1-7
太陽と並んで飛ぶ。
地上を俯瞰する。
遙かな高みから。
誰にも邪魔されることなく。
この気持ちを何と表現するべきか、詩人ではない僕にはちょっと分からない。
分かるのは、僕らを威圧するように乱立しているように見えた都市のビルディングの数々が、実は、乾いた荒野の中に僅かに身を寄せ合っている覇王樹の群れのように、酷く閑散とした印象しか与えないということ。
この惑星は人間のものなんかじゃない。僕らは砂漠のど真ん中の、ちょっとした奇跡によって生み出された水たまりに、群がって生きているに過ぎないのだ。その大半を、瓦礫と砂に覆われた大地の只中で。
そう思えば、地上でこの世のすべてを手に入れたような顔をしているおとなたちの何と滑稽なことだろうか。
天空の領域から見ればそれも、芥子粒のひとつに過ぎないというのに。
もっとも、今僕らの眼下に広がるのは、砂礫に覆われた荒野ではなく、同じく人類種を拒絶する万年雪を頂いた山肌だ。
だいたい一時間くらいずつで、僕らは交替で飛行した。本当はずっと操縦桿を握っていたい。空を飛んでいる時に疲労を感じたことはない。飢えも渇きも無縁だ。それは全て地上に降りてからのこと。何時間だって飛んでいられる。
でもミモリが機長である以上、彼女の指示には従わないといけない。彼女の指示は的確だし、合理的だ。慣れている。そしてシンプルだ。感覚でないと分からないところはこっちに任せてくれるあたりもいい。
夕暮れに染まる空で、彼女は意外と無口であることを知る。地上での騒がしさが嘘のようだ。ただ無言のまま計器盤に視線を落とし、そのあとはずっと空と山々を見つめている。
太陽の高度に合わせて気温が下がってきた。僕らは申し合わせたようにマフラーを締め直す。シルクのマフラーは飛行機乗りには比較的ポピュラーなアイテムと言っていい。毛糸や化繊のマフラーは、長時間身に着けるには向かない代物なのだ。肌を傷めるし、蒸れる。多少割高でもシルクを求めたほうが良い。
ミモリの指示に従い、高度は低め。
山肌が両脇から威圧するように狭まってきて、一本道のように見えてくる。それでもそう見えるのは実はトラップで、時に目的の集落に向かうには、一瞬で通り過ぎてしまうような狭苦しい隘路に飛び込まなければいけないこともある。注視していないと見逃してしまうほんの小さな目印を頼りに山間の谷に飛び込むのは、正気の沙汰とは思えないけれど、それが郵便飛行士の仕事。
高性能なタービン機なら雲の上をまっすぐ飛べばいいけど、燃料が高いから割に合わないのが実情。そもそもタービン機の生産が減って、機体そのものが高価になってしまってから、虎の子をこんな辺境には飛ばしたがる会社はない。結果として、ロッカ航空郵便のような零細企業に仕事が回ってくるわけだ。
ミモリが魔法瓶を取り出した。
「コーヒー、僕も飲む」
「ん」
カップが差し出されてくる。湯気をあげるそれを啜る。
やがてカクテルみたいな太陽が山陰に姿を消し、ラジウム針が、コクピットの薄闇の中で、翡翠色の存在を主張しだす。
「時々思うんだ」
「何?」
キャノピィに額をつけたミモリの、不意の呟き。
「こうして日が暮れて、何もかもが見えなくなったとき、いつの間にか地上がなくなって、あたしたちだけが夜空を永遠に飛んでいるような錯覚」
「ああ……」
「分かる?」
「うん」
それは――とてもよく分かる。
飛行機乗りなら、誰もが一度は経験したことのある感覚だ。
真っ暗な夜天。
もしくは真っ白な雲の中。
そういう、何も見えないところを単機で飛んでいるときに不意に襲ってくる、
孤独感とでもいうのだろうか。
酷く寒い。
そして、静か。
エンジンの音さえ消えてしまったかのように感じる、あの時間。
星が消え、月が死んで、
何も、なくなる。
「消えてしまいそう」
「消えないよ」
「え?」
「墜ちていくだけだ」
「地面に?」
「空に」
「ああ……」
地上が消えてしまったなら、そこにあるのは空だけだろう。
僕はキャノピィに映った自分の顔を見た。
見えるのはそれくらいだからだ。
そして藍色に染まった空がその色の深みを増し、世界が暗闇に消える直前。
キャノピィの向こう側にぽつりぽつりと、まるで錬金の秘術のように、黄金の光が灯り始める。それはやがて篝火の群れのように列を成し、綺麗な線を描いて僕らを導くのだ。
ミモリが、管制塔と連絡を取り出す。こんな田舎だけど、管制塔はちゃんと機能していた。
「タワー、着陸許可をお願いします。――時間ぎりぎりだ。途中で進路変わってたから、危なかったね」
完全に光が消えた夜中、しかも天気の良くないこんな日に山中を飛ぶのはただの自殺行為だ。
ともあれ。
何とか世界が消える前に、目的地に辿り着けたらしい。
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