第17話 4-2 咲夜姫の瞳

 「おお! シノノメ殿!」

 完全に固まってしまったシノノメとグリシャムのところに、裃をつけたワータイガーが歩いてきた。今回の防衛戦で奮戦したカゲトラである。

 「こんにちは、カゲトラさん」

 シノノメは、またもやモフモフした手に触るために握手した。本当は顔とかも触ってみたいのだった。

 「知っている人がいて、安心したよ」

 「それがしも緊張この上なしでござる」

 ワータイガーは髭をブルブルとふるわせた。

 「他には誰か来てる?」

 「さっき、にゃん丸殿がいたが、マタタビ酒を飲みすぎていたので心配ですな」

 よく見るとボールルームには見知った顔が見受けられる。シノノメは安堵の吐息を洩らした。


 「シノノメ、久しぶりだな」

 黒い詰襟の服を着た、背の高い男が挨拶してきた。

 目元が涼しげな銀髪の青年である。眉目秀麗とはこのことで、通った鼻筋と引き締まった口元を持っている。グリシャムは少し赤くなった。

 「あ、セキシュウさん。こんにちは」

 「この度は私も助けに行きたかったが、役に立てなかった」

 セキシュウは申し訳なさそうに言った。

 「シノノメさん、この方は?」

 グリシャムが頬を染めながら肘でシノノメをつつく。

 「王宮武官のセキシュウさんだよ。武術の達人。昔いろいろ習ったの」

 「えー! シノノメさんにも先生がいたんですか?」

 「当たり前じゃん! 生まれた時から強いわけじゃないもの!」

 セキシュウは笑った。

 「剣術を教えたのに、包丁術になってしまったがね」

 落ち着いた柔らかな物腰だ。

 人生経験の豊富な大人の男性を感じさせる。グリシャムの胸は少し疼いた。


 その時、シノノメの登場で落ち着きを失っていたボールルームが、さらにざわつき始めた。

 パタパタと近づく足音がする。


 「シーノーノーメーさまー!」


 薄紅色のドレスを着た少女が、猛然とダッシュしてシノノメに抱きついてきた。

 「会いたくって、私来ちゃいました!」

 「サ……咲夜サクヤさま……苦しい……」

 少女の強烈なハグを受け、シノノメは喘いだ。

 年の頃で言えば、十五歳くらい。金髪に碧の目、頭に宝冠をつけた愛らしい少女だ。


 「姫! はしたのうございます!」

 慌てて女官が少女をシノノメから引き剥がそうとした。

 「姫?」

 呆気にとられていたグリシャムが尋ねる。

 見ると、セキシュウが膝をついて座礼の姿勢を取っている。他の来賓の者たちもすべて頭を垂れていた。

 「皇王殿下のご息女、木花咲夜姫コノハナサクヤヒメにございます」

 女官が一礼して答える。グリシャムも慌てて頭を下げた。


 咲夜姫は周りのことなどお構いなしでシノノメに頬ずりしている。

 「今日のシノノメ様、すごく綺麗ですわ!」

 「だけど……ちょっと、これ派手じゃないかな……王族の人より目立っちゃまずい……」

 苦笑いしながらシノノメは声を絞り出した。咲夜姫のハグが強烈すぎるのだ。


 「いいえ! とてもよくお似合いですわ!」

 咲夜姫は目を輝かせながら答えた。

 「シノノメ様は、皆様とは別に表彰をお受けになることになっていますから、こちらの控室にいらして!」

 シノノメは半ば強引に両手をとられ、引っ張られた。

 「姫! いけません! シノノメ様をお連れするのは私たちの仕事でございます!」

 女官が慌てて制止しようとする。


 「えー! いいじゃない玉依タマヨリ!」

 咲夜姫の愛くるしい顔がふくれっ面になった。

 「いけません !そんな、はしたない顔をなさって! ああ、もう!」

 咲夜姫は女官の言葉を完全に無視してシノノメを引きずると、ドアの外に連れ出していった。

 「姫さまー!」

 玉依と呼ばれた女官は慌てて来賓客に挨拶し、後を追って飛び出していった。



 咲夜姫にしばし圧倒されていたボールルームの客人たちは、また元の和やかな雰囲気に戻った。

 「シノノメさんって、本当にすごいですね。お姫様にもあんなに慕われているなんて……」

 グリシャムは少しドキドキしながらセキシュウに声をかけた。

 「ああ、すごい。あの娘の人徳だろうな」

 セキシュウが頷く。

 「セキシュウさんはどのくらい前からシノノメさんを知っているんですか?」

 「あの子がまだレベル10くらいの時だろうか。吸収力と持続力が凄かった。 黙々と目的に向かって着実に努力を積む」

 「レベル10?」

 「数日であっという間に20に上がったがね。しばらく一緒にパーティーを組んでいたよ」

 「そのパーティー、他にはどんな方がいたんですか?」

 「有名どころだと、現北の竜騎士ドラグーンランスロットとか、南の聖騎士パラディンヴァルナとかな。西の魔女クルセイデルの弟子、カタリナもいたな」

 セキシュウは懐かしそうに目を細めた。


 「す、すごいビッグネームばかりですね!」

 「エルフの戦士、アルタイルは知っているか? グリシャム君はエルフだから……」

 「ええ、ええ!彷 徨のアル! エルフの里を出て孤高の弓の技を求めて旅をしているという!シノノメさんは、そういうところで修業したんですね!」

 セキシュウはうなずいた。

 銀髪がはらりと額に落ちる。かきあげる動作も厭味でなく、様になっていた。


 「はーっ、すごいなぁ! じゃあ、長い付き合いなんですね。セキシュウさんは現実のシノノメさんにもオフ会とかで会ったことあるんですか?」

 グリシャムがその言葉を発したとき、セキシュウの顔から笑顔が消えた。


 「……ああ、ある」

 「あるんですか! 話し方からしかわかりませんけど、彼女まだ若いですよね? さすがに十代ってことはないにしても」

 「……若い」


 ゲーム世界の有名人の名前を聞いて舞い上がるグリシャムとは対照的に、何故かセキシュウの表情が曇った。


 「いいなぁ、現実も充実して幸せなんだろうなぁ。だって、ゲームを楽しむことを理解してくれる旦那さんかな? もいるわけでしょう、きっと! だって、さっきちょっと突っ込んだら、顔が真っ赤になってたし。私なんかいっつもお母さんにゲームばっかりしてないで嫁に行きなさいとか言われてるのに……」

 そこまで話した時、グリシャムはセキシュウの表情に気付き、反省した。

 「あ、すみません。あまり現実世界の話をするのは、良くなかったですよね」

 

 ……ちょっとはしゃぎすぎたかもしれない。これは印象的にマイナスポイントだ……


 セキシュウはしばらく黙って、腕を組んでいた。眉間にしわが寄っている。

 「いや、君が悪いんじゃない。気にしないでくれ」

 ため息をついて、呟くように言った。

 「ただ、あの子の幸せなど……あれは幸せとは言えん」


 グリシャムにはセキシュウの言葉の意味が分からなかった。


          ***


 そのころシノノメは長い廊下を引きずり回され、控室とは名ばかりの咲夜姫の自室に拉致されていた。

 靴で踏むと体が沈む絨毯の上に、ビロード張りで猫脚のソファが置いてある。

 こんな事をすると絨毯にソファの跡がつくのに、と気にしてしまう主婦シノノメである。


 「今回の大活躍、私、念波放送の録画を何度も繰り返し見ました! カゲトラ様にも、いろいろお聞きしたんです!」

 咲夜姫はティーカップを手にして興奮していた。紅茶が今にもこぼれそうだ。

 シノノメは自分のティーカップを両手でそっと支え、ちびちびとお茶を飲んでいた。

 これではどちらか姫君かわからない。

 ちなみに、念波放送は水晶玉なので、映像を記録しても再生するためには専門の魔法使いが必要だ。姫の気まぐれに付き合って何度も魔法を行使させられた可哀想な術者がいたということになる。


 「ああ、凛々しいお姿でしたわ! シノノメ様が殿方でしたら、お父様にお願いして、私を娶って頂くところです。そうすれば、きっとこの国も安泰です。きゃー! いや、もう私ったら娶るだなんて。お姉さまとして慕わせていただくだけでも幸せですのに!」

 さっきからずっとこうやって姫のマシンガントークを聞かされているシノノメだった。相槌を打つ暇もない。カゲトラも根掘り葉掘り聞かれたのだろう。大変だっただろうな、とシノノメは想像した。


 「無敵の魔法と武芸、そして、財務の管理は財務大臣よりも秀でていらっしゃるし」


 というか、財務大臣の仕事っぷりがあまりにもひどかったので、シノノメが家計簿をつける要領で一気に皇国の無駄をなくしてしまったのだった。一応シノノメは簿記の資格を持っていたが、コンピュータが演じているはずのNPCが何故あんなに経理ができないのかさっぱりわからなかった。


 「一国の財務と軍事を預かるお方、まさにシノノメ様は素明羅皇国の‘主婦’でいらっしゃいます!」

 その理論からすると、シノノメの夫は素明羅皇国と言うことになる。咲夜姫の瞳は輝き、星どころか銀河が映っているようであった。


 「ですが、シノノメ様はこれからどうなさるのですか?」

 「え?」

 突然姫の声のトーンが変わった。

 今までの可愛くも元気すぎる咲夜姫とは違う、落ち着いた喋り方だ。

 シノノメは一瞬不意を突かれ返事に詰まった。


 「今回の叙勲で、レベルは92になるでしょう。100まで目指されるのですか?」

 「う、うーん……実は、あまり考えてないの。だって、伝説と言うか、噂があるでしょ?」

 「伝説ですか?」


 マグナ・スフィアでのプレーヤーのレベル上限は、100と言われている。

 言われているというのは、100に至ったプレーヤーが、ユーロネシアに未だいないとされているからだ。

 100まで上がると、もうそれ以上上がらなくなり、ひたすら新しくクエストを楽しむだけになるという説。

 それまで手に入れたスキルやアイテムはすべて消え、一からやり直しになるという説。

 そして、もう一つはマグナ・スフィアの世界でどんな願いでも一つ叶えてもらえるという説。

 あとは普通に、そのうち120まで上限が引き上げられるようにバージョンアップされるという説もあった。

 いずれにしても運営側から何も公表されていないため、半ば都市伝説のようになっていた。

 シノノメはあまりゲーム情報誌や攻略本、掲示板など見ないので詳しくないが、何となくは聞いたことがあった。


 「あまり上に行っちゃうと、それ以上先がなくなってつまらなくなってしまうよね? 私ね、ずぅっとゆっくり物語を楽しんでいたいの。どんな物語ゲームでも、終わってしまうのって悲しいでしょ?」


 その問いに咲夜姫は答えず、小首をかしげ、少し悲しそうにシノノメを見つめた。


 ……おかしい。姫が、姫じゃなくなったみたいだ。

 碧い瞳が、深淵を見つめるような深い紺に見える。

 シノノメがそう思ったのもほんの束の間、次の瞬間咲夜姫は元に戻り、星いっぱいの瞳に戻っていた。


 「もうシノノメ様なしでは、私も我が国もやっていけません!」

 姫はマントルピースの上の置時計を見て飛び上がった。

 「あ! いけませんわ、もうこんな時間! 早く式場に行かなければ、お父様に叱られます!」


 再び咲夜姫に手をひかれ、シノノメは部屋を飛び出した。

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