屍の道

 結局、それからすぐ、パトリアエは撤退した。前方の戦線は思いもよらぬ方に転び、背後のユランに対して送り込んだ五千の精鋭も跡形もなく壊滅させられたから、無理もない。このままでは、ユランに首都グロードゥカに攻め込まれてしまう。

 首都グロードゥカは広大で人口も多く、数百の手勢のユランでは陥落も保持も困難であるが、しかし、どうなるか分からない。なにしろ、負けることがあり得ない戦で負けたのだ。例えば、正面から押すのではなく、密かに、石垣の隙間を雨が伝うようにして侵入し、王宮を占拠するなどということは、十分に可能であろう。あるいは、バシュトーと呼応し、南北から挟み撃ちにすることも考えられる。ユランは、バシュトーとも敵対を宣言しているが、当座の敵であるパトリアエをまず潰してから、と考えたとき、一時的に手を組むということは十分にあり得るのだ。

 だからこそ、アトマスは、一度でバシュトーとユランを潰すことを考えた。それは、この局面を打破することのできる、唯一の方法だったからだ。

 しかし、背後では破れ、正面では決着がつかない。圧倒的な勢いでもって、全ての敵を打ち破る他に、術はないはずだった。外交をしようにも、バシュトーには政府がない。ただの、人の集まりだ。そして、彼らには、国すらもない。

 この頃、アトマスは、バシュトーの手を引いていたのが実の娘フィンでことを、知っている。おそらく、プラーミャあたりから、もたらされたのであろう。

 舌を巻く思いであった。フィンは、リョートの送り込んだ刺客により死んだというが、彼女の遺したものは、戦い以外に、成す術のないものだった。

 ユランにしろ、バシュトーにしろ、ただの人の集まりである。しかし、歴史的に見て、そういった原始的な体系の集団こそが、国家を求め、我々は始まったのである。

 国家の中にいる者と、国家の外にいる者とで、国家に対して求めるものが、微妙に違う。フィンは、そこまで考えていたというのか。

 実の娘ながら、その声も思い出せない。幼い頃の姿なら、微妙に思い出せる。しかし、この数年の間、急速に乱れたパトリアエやバシュトーの中、一人、その渦を作り出し、国家を、歴史を巻き込んでいたのが、フィンだったとは思いつくはずもない。

 そう思うと、意外と近くにいたのだ、とも思える。

 しかし、今は、フィンも、リョートも居ない。この地には、ただ戦いだけがある。

 それを、どう捌くか。次の局面。それが幾つか続き、戦いの終わりへ。そこから逆算して打つ手を、アトマスは考える。

 グロードゥカへの撤退。それは、国内へ大きな衝撃となり、伝わることであろう。しかし、アトマスは、気にしない。

 深い海を泳ぐ魚のことは、表面で遊ぶ小魚は、知らぬのだ。



 当然、バシュトーは、パトリアエ軍への追撃を決行した。しかし、アトマスはそれを予期していたらしく、パトリアエ軍の尻に食らいついたバシュトーを、散々に叩いた。

「ウラガーン、出る」

 バシュトー軍が押されている。城を背後にした戦いではなく、野戦である。戦場になったハルバシュカから、グロードゥカへ撤退する道中の、リャーニンという城塞近く。そこで、バシュトー人とパトリアエ人は、互いの屍を重ねた。

 ニル。まっしぐらに、味方を押す敵の後列を、崩しにかかる。

 ダンタール、リューク、ストリェラも、小さな蛇のようになり、あちこちに食らい付いている。突き入り、飛び出し、反転し、また突き入る。さすがに、パトリアエの守りは堅い。しかし、馬を駆りながら、次々と敵を倒すウラガーンの前に、混乱をきたし始めている。



 アトマスには、策がある。彼の策は、孫子の言う通り、滔々と流れる河のように、尽きるところを知らない。彼は、兵同士のぶつかり合いにおいては支援、撹乱の意味合いが強い雨の軍のみを切り離し、密かに放った。それを、標的に探知されぬよう、混乱を産み出すため、あえてバシュトーを自らの尻に食い付かせたとも言える。

 雨の軍が、地に溶け込むようにして、丸二日駆け通したその先には、ノゴーリャ。ユランの本拠である。バシュトーとは、もはや、国土を焼きながら腰を据えて戦うほかにない。そのための算段も、頭の中で立てた。しかし、あの蝿だと思っていたユランが蜂であった以上、捨て置いてはどのような災禍をもたらすか分からぬ。

 アトマスが最も恐れるのは、不測の事態である。あり得ぬことが起きるのが、最も危険なことであると彼は考えた。その意味で、集団の力で目的を持って押してくるバシュトーより、陰に日向に、何をしでかすか分からぬユランを、危険視した。



 ひとまず、そちらの方に、目を向けることとする。ネーヴァが、まだ雨の軍がノゴーリャに向かっている段階でそれを察知したのは、流石と言っていいし、逆に、武装蜂起したノゴーリャを避けるように道を変える異国の商隊に偽装し、突然道を曲げ、ノゴーリャに迫るまでネーヴァに接近を悟られなかった雨の軍も、流石と言える。

「アイラト。マオ。行くぞ」

 ネーヴァは、街の外での迎撃を選んだ。至極妥当な選択である。ユランには騎馬隊の機動力があるから、ぶつかり合うような戦いが不得手な雨の軍に対するのに、野戦は効果的である。

 原野に、ユランの馬が出た。一度、ノゴーリャを避けるように運動した雨の軍は、南の河沿いから進んでくる。まだ、ユランの出撃を知らぬらしい。

 このまま、一気に打ち砕く。そう思い、南の河を目指した。

 果たして、すぐに、雨の軍と思える隊を捕捉した。ユランが、馬上で一斉に武器を執る。ネーヴァのジャマダハルは馬上からの攻撃には不向きだから、剣を用いている。

 先頭の男。ネーヴァは、眼を見張った。

 プラーミャだ。

 剣の柄に、手をかけている。

「回避」

 ネーヴァは、ユランに、回避を命じた。

 それに遅れた者が、竜巻タルナーダに巻き込まれる。

 勢いが、崩れた。

 馬のいななき。

 戦場に、雷が落ちたかのような衝撃。

「プラーミャだ。プラーミャを、討て、いや、無理はするな。止めるだけでいい」

 ユランの騎馬隊に、再び勢いがつき、弧を描く。

 両脇から、プラーミャへ。

 また、プラーミャの大剣が、振られた。

 ユランの前身は、リベリオンであり、ウラガーンである。

 潜在的に、プラーミャへの恐怖がある。

 それを、間近に見せつけられた。

 馬などで勝てる相手ではないことを、ネーヴァは悟った。数百の騎馬が、プラーミャ一人に、止められ、次々と屠られているのだ。

「離脱」

 ネーヴァがそう命じ、ユランの騎馬隊が固まるのを知っていたかのように、雨の軍が、包囲してきている。

 一人、また一人と、刃物にかかり、馬を倒され、止めを刺されてゆく。

 マオも、馬を倒された。

「マオ!」

 アイラトが助けに行こうとするのを、ネーヴァは制止した。

「アイラト。聞こえなかったか。離脱だ」

「でも、マオが」

「全滅する。離脱だ」

 残ったユランは、死力を尽くして、活路を開く。

「押し切れ。道を、切り開け」

 切り開いた道が、どこに通じるのか、ネーヴァには分からない。ただ、仲間の屍を踏み越えてゆくのだ。自らの血と敵の血を混ぜ合わせ、誰のものともつかぬ屍の道を。

 その先に、求めるものがあると、信じることしか出来ない。その不確かで、あやふやなもののために、ネーヴァは、アイラトは、生きて馬に乗っているユランの者は、懸命に武器を振るった。

 アイラトの背中に、マオや、地上で立って戦う仲間の気配が伝わって、遠ざかっていく。



 ユランの騎馬で無事な者は、離脱をした。マオは、馬を失ったが無傷、あるいは傷は負っても軽傷である者と固まっている。

 眼前には、プラーミャ。圧し潰されそうな気を放っている。それを振り払うように、鉄球の付いた棍を構えた。

 プラーミャは、剣を両手でだらりと構えている。

「ここから先には、行かせない」

 意味のないことを、口にした。そうしなければ、息が詰まって、死んでしまいそうな気がする。

「何故、逃げぬ」

「お前を、殺すためさ」

「何のために」

「お前は、ユランの敵だ」

「敵ならば、戦い、殺すか」

「他に、何がある」

 マオの額に、玉のような汗が浮かんでいる。

 それが、飛んだ。

 マオの打ち込みを、プラーミャは弾き返した。

 棍が斬れ、鉄球のついた先だけが、飛んでいく。

 マオは舌打ちをし、腰から二本のとうを抜いた。

「まだ、抗うか」

「やめられない。絶対に」

 マオ以下、二十人ほどが、プラーミャの前に立った。

「獣は、獣、か」

 彼らに飛びかかろうとする雨の軍を制し、プラーミャは、大剣をゆっくりと上げた。


 マオの、咆哮。

 様々なものが、その一瞬の中に、爆ぜた。

 共に戦う、仲間。

 追い求める、志。

 自らの生が許される、国。

 アイラトの、笑顔。

 それが、眼の前の、敵へ。

 向かう。

 二本の刀。

 吸い込まれるような気分。

 プラーミャの足が、踏み込みが、来る。

 そして、巨大な、渦。

 混沌の中へ。

 その一部になる。

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