9. 友
9-1
僕の目の前に名刺が二枚。ポーカーの最初の一枚みたいに、机の端と端に置かれていた。
もちろん書かれているのは数字じゃなく、名前と会社名と、何だか長くて、これをそらで覚えている人間は果たしてこの世にいるのかさえ疑わしい役職名だ。
シマ・ロッカのほうは極めてシンプル。「社長」のひと言だ。
僕の横で小柄な老人は、腕組みをしたまましかめっ面をしている。
ロッカ社社長のオフィスと言っても、生活空間と大差ない。シマの私物である大量の技術書が占拠した本棚と何のものだか本人も忘れたという埃を被ったトロフィー、もらい物の置き時計、ストーブと薬缶は年中出しっぱなしだそうだ。まだまだ出番は先かも。
「我々から提示する条件は以上です」
よそ見をしていたら、話を聞き逃していた。戦闘会社の男が沈黙と共に背筋を伸ばした。
手に持っていた書類に目を落とす。
待遇は悪くない。給料は言うまでもなく経験者待遇で、福利厚生は充実していると言える。また出撃禁止期間の休暇も長い。つまり消耗品扱いじゃないってこと。疲れを取って出撃しろという方針であることも分かる。休みの間の施設利用も多いのだけど、こっちはあまり興味がないかな。
僕の興味を最大限に引いたのは、もちろん候補として示された乗機だ。
「もちろんシラユキさんの希望を最大限取り入れて選定します。機体の空き状況もありますので、この場での確約は致しかねますが」
髪をオールバックにした男に対して、見覚えというのは特にない。ただどいつもこいつも同じなんだ、この手の人間は。違いは、へらへら笑っているかひたすら事務的か。彼の場合は後者。
「何か、ご質問はございますか?」
それが僕に向けられた言葉だと気づくのには少し時間を要した。ただ、聞くべきことは決まっていたので反応は早い。
「ガトーは来ないのですか」
「ガトー? 弊社のエースをご存知なのですか」
「いえ……名前だけ」
「特に連絡は行っていないかと思われますが……部署が全く異なりますので」
「成る程、ありがとう。……僕からは以上だけど」
もしかしてファンだと思われたのだろうか? そんな感想を抱きながら、シマに話を投げる。
あの傷痕の男は、約束を違えず秘密を守り通してくれているらしい。しかしそれは半分くらい無駄になってしまったかも。
今回のスカウトは、ピレネー社独自の情報網に僕が引っ掛かったが故のものだろう。
「私を通して話をしてくれたことには感謝します」
シマが緊張の様子もなく言う。闊達とした老人だ、声は嗄れているけれど聞き取りにくくはない。
「きょうび、スカウトは結構強引で。いきなり本人に話を持っていって、引き抜きを行うところもしばしばありますから」
「パイロットの引き抜きが横行していることについては、我々も残念に思っています。そのような行為は業界の評判を貶めるものです」
「その上でこの件についてのお返事ですが……まあ、正直に言えば我が社も人手不足です。優秀なパイロットを持って行かれるのは痛い。しかし結局は本人の意思です」
「もちろんです。弊社も御社と摩擦を起こすのは本意ではありません。そのため、補償金や引き継ぎ期間については提示した条件を最低のものとします。後は御社との擦り合わせによって決定いたします」
彼らの対応は誠実と呼んでいい。零細企業に対しても大企業傘下としての威光を笠に着ず、きちんと金銭で取引をしようとしている。
「だ、そうだ。後はお前次第だ、シラユキ」
「うん」
頷きものの、これもやはり答えは決まっている。
「少し考える時間をください」
「もちろんです。一週間を返答の期限として切らせて頂きますが、その前にご意志が決まりましたら、名刺の電話番号までご連絡ください」
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