点を、線に

 王国歴三百二十二年、四月。パトリアエの暦で四月といえば、緑が深くなる頃である。相変わらず、雨は多い。パトリアエの東の山脈にき止められた雲が、雨を降らせるのだ。それが、緑を濡らし、濁った輝きを放つ季節である。暦は、建国の際、英雄王とそれを支えた十聖将という者を中心に始まった王家によって定められた。この時点では、政府の統治機構の中に学問所というものがあり、そこにおいて、管理運営されている。この時代のパトリアエにおいて、学問と言えば、こんにちの我々のような学校で行う勉強などのようなニュアンスはなく、暦のことが主であった。晴れた夜には天体の観測や運動などを行うものだが、いかんせん晴れた夜というものが他地域に比べ格段に少ない。しかし、パトリアエははるか東と西の国を繋ぐ道の上にある東の国の暦の作り方と、西の国の暦の作り方を、混ぜ合わせたような暦を持っている。

 まず、一ヶ月は二十八日。東の国同様、閏月はあるが、曜日はない。東の国において重視されている五行説なるものも、勿論パトリアエにもたらされはしたが、あの複雑怪奇な理論と立証に基づきにくい感覚が、雨ばかり眺めて暮らしているために実証的で、かつ深度の深い思考を持つパトリアエ人の気質には合わなかったらしく、すぐに忘れ去られた。

 暦とは、国家にとって重要なものである。暦とは、本質的には、全生命の共有物であったはずのときというものを、国家が管理する、ということである。それにより、この世には、というものが生まれた。時、は、宇宙のはじまり以来、ずっと存在する。しかし、時とは連続し、ある地点から後方へ過ぎ去っていく、あるいは、瞬間という点が無限に連続するものであり、その一瞬の点は、別の点とは決して結び付かぬ。また、この先には、まだその点は存在しないため、同様である。

 しかし、暦を人が用い出したことにより、その点は、独立性を失い、線となった。いや、実際には点は点のままであるが、人はそれを線と認識することが出来るようになった。だから、時と時の間を、繋いで考えられるようになった。

 そうして、過去、現在、未来という、時間が生まれた。時間は、宇宙の産物ではない。人が作り出したものである。生き物が、太陽の傾きやそれに伴う光量の変化、それに伴う温度の変化などから、現時点での状態、そして経験に基づきこの後の変化を予測するのとは異なる方法を、人は暦によって手に入れた。生きるのに必要な耕作などにも、直接的に関わる時というもの。それを司る王家は、宇宙の支配を匂わせる。パトリアエにとっての宇宙とは、大精霊アーニマ。

 このようにして、世界中の民は、大いなるものを畏れ、崇める気持ちを、国家に対するそれと巧みに対位交換、あるいは同一視させられ、文明が、そしてそれが求める、より統治力の強い国家が生まれた。これは、パトリアエ以外の全ての国においても、そうであろう。

 

 余談が長くなった。パトリアエの暦で、四月。英雄アトマスの説く強兵策が実行に移された。まず、徴兵の強化。これまで、農耕をする民については、幾分かの配慮をしていたのだが、人口の最も多い地域は雨ばかりのため、育てられる穀物、作物が限られる。そこで、比較的広い種類の耕作に適した北部や西部の地域に、大穀倉地帯を作り、そこで国内の需要を満たすことにしていた。だから、それに携わる者は、兵に取られることはなかったのだ。しかし、失った兵を補い、さらに強化するために、そこにも手をつけた。

 さらに、地方軍。二十人もの将軍の首を跳ね、それぞれの管区に晒した。いずれも、不正を働き、欲にまみれ、パトリアエを守護する盾として、外敵を打ち払う斧としての心を持たぬ者であった。そこに、中央正規軍から、見込みのある者を指名し、将軍に格上げをし、送り込んだ。更に、地方軍の中でも不正に染まらず、先の戦いで勇敢であった軍には、褒美を与え、将が誅され空になった領地を分け与えるなどして、拡大してやった。これで、軍は甦るし、数も増える。

 そして、税である。新たな軍の運営のため、税を上げた。ある程度の反発は、覚悟の上である。それで、王家や政府に反抗的な者どもが騒ぎ出しても、軍が強ければ、抑え込めるのだ。

 少しの間、民には苦痛を強いることになる。しかし、ほんとうに意味のある変化とは、必ず痛みを伴うものだ。それで、国家に安寧がもたらされば、民はやがて感謝するようになる。

 それらにおける実務的な全てのことを、アトマスの意思のもと、リョートは、現実にした。そのために、誰に指揮をさせるのがよいか。人をよく見、人に慕われているからこそ、人を上手く使える。中には、意外と思える人選もあった。たとえば、国外からもたらされるものを書き記した書類の管理を細々としていたある文官に、ソーリ海沿岸の、重要な港を抱える地域の軍を任せた。すると、物資の運搬などに深い素養を持つその者は、ソーリ海の上に船を大量に浮かべ、ソーリ海や河などを使い、今までよりも簡単に、国内外での物資のやり取りが行えるようにした。今、その将は、その船が有事の際、強力な水軍にもなるよう、調練を始めたところだという。その下で、兵は新たな目的のために、生き生きと働き、不正を働いたり、民に悪さをすることも無くなったという。

 また、軍の働きの良し悪しを監査する機関を新たに設立し、ある将に、そこの監督を任せた。その者は、もともと、北部の地方軍の将であった。そこでは、西からもたらされた、丸い小さな実の果実をもとに、酒を作る産業が盛んで、その将は、効率的に酒が作れる果実の掛け合わせや、醸造の方法などを開発することに苦心していた。新たな監査機関で、各軍の規模や地理的特性と、そこで働く者との適性を計ることに、その才は活かされることであろう。

 アトマスは、満足そうにリョートの働きを見ている。リョートから計画の提出を受けたら、まず承認した。そのあと、細かな段取りを、ただ聴く。それでリョートが失策をすれば、自分が責任を取ってやればよい。そう思っていた。今のところ、その心配は、全くない。リョートは、アトマスの思い描く、理想の柱になっていた。自らを越える、柱。リョートはまだ三十を越えたかどうかというくらいの歳で、若く、やや勢いに任せてしまうところもある。今は成功続きであるが、この先、つまづくことがないか、心配でもあった。しかし、つまづくような事柄すらも、リョートを前に進めるのだ。


 対して、バシュトーの国内は、乱れている。やはり、先の戦いでの傷が深すぎた。あらゆる部族が、持てる力の全てを出し切り、戦って、生きた者にも、死んだ者にも、王から何の労いもない。労いとは、言葉ではない。戦った意味があったと、彼らに感じさせることだ。死んだ者の死を、生き残った者が、受け入れられるようにすることだ。

 今、バシュトーの国内は、悲しみに満ちている。どういうわけか、騎馬民族というのは、感情の量が多い。彼らは、同族のうちで多くの死者を出したことを、多いに悲しんだ。悲しみとは、怖い。簡単に、怒りに変わる。この乾いた空気の国に、今、悲しみの露が、じっとりと降りている。その一粒一粒の重みが、表面張力を破ったとき、恐らく、粒同士は形を留めることが出来ず、他の粒と結合を始め、見る間に、滴へ、そして水となることであろう。水が集まれば、流れとなる。国家がどう、ということを余談の中で述べたが、これは国家うんぬんの理屈以前の、人の集合体の持つ当然の作用と言える。

 考えてみれば、フィンがバシュトーに来てから、国内はずっと乱れている。この時点で、どうやらフィンはバシュトーに安寧をもたらしにやって来たわけではなさそうであるということが分かる。彼女がもたらすのは、いつも、混沌。

 そうなると、フィンが、本当にパトリアエを滅ぼすことを悲願としているのかどうか、疑わしくなってくる。それが本当のことならば、以前、前の王が殺されたときに、ネーヴァがニルとの話題の中で疑い、激昂した通り、フィンのしていることは矛盾でしかなくなる。

 あるいは、別の可能性。フィンは、確かにパトリアエを倒すつもりであるが、それは、フィンの描く何かの通過点であり、バシュトーの乱れと、矛盾はしないことであるという可能性。あるいは、フィンの描く何かのための、手段の一つであるという可能性。

 この時点で、確かなことを言うのは、軽率というものであろう。並のことでは、彼女の見ている世界は分からぬ。

 もしかすると、このウラガーン史記という長大極まりない記録が残されたのは、彼女の見ていた世界についてこそを、後の世に伝えるためではないか。そう思えてくるほどである。

 このところめっきり出番の少ないニルを、主人公のようにして描き始めたのは、彼が、フィンの世界の、最初の住人であるからである。そして、時が進むにつれ、彼の持つ竜の爪は、フィンの世界に不要なものを砕き、切り裂き、地平を平らにする役割を担うに違いないと、筆者もまた期待するからである。

 時とは、やはり、連続する点である。その点を、線のようにして見ること。その当然の本質こそが、この史記なのかもしれぬ。

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