第7話
夢中で走って港へたどり着いた。
平べったい顔で、この国のものではない服を着た、見覚えのある人たちがいる。彼らは夜の帳が降りる中、わずかな光にもかかわらず船へ荷物を運び入れていた。
昼間、海はあれだけ陽光を反射してキラキラと輝いていたにも関わらず、今は漆黒の闇が広がるだけ。その海を前にして港に数カ所設置されたガス灯、そして灯台と街の明かりに照らされながら、慌ただしく働いているようだった。それほど急いでいるのだろう。なんだか浮き足立っているみたい。
当然昼間のように遠くまで見通すことはできないから、私はタカノリを探して早足で歩き回らなければならなかった。こうしてみるとジャポン人たちは誰も彼も似たような顔つきをしているように見える。
ああもう、外国人の顔なんて見分けつかないわよ!
『あれっ……』
近くを通った、見覚えのある人影が声を上げた。その人は荷車で大きな荷物を運んでいたが、足を止めてこちらを見てくる。
「タカノリ!」
見知った人影を見つけて私は叫び、石畳の上をふらふらと駆け寄る。
タカノリだった。
「ほら! 『ミー・ソシェール』……じゃなかった。ミソシルができたよ」
上がった息を整えながら話しかける。しかしタカノリはぽかんとするばかりだった。
言葉が分からないこと、そして私がここに来るとは思っていなかったのだろう。
「あー……」
しまった。
筆談用の紙とペンを忘れてきた!
『味噌汁ができた、と申されています』
タカノリの声ではない、ジャポンの言葉が聞こえた。何を言ったのかは分からない。
横にはウクワザさんが立っていて、タカノリになにごとかを話していた。もしかして今私が言ったことを通訳してくれたのだろうか。
「結局バレちゃったじゃないか」
ウクワザさんが不思議そうな顔をしつつ、タカノリの言葉を通訳してくれる。
あー、そうだそうだ。そうだった。
「ごめんごめん。でもほら、できたよ」
そう言いながら、手に持っていた鍋の蓋を開けた。
中から白い湯気とともに、ミソとダシの香ばしい匂いが私たちを包んだ。
『おいどうした孝則! ボサッとしないで早く出発するぞ!』
『それは味噌汁じゃないか! どうしてそんなもの……』
タカノリと同じような服装の男の人たちがこちらにやってきて、鍋をのぞき込んでくる。
「本当に……どうして……」
「言ったじゃない。私がなんとかするって。早く、食べてみて」
そしてエプロンのポケットから小皿を取り出し、鍋の中身をすくって入れる。
『美味しい……』
ああ、この顔だ。
私が見たかったのは。
タカノリが破顔して、私の作ったミー・ソシェール……じゃなかった。ミソシルを飲んでいる。
その顔を見るだけで報われたような、不思議な達成感に包まれるのだった。
『おい! 孝則なにやって……これ味噌汁じゃないか! どうしたんだよこれ!』
『孝則君、キミも隅に置けないねぇ……』
『朴念仁だとばかり思ってた孝則がまさか女に目覚める日が来るとは! しかもフランス女か!』
船へ荷物を運び込んでいた、タカノリと同じような格好をした人たちがわらわらと集まってくる。彼らはニヤニヤした表情を浮かべながらタカノリを軽く小突いたり、ミソシルが入った鍋をのぞき込んできた。
そこからはもうジャポン人たちが作業を中断して次々とミソシルをすくっては飲んでいく。おかげでタカノリには一口しか当たらないまま、鍋の中身がなくなってしまった。
『へぇ、味噌汁なんて久しぶりだなぁ』
『味噌汁か。無性に食べたくなってたところだよ。最近食ってなかったしな』
『うう……ひっく……お軽、今帰るからなぁ……えっぐ……長州の奴らにやられるんじゃねぇぞぉ……』
『おい泣くな。奥さんは京じゃなくて田舎に帰ってるんじゃなかったのか。長州の連中はそこまで来るのかい』
『えっぐ……お軽の作った味噌汁が懐かしくてよぉ……』
薄暗くて明かりも少ないからはっきりとは見えないけど、ジャポン人たちは皆笑顔みたいだ。時折笑い声も聞こえる。相変わらずなんて言ってるのかが分からないけど。なんか泣いてる人いるみたいだけど、嬉し泣きってやつ?
「タカノリ、ミソシルを欲しがるのは自分のわがままだって言ったけどさ」
私が呟くと、ウクワザさんがすかさず通訳してくれる。
「ジャポン人みんなミソシル欲しがってたじゃない」
『……確かに』
「わがままなんかじゃなかったのかも?」
私がそうタカノリに語りかけ、彼は照れくさそうに目をそらした。
『でも……』
ん?
タカノリがぼそぼそと言い出すのを、ウクワザさんを介して聞く。
『細く切った大根が入ってないね』
はいぃ?
『味は申し分ないけど、細く切った大根と油揚げが入ってないと味噌汁とは認めないよ』
「なっ……」
なんですってえええええ!?
……
……くくく……
……くっくっくっくく……
「あっはっはっはっは!」
なぜか笑いがこみ上げてくる。言ってくれるじゃない。タカノリ。
タカノリがそう言うなら……
「……なら、次はもっと美味しい『ミー・ソシェール』を作るよ」
いや、ミソシルだね。
「だからタカノリ、また来て。私このホテルにいるから――それまでに美味しいものを作れるように、ここで頑張るから」
必ず戻ってきて欲しい。
そう思って、タカノリの目を見て言った。
ウクワザさんが通訳してくれるから彼の表情がすぐに見られる。
『そうだ、まだお名前を聞いていませんでしたね』
そういえばそうだった。
タカノリの名前は知っているけど私から名乗ったことはなかったっけ。ていうか、名前訊くの遅いでしょ!
私は自分でも意味がわからないくらいに憤然としながら名乗ってやった。
「ミレーユよ。ミレーユ・ダルトワ」
するとタカノリは、
「おみぃゆさん。……おみぃゆさん!」
と、自分の中で反芻するように復唱する。って復唱できてないよ、私の名前。発音違うっぽい!
「ええ、約束です。私は武士ですから。武士は信を尽くすものです、おみぃゆさん」
タカノリは焦る私のことなんかお構いなしに、ニコニコと嬉しそうに私の名前を間違ったまま口にした。
「ミレーユ! ミレーユ・ダルトワ! ちゃんと覚えなさいよ! ったく……やーっと名前訊いたか」
『……よろしかったのですか、あんな約束をしてしまって』
ウクワザさんがタカノリへなにやら話しかけている。でもフランス語じゃないからなにを言ってるかは分からなかった。たぶんジャポンの言葉かも?
『なにがですが。私は武士なんですから必ず信と義は尽くします』
『そうではなくて……この国の情勢はあまりいい方向へは進んでおりません。実際、隣国のプロイセン王国との関係も……このままでは戦になってしまうとの話も絵空事では無くなってきています。日本もどうなるかわかりません。またこの国に来られるかどうかも怪しいのに、再会できるかどうかは……』
『それでも、おみぃゆさんが作る味噌汁が食べたいんです』
『なにげにすごい発言な気が……まったく、細く切った大根がないとだなんて、あなたそんなこと今まで言ったことありましたっけ?』
『細く切った大根がないと駄目になりました。ついさっきから』
『……はい、そういうことにしておきます』
ねえ、シャル。
今の職場が合わなかったら相談してってアルマさんが言ってたみたいだけどさ。
私、もっとこの職場で頑張ってみようかなって思うんだ。
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