4-4

「何日飛んでないっけ」


 知らず、掌に滲んでいた汗をズボンに擦りつけて拭う。


「一週間になるかな」

「飛びたいよ」

「明日まで我慢して。フレガータはまだ工場だけど、別の機体でちょっと飛んで欲しいところがある」


 まあ、僕は営業どころか、ミモリのように工場の手伝いも書類整理も出来ない社員なので、仕事と言ったら彼女の補佐か、何かの用事で飛行機か車の運転手をやるかのどちらかだ。

 パスタを頬張り、咀嚼し、飲み込むと、ミモリは続けた。


「地に足が着いてないって感じだよね」


 言わんとすることは理解出来るので、僕は肩を竦めた。


「多分、空で生まれるべきだったのを、何かの間違いで地上に生まれちゃったんだ」

「そう言い切ってしまえば楽だけど。でも鳥でさえ生まれる時は地上だよ。空で生まれる生物なんていない」

「そうなの?」

「さあ……あたし、学はないから」

「さっきのやりとりを見ている限り、とてもそんな感じはしなかった」

「営業に必要な知識の九割は、日常生活に必要ないものだよ」

「なんだ、パイロットと同じじゃないか」


 僕は吹き出した。流体力学も弾道計算も、概ねが地上で生きていくにおいて不要なものだ。丸めた紙をくずかごに放り込む時くらいにしか役に立たない。


 でも、例えば僕に必要な知識があったとして、ミモリのように会社の人間と渡り合えるかと問われれば、否と答えるしかないだろう。どうにもこういう、営業に必要とされる技能というのは、学問とかそういうのとは関係のない異能なんじゃないかと、そんな気がする。


「さて、そろそろ戻らないとだけど、念のため、トーヤに向かえに来させるよ」

「いいの? トーヤ、忙しいんじゃあ?」

「いいの、いいの。それに安全のためだから仕方ないよ」

「安全?」


 また物騒な単語だ。安全という言葉は大抵、その言葉が本来意味するのとは別のところで使用される。


「さっきの会社。何か仕掛けてくるかもしれないから。お店にいる限りは大丈夫だけど、バスや地下鉄は使いたくないのよ」

「そんなことをするかな。企業はイメージが命だろ?」

「シラユキ。企業っていうのは、多分あんたが思っているより、ずっとふてぶてしくて冷酷で、なりふり構わない存在だよ」


 ミモリのその声があまりにも冷静で、僕は逆に返す言葉を失う。


 けれど。

 そんなことだって、僕はとっくに知っていた。

 ただ、思い出さなかっただけだ。


「ロッカ航空郵便も企業だよね。シマもそういう判断をすることはあるの?」


 意地悪な問い掛けだったかもしれない。でも彼女は首を傾げて、


「うーん、うちは、ほら。家族経営だから」

「家族経営っていうのは、そうでない経営と何が違うのかな」

「そうだね、一見してアットホームであったかい職場に思えるんだけど、重要なポストは家族でだいたい独占しちゃうし。ほら、あたしも副社長じゃない。トーヤのほうが向いてるのにね。弊害も多いよ」


 トーヤのほうが向いているかは分からないが、少なくとも本人はそのポジションを望んでいない気がする。ああ、そうか。だから上手く行っているのか。今のところは。


「例えば、他には?」

「うーん……誰だって、たいして親しくもない部下の密告で誰かの首を切るより、結婚相手が嫌う相手の首を切ったほうが気楽でしょう?」


 そういうものだろうか。

 しかし言葉を半分真に受けて、恋愛を種としての本能と捉えると非常に分かりやすい行為だ。逆に言えば極めて動物的、原始的で、理論が全く付随しない行動だということだけど。


 経歴に傷をつける、という言葉がある。

 つまり会社を辞めさせるという行為が社会的な傷害行為であるならば、ミモリが例示したのは、好きな異性の気を引くために、周囲の人間を殴っているのと同じことだ。確かにスマート、つまり知性的というにはほど遠いだろう。


「……つまり、ロッカ社も、場合によっては冷酷な判断をすることがある?」

「そりゃあるよ。さぼっている人間を雇う余裕はないし、横領をしたらクビだよ。今回みたいな、他の会社への不義だって同じ。仲良しクラブでも慈善事業でもない。利益の追求が企業の存在価値だし、利益を得たら社員に給料を支払う義務が、企業にはあるんだよ」

「それには何も文句はないけれど。でもロッカ社が、そこまで利益を希求しているようには、僕には思えないな。それなら大企業に吸収合併されてしまったほうがよほどいい。組合なんていう、非効率な寄り合い所帯に所属しているよりかは利益も上がると思うよ」


 ミモリは吹き出した。僕は何かおかしなことを言っただろうか?


「いや、ごめん、ごめん。シラユキの言うとおりだよ。本当に利益を上げるためだけなら、大きな流れに身を任せてしまったほうがいいんだ。でも、みんな、そこまで割り切ってるわけじゃないんだよ」

「つまり?」

「爺ちゃんだって、あたしだって、割と自分の趣味の延長で、今の会社やってるからね。多分、トーヤも。だから大きくしないし、余計な、例えば本当に給料が欲しいだけっていうような社員を抱え込まない。儲けは少ないけど、その代わりあちこちに支払うお金も少ない。お金が余ったら社員にボーナスで還元するより、社員みんなで好きなことをわっとやって使い切っちゃう。例えばヒコーキとか。そういう集団が、一応、自給自足で好きなことをやるために、組合があるし、ロッカ社もあるんだ」

「へえ」


 僕はにっこりした。

 企業としては失格だけど、そういう思考はとてもいい。

 今や世界の大半が企業によよって支配されている。全ては効率化され、社内での階級によって全てが公正に分配される――というのが建前。


 今では戦争すら、企業の管理化にある。

 資源や権益を巡る戦争を大企業が提案し、戦闘会社がそれを請け負う。勝敗などを管理する戦争管理会社がマージンを受け取り、兵器産業は定期的に仕事を受け取ることが出来る。


 なるほど、そう考えると、旧時代から変わっていないのは戦闘会社だけだ。もしくはそこに所属する戦闘機乗りだけ。


 戦闘機に乗る奴らは、何も変わっていない。


 ただ、自由に、ひたすらに、空へと上がり、空で生き、空で死ぬ。

 それだけ。


 そう思ったいたけれど、平和な世界の飛行機乗りにも、その観念はどうやら通じるらしい。


 ミモリが店の奥に向かう。店員に電話を借りるのだろう。

 個人携帯の電話や無線機は、一時期だけ民間向けに販売されたのだけど、すぐに禁止になった。というのも、それらを改造して、企業軍の通信を傍受するケースが後を絶たなかったのだ。これを重く見た大企業は即座に各国に圧力をかけて、個人通信機の販売を規制した。それ以来、民間人が外出先で電話をかけようと思うなら、店先で借りるか、公衆電話を使うかしかない。基本的に民間人にプライバシーなどないのだ。


 窓の外をぼんやり見る。

 こういう時、上空に敵影がないか探してしまう。これも地に足がついてないってことなんだろうか。

 分からないけれど、警戒するに越したことはない。戦争はいつだって、人間の都合なんて考えちゃくれないのだ。では誰の都合で始まるんだろうか。多分、人間という総体を超越、もしくは逸脱してしまった何かだろう。それを時に企業と呼ぶ。


 空を飛行船――航空戦闘艦が飛んでいた。優雅にはほど遠い角張ったシルエット。金属と火砲の塊。ユピテル管の加護と、金と技術を大量に注ぎ込んだ企業の力の象徴。


 あんな不自由な巨体で空を飛ぼうなんて、人間の考えることじゃない。

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