第三部
第1話・あの夜
時は遡る。
アルト=クロードは踊り娘一座の座長からセレスティーナからのメッセージを受け取り、指定された時刻に裏門に赴いた。
『託したいひとがいる』
それだけで、かれは殆どの事情を察した。セレスティーナは、己の為にアルトに何かを頼んでくるような女ではない。つまり、『託したいひと』とは、ふたりの共通の探し人……セティウス・フィエラに相違ない、と。
髙い草むらの月影に身を隠しながら、かれは久々に仮面を外して屋外を歩いた。セティウスが自力で逃げられる状態ならば、セレスティーナが助力を頼んでくる筈はない。あのサジウスの事だ、恐らく拷問で彼を痛めつけているのだろう。捕えたのにさっさと表に出して処刑してしまわないのは、そうした理由だろうと、サジウスの性格をよく知るアルトには易々と想像がついた。
アシルの道化師となって三年。道化は普通の人間ではない故に、余程の禁所でない限り、好きなところへ出入り出来る。だからアシルとサジウスの会談にもしばしば部屋の隅にひっそりと立ってそこに居る事を許された。何か政治上の秘密を知ったとて、道化の言葉はつくりごと、誰も本気にはしないから……差別の生み出した不可思議な伝統だ。『皇族付きの道化師』は貴族でも平民でもなく、『皇族の気に入りの玩具』なのだ。勿論、不興をかえば命は皇族の気の向くまま。飽きた玩具を壊して捨てても誰も文句など言う筈もない。その代わり、寵愛が続けば、皇族と同じものを食べ、同じ部屋の片隅で眠ることも出来る。
いつか兄弟の和解をと夢見ていた亡き宰相の願いとは裏腹に、『家族の傍にいたいから』というでっちあげの理由でアシルの道化となったのは、本当はアシルを観察するためだった。いつかアシルを殺して自分が成り換わる為に、彼の全てを知っておかねばと思ったからだ。勿論宰相は、万が一かれがアシルの不興を買えば、全て推薦した自分の責任として無事に引き取る、と約していたが、そんなへまをする気はなかった。初めて会った瞬間に、その思いは確信に変わった。
自分とアシルは運命を共にすべく生まれた双子……その運命をしきたりによって引き裂かれたとはいえ、自分はアシルの考えなど全て読み、その望むとおりに行動できる、と。
そうして実際、今に至るまで三年間、一度もアシルの機嫌を損じたことはなく、アシルは実の兄弟とも知らずにアルトを気に入り、どこに行くにも伴った。
今日、仮面を外して来たのは、万が一将軍の館の者に見つかれば、アシルとして姿を現す覚悟を持って来たからだ。いつかは試そうと思っていた事でもあった。館の者は皆、アシルの姿や振る舞いを知っている。もしセレスティーナの計画通りに行かずに門を通れなかったら、将軍から密かにこの男を受け取る為に皇子が忍んで来たのだ、この者は自分の手の者だ、と言い張って押し通そうと考えていた。何しろ皇族の権威は絶大だ。いかにこの館のあるじが手ごわくとも、門番が皇子と認めれば、あるじに確認しにいく暇を与えず、セティウスを引き取る事が可能だろう。そうしてあとになって、アシルは宮殿にいたしそんな場所に行く筈もないと言われても、居眠りして夢でも見ていたに違いないとされて罰されるのは門番だけであり、そんな事は知ったことではないとアルトは思っていた。
とにかく、自分とセティウスをセレスティーナが無事にやり過ごせれば……!
セレスティーナ。ほんの少しでも姿を、無事を確認出来るだろうか? 最後に会ってから二週間近くになる。たったそれだけの間なのに、アルトは寂しく不安である自分を否定出来なかった。帝国を相手に皇位を奪い取ろうという男が、たったひとりの女に心を揺さぶられてどうするのだ、と己を叱咤しても変わらない。とにかく無事な姿が見たい。兄を救うために無理をして、窮地に立たされないだろうか?
そんな事を心に浮かべながら裏門に近づくと、なんと門番は眠っている。セレスティーナの仕込みだろう。貴重なあの薬を兄の為に使ったに違いない……。
門番の目がなければ、直接セレスティーナからセティウスを引き取れるかも知れない。
いや、そんなつまらない事を考えて油断してはいけない。どこに伏兵がいるかも知れない……尤も、道化の役目から放たれた時間は常に己を鍛えて来たので、大抵の気配は感じ取れる筈だが……。
しかし、期待も不安も、やがて崩れ去った。想定していたものが去ったのちに、あらたな不安ばかりがいや増した。
邸内から微かに騒ぎの声が聞こえ……そして、夜明けまで待っても、約束の場所に兄妹は現れなかったのだ。
捕まってしまったのか。セレスティーナの正体が露見してしまったのか? 何一つ判らない。判らない以上、手の出しようもない。
アルトは青ざめたまま来た道を戻るしかなかった。
夜が明けて日中に将軍の姿を見たが、知りたい事がアシルとの会話で話題に上る事はない。それはそうだろう、自分の囲っている踊り娘や、密かに捕えている者の事など言い出す筈もない。そして、アルトから将軍に話しかける事など出来ない。
フィエラ公という後ろ盾を失ったいま、決してアシルの……サジウスの疑いを招くような言動をとってはならない、という事に今更にして気づいた。いつの間にか、アシルを見くびり、危険を忘れていたが、ここは赤子だった自分を殺した者の巣窟であり、安全の保障など何もないのだ、と……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます