星が墜ちてくるような

 ニルは、眼の前に広がる橙の星屑の海へ、向かってゆく。

 少なくとも、陽が落ちるまで。そうすれば、同士討ちの危険が双方あるから、戦いは止む。

 海。それが、人の姿に変わってゆく。最前線を掠めるようにして駆けた。ストリェラも、後続の兵もニルに続き、駆けている。ストリェラは、ほとんど泣きながら、武器を振るっている。リュークを討たれた怒りと悲しみが、強い。ストリェラの叫び声が、敵の断末魔と、混じってゆく。

「ストリェラ」

 ニルは、ストリェラが、敵の隊列の中に入ってゆこうとする気配を感じる度に声をかけ、彼を引き戻した。そうしなければ、彼は、すぐに兄のところへ行ってしまうことが分かったからだ。

 通りすぎては反転し、前線を削るということを、三度続けた。瞬きひとつする間にも、橙が濃くなってゆく。それが、短い草を照らし、その上に鮮血が降りかかった。

 重装歩兵団の守りは、堅い。ニルやストリェラほどの使い手ともなれば別なのかもしれぬが、ウラガーンの多くは、容易に敵を倒せず、ただ馬で駆けているだけになっている。

 一度、その堅い守りに、僅かに隙間が出来た。ウラガーンの攻撃に、動揺したように見えた。

 そこへ、ストリェラが、突っ込んで行こうとする。

「よせ、ストリェラ!まだだ!」

 馬首を並べてきたストリェラが、声を張り上げる。

「なぜだ、ニル!アトマスに届くぞ!」

「いや、誘いだ。よく見ろ」

 ウラガーンが、乗って来ぬと見るや、重装歩兵団は、その僅かな間隙を閉じた。

「そら見ろ。あそこに入っていれば、今ごろ、どうなっていたか」

「済まん、ニル」

「もうすぐ、日暮れだ。暮れれば、朝まで戦いは出来ぬ。そうしたら、休もう」

 ニルは、攻撃を止め、敵の前線から馬を離した。離れた位置で止まると、そこに、ウラガーンが陣を組みながら並んでゆく。

 そのまま、睨み合う。地平に、一塊になった重装歩兵団の橙の輝きが紅になり、原野も染まり、それが青になり、黒になるのを、見ていた。


「よし、休め。馬に、草を食ませ、水と塩を与えろ。二隊に分かれ、休息」

 ニルは、馬から降り、指示を出した。

 兵が、手際よく火を起こす。腰の袋に入れた兵糧は、口にしない。二食分しかないのだ。明日も、丸一日、アトマスを引きずり回す。夜は食わず、朝だけ兵糧を摂ることにした。


 いささかの疲労感を感じながら、ニルは、ストリェラと火を囲んでいた。

「リュークが、死ぬとは」

 ストリェラは、答えない。ただ、火を見つめている。しばらくして、ぽつりと、口を開いた。

「まさか、アトマスがいるなんて、思わなかった。奴は、いきなり、現れた」

 その眼が、炎を吸い込み、揺らしている。

「ちょうど、俺と兄者が、すれ違う場所。つまり、ど真ん中さ。そこに、あいつは、堂々と、居やがった。馬にも跨がらず。俺が、先に、奴を見つけた。殺せる。そう思った。それほど奴の気は、しなびて見えた」

 ニルは、先の戦いで、アトマスと武器を交えたときのことを、思い出した。ダンタールと二人がかりでも、討てなかった。刃を交えると、いきなり、身体が大きくなるように見えた。ニルは肋をやられ、アトマスは、兜を落とした。

「ただの、じじいに見えたんだ。アトマスというのは、こんなものかと。俺は、一気に、るつもりだった」

 ひとつずつ、思い出すように、ストリェラは言った。

「つまらぬことをした。兄者は、分かっていたんだ。アトマスが、どれほど恐ろしいかを。兄者は、馬を曲げ、俺の前に出た。ちょうど、あの爺が、ヴァラシュカを振りかぶったときだ。俺は、兄者が何をしたのか、見えなかった。兄者が、俺の眼を見て、逃げろ、と言った気がする。いや、俺の記憶違いかもしれない。だけど、兄者は、俺を見たのだ」

 そして、死んだのだろう。ストリェラの言葉は、そこで、途切れた。双子の片割れを、亡くしたのだ。この世の中で、自分と血の繋がった、たった一人の人間を。ストリェラにとって、リュークとは、自分だった。恐らく、リュークにとっても、そうだったのだろう。だから、リュークは、身を呈してストリェラを庇ったのだろう。そうでなければ、二人とも、ここで死ぬような男ではない。彼らもまた、ニルやネーヴァほど目立たなくとも、数多くの敵を葬ってきた使い手である。

「ニル。これが、戦いか。兄者は、死んだんだな」

「ああ、悲しいが、これが、戦いだ。俺達は、ダンタールの死も、リュークの死も背負い、乗り越えて行かねばならない。いや、俺達が敵として、闇の中、雨の中葬ってきた者の死をも、越えてゆかねばならない」

「いつまで、この戦いは、続くんだろう。フィンなら、その終わりを、知っているのかな」

「ああ、多分」

 ふと、思いついたように、ストリェラの瞳が、ニルを見た。髪の長さが違わなければ、リュークと瓜二つで、眼だけで見れば、ほとんどリュークだった。

「ニル。お前は、いつまで、戦うのだ」

 その眼が、そう訊いた。ニルは、ちょっと驚いたような顔をした。

「俺は、死ぬまで、戦うさ」

「何故」

「さぁな。俺が戦う理由は、俺が、知っている。ストリェラ。お前が戦う理由も、きっと、お前が、知っているさ」

「そういうものか」

「多分、な」

 ニルは、昔のように、曖昧な笑顔を漏らした。

「お前のそんな顔、久々に見た」

「そうかな」

「馬鹿野郎。このところ、威張り散らしやがって」

「そうでもない」

 戦いのないとき、ニルは、やはりニルなのだ。ぼんやりとしていて、いつも無表情。それでいて冷たい印象はなく、どこか、優しい。笑うと、途端に、自信無さげに羞恥はにかむような顔をする。頼りないようでいて、武器を使えば、ニルより強い者はない。

「ニル。昔が、懐かしいか」

「いいや、全然」

「そうか。俺もだ」

 二人、喉を鳴らして、笑った。

「目的もなくただ人を殺すより、希望を抱き、生きる方がいいさ」

「そうだな、ストリェラ」

「お前、フィンのことが、好きか」

「なんだ、急に」

「あれほど焦がれているんだ。フィンとは、ほんとうに、何もないのか」

「馬鹿。あるわけないだろう」

 ニルの鼻腔に、サラマンダルの夜の、花のようなフィンの匂いと、柔らかな唇の感触、そして、背に当てた手に伝わる温もりが、蘇った。

 ニルの頭上にも、あの花のような星屑。手を伸ばせば、届きそうな。

 西の国では、あれに、名前を付けているらしい。というような話を、ニルとストリェラは、した。星の中に神がいて、それらの物語が、あるのだ。それと同じように、ニルの見上げる星にも、物語はある。


 あの九年半前の初夏の日、白の街路を心細げに駆けてくる、フィンの足音。その足が雨を踏む音を、ニルは記憶している。僅かな期間、共に過ごした日々。バシュトーにフィンが亡命するときの、国境での別れ。そのとき、ニルははじめて、フィンに星屑の花を重ねた。それを胸に抱いて、七年、待った。ニルはずっと、フィンを感じながら、過ごした。

 クディスに入り、サラマンダルで再会した夜。それ以来、行動を共にしたり、離れたりだった。しかし、フィンがどこに居ても、ニルは、フィンを感じることが出来た。フィンの瞳の中に、自分がいるのを知っていたから。自分が、そこに居ることを、知ることが出来たから。

 彼女の追う希望は、いつしか、人々の希望となった。フィンという強烈な光を放つ星は、いつしか、夜空を埋め尽くすほどの、大小の星を集めていたのだ。その様は、やはり、あの花が咲く姿に似ていた。

「ストリェラ。少し、休もう」

 ほんの僅かな休息を取り、夜を明かした。



 夜明け。空気が冷たい。ちょうど、星屑の花の咲く時期だ。グロードゥカの街路は、あの花の香りで満ちているのだろう。

 ニルは、そんなことを考えながら、馬に跨った。朝の空気の中、昨夜と変わらぬ位置で、重装歩兵団が、光を放っている。

「ウラガーン。出る」

 ニルが馬腹を蹴る。それに、ストリェラが続く。そして、千騎のウラガーン。あの花の香りを求めて、血の匂いを振りまく龍。今日もまた、重装歩兵団を削り取るようにして、突撃、反転を繰り返す。一回突撃をする度に、何人かが、ヴァラシュカにかかり死んだ。ニルは、死者の名を数えることは、しなかった。

 昼過ぎには、また睨み合いとなった。矢を射掛けては来ぬが、矢の届かぬ距離まで退き、また陣を組むのだ。

 アトマスは、何を狙っているのか。一気にウラガーンに襲い掛かり、その喉笛を食い破るつもりではないらしい。

 そもそも、何故、彼は、ここに出て来たのか。各方面へのバシュトー軍の配置を見れば、ウラガーンが、その性質上河を警戒し、グロードゥカの北西に展開することは、読めたかもしれぬ。しかし、ウラガーンを自ら潰しに来るとは、どういうことであろう。ニルは、昨日、本隊に援軍を要請した。それが到着すれば、重装歩兵団がいかに精強と言えども、それだけで支えられるわけがないのだ。

 それが何か分からぬ以上、ニルは、アトマスを誘い、引きずり回し、本隊の到着まで、時間を稼ぐしかない。

 結局、その日、十六度の突撃をかけた。ウラガーン側の死者は、およそ百。重装歩兵団は三千ほどであったが、恐らく八百ほどは削ったか。

 それでも、アトマスは、同じように、じっと夜を迎えた。まるで、何かを、待つように。ニルは、不気味な印象を覚えた。


 更に、夜が明けた。この日は、しばらく止んでいた雨が再び降り出し、この河沿いの原野を濡らした。早ければ、もうすぐ、本隊が到着する。遅くとも、昼には着くはずだ。

「今日、決める。皆、心してかかれ。シャムシールの本隊がやって来たら、一気に、突っ込むぞ」

 ウラガーンの兵は、腰につけた最後の兵糧を、口にした。その炊ぎの煙で、アトマスは、攻撃を知ることであろう。知られたところで、どうでもよい。今日、英雄と呼ばれた男は、死ぬのだ。

 本隊が到着するまでの間、昨日までと同じやり方で攻撃をした。一匹の龍が、巨大な獣の鱗を削っていくような。互いに、血をまき散らしながら。


 昼になっても、本隊は来なかった。ニルは、知らないのだ。今、グロードゥカが空になっていることを。それを守備していたはずの者は、本隊に直接、襲い掛かっていることを。他の部隊は、それぞれ別の要塞を攻めていて、引き返せぬ。背を向ければ、要塞を出た敵に背後を突かれ、大損害を被る。アトマスが、ウラガーンの前に出たのは、最も機動力、戦闘力の優れた彼らをここに引き留め、本隊の救援に向かわせぬためだったのだ。自らの首を、囮にして。

 そのことを知らぬまま、ニルはまた、夕暮れを迎えた。明日からの兵糧は、無い。

「ニル、どうするのだ。何故、シャムシールは来ぬ」

「足止めを、食らっているのか」

 それとも、既に潰されたか。

「どうする。本隊の位置まで、退くか」

「その前に、考えがある」

 ニルの策を聞いたストリェラが、声を上げた。

「馬鹿な。正気か。いくらなんでも、無茶だ」

「いや、出来る。それしかない。アトマスは、俺たちの作戦を逆手に取り、多方面を、同時に破るつもりだ」

「しかし」

「きっと、そうだ。向こうが、出来ぬはずの手を、打ってきたのだ。こちらも、それをするしかないだろう」

「出来ぬはずの、手?」

「きっと、今頃、グロードゥカは、空さ」

 ストリェラが、あっと声を上げた。言われてみれば、今、本隊が急襲を受け、足止めを食らっているとして、それが出来る部隊など、グロードゥカの守備軍しか無いのだ。アトマスは、あくまで別動隊ということになる。

「しかし、あまりに危険だ」

「なに、大丈夫さ。今まで、ずっとそうしてきたんだ」

「ほんとうに、やるのだな、ニル」

「やる」

「わかった」


 雨は、陽が落ちても、なお降り続けた。

 それを、ニルは浴びた。

 その歌うような音律を滴にして、外套から、口に巻いた布から、髪から、滴らせた。

 濡れぬよう、簡単に木を組んで作った屋根の下の火に照らされるその姿は、まるで血を流しているようで、ストリェラは、少しぞっとした。


 ニルの物語を紡ぐ星は、今は、頭上には見えぬ。

 雨が落ちてくるのは、ひょっとして、星が落ちて来ているのか。

 なんとなく、ニルは、そう考えた。

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