっており、大理石の床には赤いカーペット敷かれ、天井には大きなシャンデリアがぶら下がっていた。左右には扉が幾つかあり、奥には二階に続く階段が左右へと登っていた。二階には沢山の個室があるようだった。


 シャンデリアの明かりできらきらと黄金色に輝く豪奢な光景に見とれていると、呼びかけに答えるように声が響いてきた。


「こんな山奥の家に何かようかしら?」


 声の方を振り向くと、左側の扉から、淡いピンク色のゴシックドレスにとても豪華でボリュームのある金色の縦ロール、緑色で蠱惑的な瞳に、透き通るような白い肌、日本の住宅街にいたら、全く馴染まない容貌の人物が眉間に皺を寄せ、不審がりながら顔を覗かせていた。


「すみません、急にお邪魔してしまって。自分でも何が起こったのかよくわからないのですが、気が付いたら山の中に居まして。宛も無く歩いていたらこの家を見つけた次第です」


 彼女のエメラルドのような瞳が、まるで危険物の取り扱い方を検証するかのようにじっと見つめて来る。ひとしきりじろじろと検閲されると、合格ラインだったのか、眉間の皺は取れ、笑顔になった。


「迷子の方でしたのね、そうとは知らずにごめんなさい。立ち話も何ですわ。お茶でも飲みながら話しましょう」


 僕は彼女に案内されるがまま、奥の個室へと招待された。そこにはこぢんまりとした白く丸いテーブルがあり、その上にはティーポットと二つのカップ、小皿とクッキーが乗っていた。椅子に座るよう促されたので、腰を下ろした。


「どうして、こんな山奥で迷子になったのか、聞かせて貰ってもいいかしら?」


 彼女はカップにお茶を注ぎ、僕の前に置いた。花のような芳しい香りが漂う。まだ、完全には信用されていないみたいだ。


「皆既日食を見上げていたら風景が変容したのです。その後は気が付いたらここにいました」


 僕は体験したことを話した。学校教師が難しい問題を説明するように丁寧に説明した。


「なるほど。あちらの世界から来たのね。私の名前はオリヴィア。裏側の世界へようこそ。お客様」


 彼女は上品にお辞儀をすると、にこりと微笑んだ。


「僕の話をすんなりと信じてくれるのかい? 自分で言うのもなんだけれど、御伽話みたいだよ」

「ここにはそういうお客様が偶にいらっしゃるの。だから、貴方の話も本当だと信じるわ」


 オリヴィアの説明によると、この世界は僕からみると、地球の裏側のような世界になるという事だ。世界の隙間に挟まった人間が偶に迷い込んで来るようで、ある程度の時間が経つと体が透明になって行き、また、元の世界に戻れるらしい。それを聞いて僕は安心した。元の世界に戻れるまでの暫しの時間は、オリヴィアとのお茶を楽しむことにした。


 オリヴィアからこの世界の説明を受けた僕は、お礼に元の世界の事を話した。ここの森と違い、コンクリートで出来たジャングルがあること。通信手段でインターネットなどが普及している事などだ。オリヴィアは目を輝かせ、前のめりになって話を聞いてくれた。どうやら、オリヴィアに興味がある話題だったようだ。


「貴方の世界はとても面白そうね」

「今まで迷い込んで来た人はそういう話はしてくれなかったの?」

「そうね、多分違う時間軸だったのではないかしら? 貴方のように清潔な服装をしていなかったし。もっと野蛮で汗臭いような人が多かったわ」


 オリヴィアは首を傾げ、昔の事を思い出すようにうんうんと唸りながら語る。


 ふと、何かを思い出したように、オリヴィアは胸の谷間からネックレスを引っ張り上げると、チェーンのホックを外した。そのネックレスを僕に見える位置に持ってくる。金色に光るチェーンにペンダントトップには金で出来た太陽をモチーフに中心には赤い宝石が嵌っていた。


「記念に持って帰って欲しいのだけど受け取って貰えるかしら?」

「勿論いいよ。でも、そんな高価そうなものを頂いてもいいのかい?」


 オリヴィアは席を立ち、僕の背後に回ると、ネックレスを僕の首にかけてくれた。ネックレスを回す途中、冷たくて暖かなオリヴィアの指が鎖骨に触れた。その瞬間、心臓がドクンと高鳴った。その音が、オリヴィアに聞こえてないか冷や冷やしたが、彼女は特に気に留めてないようだ。


「このネックレスは太陽の煌きというの。私の大切な友達がいつでも会えるようにと魔法を掛けてくれた特別なネックレスなの。元の世界に戻ったら、太陽の煌きを握って私の事を想ってくれないかしら? そうすれば、魔法の効果でそちらの世界に行く事が出来るわ」


 僕は快く了承した。それから、徐々に自分の指が透明になっていくのを感じた。元の世界に戻る合図だとわかった。オリヴィアに両手を見せると別れの挨拶を告げた。体はどんどん透明になっていき、じわじわと視界も薄れ、次第に真っ白な光景になった。


 次に目に飛び込んできたのは元の世界の通学路だった。白昼夢だったのだろうか? 空を見上げると、夢を見る前と同じ普通の太陽が浮かんでいた。念の為、時間を確認しようとポケットに手を入れると、ジャラジャラと鎖のようなものが手に当たった。取り出してみると、金色に光るチェーンにペンダントトップには金で出来た太陽をモチーフに中心には赤い宝石が嵌っていた。それはオリヴィアに貰った太陽の煌きにそっくりであった。

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