第二部

第1話・将軍の館

「見事な踊りであった! こっちへ来い」



 酔ってだみ声をあげたのはサジウス将軍だった。場所は彼の居館。現在帝国で皇族に次ぐ権力を持つ者に相応しいよう、半年で新たに建てさせた豪奢な館は、皇太子宮に劣らない程その規模、建築、調度品に使用人、全てを完璧に近く揃えていた。

 だが……帝国最高の建築士や密かに皇家から引き抜いた執事にもどうにも出来ない事はある。そのあるじの持つ品性である。元々サジウスは下級貴族の五男であり、宮廷に出るに最低限の作法以外、ろくな教育を受けていない。受けようという気もない。これで充分、己は国一番の男、という自負を持っているからだ。

 いまの地位に上り詰めたのは、ただただ巨躯に任せた武勇と、野獣の勘に似た戦法、そして何よりも権力への執着が成したことである。皇族のいない場所では好き放題、お上品な貴族は表立ってしない遊興にも好んで手を出した。流れの踊り娘を呼び寄せてしばしば宴会を催すのもそのひとつである。気が向けば当たり前のように踊り娘を呼び寄せて、気に入った娘がいれば伽をさせ、飽きれば金をやって放り出した。踊り娘は踊りを生業とする者、夜伽は契約に入らないと拒否する権利はあるのだが、国の権力者に逆らっては生きて館を出る事も出来まい、と誰もが覚悟をする他なかった。サジウスの娘は妾腹合わせて五人という事になっているが、この妾腹の娘たちの母親、つまり側室として認められている者は、いずれも下級貴族や富商の家の出であり、このようにして踊り娘や娼婦を孕ませたものまで含めれば、彼の子はいったい幾人であったことか。だが、彼の子を産んだからと庇護を求めてきた下層の女は、いくばくかの金をやってそれで引き下がればよし、子を認めてやって欲しいと言い張った女は、子どももろとも闇に葬られた。

 母親に身分のない子どもなど、何の役にも立たない。だから己の子とは認めない。それがサジウスの考え方である。


 そのような男に、今宵の踊りの中心であった若く美しい踊り娘はゆっくりと近づいた。褐色の肌と結い上げた豊かな黒髪、豊かな胸と腰回り以外は露出した挑発的な衣装、そしてどこかで見覚えのある美貌を持っている。

 サジウスは齢50、戦場で負った傷の為、片目は潰れ、元々整っているとはいえない風貌に、数々の修羅場をくぐった男のどす黒さを感じさせるものを醸し出していた。

 だが男は、冷徹で強かであるが好色。上の娘よりも年若げな踊り娘を、頭の先から爪先まで嘗め回すように不躾に眺め、非の打ち所のない女に対してにたりと笑った。


「名はなんと申す。いくつになる」

「アリアと申します。18でございます」


 長い睫毛を伏せて娘は答えた。その声は甘ったるく甲高く、サジウスが思い浮かべたものとは違った。時の権力者の前でも娘に物怖じする様子はない。かといって、恥じらったり嫌悪を感じている様子も見られない。己の容姿と技量を見出された、世慣れた踊り娘によくある態度……身の程を顧みず、あわよくば寵を得ようとする女……安い紅をひいた艶やかな唇には、媚びめいた笑みが浮かんでいた。


「おれは、そなたのような卑しい者ではないが、そなたに似た女性を覚えている。ふっ、あの娘は死んだのだから、まさかそなたは亡霊でもあるまいが」


 この言葉に、娘は微かに笑い声をこぼし、


「『売女セレスティーナ』さまでございましょう? わたくし、生まれは南国の貧民窟、育ちも人種も違いますけれど、顔立ちが似ているとよく言われますの」


 と言い放ち、更には、


「わたくしはかのお方と違って、これでも身持ちの固い女ですのよ……尤も、本当に魅力的な殿方の前ではどうだか」


 とさえ言って、サジウスを誘う素振りを見せながら死者を侮辱した。


 皇家が、アシル=クロード皇太子の元婚約者セレスティーナが、処女検査ののちに婚約破棄、そして一週間で病死……という発表をしてから約半年。高貴なひとの無責任で面白おかしい噂は、日々の生活に精一杯の国民の娯楽の種として続いていた。

 真実を知る人々は眉を顰め、或いは誇り髙くも心優しかった死者の無念を思い涙したが、あの日あの場所に居合わせた者は全員が名簿に載せられ、秘密を漏らす事は固く禁じられている。全ては皇家の威厳を保つため……それは、皇家の一員となる筈であった死者の魂に報いる事にもなる、と言い渡され、誰も行動出来なかった。同情はいくらでも出来るが、ひとりの死した女性の名誉の為だけに自らの身を危うくは出来ない。フィエラ家は既に取り潰され、誰にも何の益ももたらさない。あるのは過去に受けた恩ばかりで、生きている人々は心苦しさに耐え、亡き宰相とその娘の冥福を祈る事しか出来ないと思っていた。

 宰相の嫡男セティウスが父親を殺したという容疑も、セレスティーナの死の真相を知る者は特に、まったく信じてはいない。悲劇が娘の父を死に追いやったのは想像に難くないし、息子は大変な親思いで知られ、悲嘆に暮れる父親を殺す動機などどこにもない。

 だが、セレスティーナ・フィエラは他国人の従者と密通して孕み処刑されたあばずれと、国中で、或いは他国でまでも面白おかしく語られる。おとなしくしていれば皇妃になれたのに、夜な夜な男漁りに出かけて孕んだ馬鹿な娘! よっぽど淫乱だったんだろう……本当は実の兄とも通じていたらしいよ……それで兄貴は、父親にばれると慌ててさ……おかげでお家は取り潰し。噂はどんどん一人歩きし、セレスティーナの尊厳は粉々に踏み躙られた。

 彼女の父宰相が、葬儀の晩に嫡男に殺害されフィエラ家は取り潰された、ということもまた、人々の好奇心に華を添えた。呪われた一家! 文官の頂点にいた宰相の一家の転落ぶりは、市井のひとにとっては悲劇でもなんでもない。亡き宰相が民の為にと尽くしたことなど、宰相がすげ代わってしまえばそれまでだ。宰相の慈善事業に感謝していた人々でさえ、これまでの事よりも、宰相が代わってもそれが続けられるのかという事ばかりを気にしていた。そして従来通りと知れば、それが誰のおかげで始まったのかは大抵忘れ去り、ただ皇家の裁量を讃えるばかりになっていったのだった。


 長年にわたって皇家を、皇国を支えた宰相とその子どもたちに皇家が与えた報いがこれだった。アリアと名乗った娘は、市井で生活し、流れの踊り娘の一団員となって――勿論周囲と馴染むのは大きな苦労ではあったが、元々彼女には気さくな一面もあったので、『ちょっと変わった娘』と言われつつも、異国育ちという名目もあったのでやがて受け入れられた――こうした『売女セレスティーナとその一家』の聞くに堪えない噂話を何度も何度も耳にした。初めは、こんな恥辱にはとても耐えられない、何もかもを訴え出て自ら死のう、と思った。だが、アルト皇子のくれた『復讐』という言葉が彼女の心を支えた。


(そうだわ、耐えるのよ。私が死を覚悟して訴えたところで、サジウスに握り潰されるだけ……そうして奴もアシルも何食わぬ顔で権力者として好き勝手に生きてゆく……。そんな事は赦せない。あの異国の男女と修道院長を脅迫した将軍にはきっと繋がりがある。アルトさまの話では、アシルはあの女は単に見間違いをしただけだと……セレスティーナに身分違いの懸想をした従者の妄想話を聞いているうちにすっかり騙され、心からアシルの為を思ってしたことと言われ、あの女の色香に惑わされてそれを信じ切っているというけれど……そんな馬鹿なことがある筈がない。これは皆、私を、お父さまを陥れる為に仕組まれた罠なのだ、それを実行に移して利があるのはサジウスしかいない、とアルトさまは仰ったわ。ならばその罠を張った罪びとを放置したままお父さまやお母さまのもとへ行ける訳もない。私の手で、罪の報いを与えてやる……それには、どんな屈辱に耐えても、好色なサジウスに取り入り、奴が私たち一家にした事を後悔させながら、その命で償わせてやるのよ……)


 いまはアリアと名を変えたセレスティーナは、蠱惑的な笑みの裏側でそんな昏い炎を胸に燃やしていた。

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