凪いだ海、忘却の港町 54

 しかし、鳥や羽虫が高速で飛来する物体にぶつからないように、タジの尋常ならざる速さの突進は、魔獣に避けられてしまった。

 タジの動きによって生じた水の流れが、そのまま魔獣たちの避ける道筋となっていたのだ。突き出す腕が押しのける水の流れに沿って身を翻せば、魔獣たちはタジに指一本触れさせないようにすることができた。

 元々、彼ら魔獣に地の利があるのだ。

 地上では感じたことの無い水の抵抗。ましてや陽の光もまともに入ってこないような水深である。その抵抗はすさまじく、いくら人間では不可能な速さで体を動かそうとも、魔獣にとっては大した速度ではない。

 触れられなければ、倒せない。

 そんな言葉がタジの脳裡をよぎるのと、その解決策を見出したのとは同時だった。次の瞬間には、実行に移す。

 タジの周囲を警戒しながら周回する魔獣たち。彼らが逃げないのは、厄介者を招き入れてしまったことへの罪滅ぼしなのか、あるいは単純に狩りを楽しんでいるのか。いずれにしても逃げずに留まっているのはタジにとって好都合だった。

 タジの頭上を円を描くように周回する魔獣たち。その円周に向かってタジは腕を伸ばすと、その腕を勢いよく引いた。

 突き出した腕のために避ける水流を作ってしまったのなら、その逆に、思い切り引いて引き寄せる水流にしてしまえばよい。

 タジの膂力があってこその芸当だった。ほとんどその場で回転するように腰までつかって腕を引くと、水流にグラリと体を奪われて、一体の魔獣が引き寄せられた。

 タジは目を凝らす。

 空気の流れは目に見えずとも、水の流れは水中に漂うわずかな気泡や光の屈折で見ることができる。慎重に、魔獣が体勢を崩した水流の外側を泳いで近づくと、タジは手のひらで水を魔獣に向かって押し出した。

 触れられないなら、その間にある水の質量をそのままに叩きつければよい。

 計画通りに、魔獣はタジが押し出した水のかたまりを横腹に受けた。体勢はさらに崩れ、流線型の体が歪に折れる。その機を逃さず、尾びれの付け根をムンズと掴むと、自分がやられたのと同じように、魔獣を水底の岩礁に叩きつけた。

 赤い血は出なかった。

 ただ、抵抗しようとした腕が不自然に折れ曲がり、だらりと意思なくぶらさがっている。握る尾びれの付け根に力が入っていないのも分かった。

 岩礁から、何かが剥がれてキラリと光った。

 それは、叩きつけられた時に剥がれてしまった魔獣の鱗だった。

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