怪奇掌小説集 ~無限のヒト定理~

甲乙 丙

無限のヒト定理

 無限の猿定理って言葉を知っていますかねえ?


 猿をタイプライターの前に座らせましてね――ああ、今ならキーボードの前と言い換えても良いんですけれども、キーをね、猿に打たせるんですよ。カチャカチャッとね。猿は特に訓練されているわけではないですから、眼の前のキーボードをやたらめったら雑に叩くんですね。

 そうしないと餌にありつけないのか、それとも体が固定されているのか……。その辺はまあ、置いておきましょう。


 とにかく、猿がキーボードを叩くと画面にランダムな文字列が並ぶんですが、その作業をに続ければやがてシェイクスピアによる作品の一節が画面に現れる。なんて昔の人は云っているわけですね。


 なんとも馬鹿らしいでしょう?


 けれども、頭の良い人たちは大真面目な顔で、そんな事を議論している訳です。確率論だとか解析学とか持ち出してね。

 あげくの果てには、実際に六匹の猿を使って実験まで始める始末。ウフフ……。

 頭の良い人というのは、時に突飛な行動に出る事がままあるものですが、それにしてもちょっと突飛すぎやしないかねと、実験行為を知った時には笑いがこみ上げてきてしまいました。


 まあ、思いがけずそれが、私の実験のヒントになった訳ですけれども……。


 同じような考えで、もしをキーボードの前に座らせて延々とキーを叩かせたら、一体どんな作品が出来上がるのか。

 私は強くそれに興味を抱きましてね。実験をする事にしたんですよ。


 逃げられないように手首と体を固定させて、キーを叩く事を強要する必要がありますが、人間は言葉を知っている訳ですから文字列はランダムにはならず、意味のある言葉を生み続けるでしょう?

 最初こそ文句や弱音をカチャカチャ連ねるでしょうが、それもやがて落ち着くでしょう。


 延々と並ぶ文字列の先に一体どんな名文が生まれるのでしょうねえ。

 今から楽しみでなりませんよ。ええ。ウフフ……。

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