盗人の城 01

 ひたひたと何かが迫る足音を聞いて、見張りは一人戦慄した。

 地下牢は、しばらく死体置き場になっている。生者のいない地下牢は、水路の他に出入り口はなく、そして水路もまた、地下牢から外の世界へと出るには泳ぐのに相当の時間を要する。出るのは流れに乗って出れば良いだろうが、入るとなれば流れに逆らうほかなく、なおさらだ。

 では、魚か何かだろうか。

 それはない、と見張りは確信できる。

 ひたひたと聞こえる足音は二足歩行のそれだ。水棲の魔獣がいることは知っているものの、二足歩行を行う水棲の魔獣など知らない。

 いない、とは断言できないが、わざわざ地下牢に現れる理由も分からない。

「み、見に行くしかないのか……」

 そもそも見張りはなぜこのような地下牢に騎士の人員を裂いて見張りをしなければならないか、その理由に心当たりがなかった。白骨死体が動くわけでもなし、ときどき、燃料の切れて消えた松明を取り換えるだけの閑職。

 もっとも使えない騎士の烙印を押され続けた者が辿り着く、地を這う泥のような仕事。

 それがこの地下牢の見張りだったはずだ。

「くそっ、なんでミキウが見張りの時に来なかったんだよ……」

 毒づいていても仕方ない。

 見張りはもっとも使えない騎士の烙印を押されていても、その仕事を投げ出すようなことはしなかった。

 それは勇気などという稚気によるものではなく、現実的な、これ以上ない閑職さえもまともにできない人間という烙印の先に待つ、薄寒い現実の陥穽に恐怖したからに他ならない。

「くそっ、くそっ」

 毒づきながらも、見張りは腰に佩いた細身の剣を一振り、体の前に構えた。もう片手には火をつけた松明を握り、水棲魔獣が火に弱いのを祈る。

 あるいは、火と太陽が共に光を放つものだったために、思わず縋りついたのかも知れない。

 ひんやりと冷える見張り室の外、松明の灯りゆらめく廊下から、地下水のせせらぎに混ざる足音は徐々に大きくなっていく。

「誰だッ!?」

 人影も、獣の姿も見えないところで、見張りは叫んだ。

 あわよくば、それで足音の主が逃げてくれればいい。そう思ったのだが、見張りの目論見は叶わなかった。

 ブクブクと、あぶくのような音が聞こえる。

 何かをしゃべっているのだろうか……?見張りは眉根を寄せ、しかしそのあぶくのような音が聞こえなくなったのと、ひたひたと迫る足音も聞こえなくなったので、見張り室からそっと辺りの様子をうかがおうとした。

 その時。

 人影が、見張りの視界いっぱい遮るようにぬるりと姿を現した。

 ちょうどすぐそこまで迫っていたのだ。

「ひっ!」

 見張りは後ずさりし、尻もちをついた。

 松明をこぼし、しかしもう片方の剣は決して手放さず、視界を防いだその何者かを見る。

「大丈夫か?」

 それは、人間の形をした何かだった。

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