異世界の果て 09

 嫌がる彼女を車内で殴りつけて気絶させたタジは、お姫様だっこをしながら、開け放った玄関を通ってアパートの一室へと入った。

 タジがかつて住んでいた部屋。

 彼女の重たさを十分感じながら、タジは妙な誇らしさを感じていた。

「俺はやったんだ……やってやったんだ……」

 人間の悪意が、欲望の発露という名目で滾々と心の奥底から湧いてくるのが分かる。

 知っている。思い出している。

「後は、彼女を殺して……そうして俺も死ぬだけだ……」

 タジは、やり直そうなどとは考えなかった。もはや後の祭りだった。彼女をさらう前であればまだしも思い留まることもできたろう。しかし、あの唯一神はそれを許さなかった。

 自動車の後部座席に彼女を乗せたときに俺の運命は決まったのだ、とタジは思った。第一、ここで死ななければ、タジは異世界へと転生することもない。

 そうすれば、ディダバオーハなどという荒唐無稽の野郎と出会うこともなく、全ては元の世界で罪を償うことになるのではないか……。

「いや、そういうのはもう全部たらればの話なんだ」

 積荷は既に部屋の中。罪を償うなど、ただの戯言。ここで死ななければ、それこそタジの人生は詰み、だ。

「ツミばかり……だな」

 自身の人生を清算するために彼女の人生を上乗せし、しかもその上乗せした彼女の人生を今再び蹂躙しようとするタジが、悪以外の何者であるだろうか。

「だから俺は……異世界へ転生させられたのかもな」

「なるほどねえ、ここでループしていたのか」

 脳内に直接響く声。

 ディダバオーハのものだ。

 タジが周囲を見回すと、不意に液晶テレビの電源が入った。そこには太陽のように真っ白な球体の、しかしその表面に電気の走査線が走っているような模様の何かが現れた。

 液晶テレビは脳内に響いた声と同じトーンで、タジに話しかける。

「実際に走らせてみないと分からないものだね。まさか自分でバグを作ってしまっていたとは。いや、バグっていうのは得てしてそういうものなのかも知れないね。僕はできるだけバグを作らないように作られているけれど、やっぱりそれでも長い年月を同じ仕事に携われば、バグも作ってしまうってもんだ」

「さあ、彼女を殺さなければ……」

「無視しないで欲しいなあ。君が彼女に会いたいって言うから会わせてやったんだ。最後の君の願いだよ。君はもう彼女を殺す必要は、無い。僕が君というバグを取って、全ておしまいさ」

「殺さなければ、俺は異世界に転生できなくなるんだろう?」

「しなくてもいいじゃないか。君は世界も救わず、自由気ままに異世界を生きた。この世界の記憶を持って、ね。それは意図しない挙動だったんだ。だから、君はもう、僕の作る世界で、何もしなくていい」

 液晶テレビから強い引力が働いた。

 白とも黒とも言えない視界、静寂とも喧騒とも言えない聴覚、あらゆる五感が相反する二つの属性にもみくちゃにされながら、タジは再び異世界の果てへと絞り送られていく。

「……」

 すっかり気力を失っていたタジの腕に、何かが当たった。

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