盗人の城 19

 異世界からやってきたという自覚がタジには、ある。

 しかしそれでも人間として自分は生きてきたという自負もあった。

 それが今、自身の容姿がわずかに人間と異なっているために、自身を人間として扱わなくなってしまっていることに気づいたのだ。人体を構成する要素としてはそれほど大きくはないが、人間が社会の中で生きていくためには大きな要素。

 頭部。

 顔の一部が焼け爛れているだとか、額から顎にかけて大きな傷跡があるだとか、そういう段階の話ではない。規則的に配置された三つの点が目と鼻を思わせる現象のことをタジは知っているが、自身の頭には、見た目その三点すらないのだ。

 水面に映った発光する球体を見て、我が身を疑った。触れるとそれが自分の顔だということが分かる。頬も、口も、鼻も、目も、感触としてはあるのだ。

 しかし、その感触が姿に反映されていない。

 見た目に反映されていないだけで、その頭部自体は人間の顔そのものだと誰もが認識してしまうのだから驚きだ。タジさえも、気を抜けばその光球頭こそが自身の頭部そのものなのではないかと思ってしまうほどに。

 だからこそ、鏡や水面など、自分の顔を確認できるものをタジは見ないようにした。でないと、そのほとんど呪いとでも言うべき誤認識はタジの頭部にへばりついてしまうように感じたからだ。

 自分の顔が、元々の自分の顔であると意識しておかなければ、いずれ光球頭に姿を乗っ取られる。しかし、自分の顔が呪われていることは忘れてはならない。そういう微妙な平衡感覚の中で、タジは生きていくしかなかった。

「そもそも異世界からやってきた、って意識しているだけでも相当におかしいんだからさ、これ以上思考に余計な負担をかけさせるんじゃあないよ」

 悪態の一つもつきたくなる。

 眠りの国で情報収集が難しいのであれば、対立国である紙縒の国はどうだろうか。

 教会から破門を言い渡された眠りの国とは違い、紙縒の国は教会と繋がりがある。タジが太陽の御使いであるという転向と、それを受け入れた国であれば、少なくともタジという言葉自体に忌避感はないはずだ。

「あるとしても、眠りの国ほどではないはず……」

 あるいはこの光球頭さえも、太陽の御使い“らしい”姿と肯定的に捉えるかもしれない。楽観的な考えではあるものの、今はその楽観的な考えを綱渡りしなければ、それこそ取りつく島もないのだ。

「分の悪い賭けではあるが、いつまでも留まっている訳にもいかないしな」

 入口には、もしかしたら騎士が見張りに立っているかもしれない。ぽっかり空いた天井の穴から魔獣が出るのを監視する者がいるかもしれない。

「全く、面倒なことだな」

 だからと言って、何もせずにここを出れば、それこそエダードに何を残すこともできない。

「眠りの国には悪いが、傷は残しておくことにしよう」

 タジは神酒と呼ばれた酒樽に忍び寄り、それから書き置きのあった部分の天板だけをガリリと削り取った。


 また、持ってきてやるよ


 それだけ削り残すと、天井にぽっかり空いた大穴の縁を滑るようにして、タジは洞窟を後にした。

 東の空、木々に覆われた稜線の向こうが明るくなっている。

 鐘の音が遠くから聞こえる。宗教は変わっても、朝の訪れを告げる音は変わらないらしい。

「ハハッ、変わらないものもあるんじゃあないか」

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